あまりに我儘なことを一つ④
「俺は、弱い人間だった」
ロトの独白は続く。 リアナは真剣にロトを見つめながら、エルは目を逸らして努めて聞かないようにしながらも、ロトの言葉を遮ることもなく聞き続ける、
「親が教育熱心な人でな。 子供の頃から、幾つもの習い事をしていた。
算盤、英語、水泳、野球、サッカー、柔道、剣道、ピアノ、バイオリン、将棋、習字……まぁ、他にもあるが、色々やってたんだ」
大半が分からなかったが、とりあえず頷く。
エルは分かっているようなので、気になった場合後で聞けばいいだろう。 今は黙って聞いてやりたい。
「多分、俺は恵まれた環境の中にいたんだと思う。
昔は気が付いていなかったが、家は金持ちで……いわゆる中流家庭と呼ぶことも出来ない程度には生活環境も良かった。
母もずっと家にいてな、鬱陶しく思って鍵っ子の友人を羨んでいたこともあったが……子供らしい馬鹿な考えだ。
父親も、時に厳しいときもあったが、間違ったことは言わない、尊敬の出来る人だった」
俺の家とは随分と違うな。 エルの家とも大分違う。 異世界のことはあまり分かっていないが、いい家庭だったのだろう。 羨ましいとは思わないが。
「自賛するのもアレだが、ガキの時分は利口な奴で才にも恵まれていた。
親のおかげで色々なことに取り組むことが出来た。 そのどれも、ソツなくこなすことが出来てまぁ小学校だと威張っていたよ。 こう見えても、モテてたんだぜ。 あっ、小学校ってのは、6最ぐらいから12歳ぐらいの子供が通う学校な。 女の子もいるぞ」
ロトは自慢気に笑うが、どうにも笑顔に違和感を覚えてしまい、自慢しているようには見えなかった。
むしろ、自虐にすら見えるのは、少し不快だ。
それにしても、6歳の女の子か。
「別に、羨ましくないからな」
「アキ、エルちゃんが睨んでるぞ」
エルの方を向くと、すごく怒っていた。 とりあえず首を振って取り繕うが、かなり不満気である。
そんなに羨ましそうな顔をしていただろうか。
「何でも上手く出来たが……算盤だったら算盤で、水泳だったら水泳で、みたいによ、一番は別にいたんだ」
「今も変わらないな」
リアナは口を開いて毒を吐き出した。 ロトはそんな悪口に頷いて笑い、窓の外にある太陽を眺める。 まだ高く、寝るには早い。 俺とエルは一度宿に戻ることになるかもしれない。
「恵まれた環境に、優れた才覚、何も悪いことはなかった」
ロトは短剣を中空から引き抜いて、その鋸の刃を撫でる。
「だから悪いのは、俺だった」
避けようのないほど真っ向からの、自己否定。 一瞬だけ、その姿にエルを幻視する。
「そんなことは、ないです」
エルが否定するが、その否定を否定する。
「いや、俺だけが悪かったんだ。 恵まれた環境と優れた才覚、それだけあったのに俺は……まともにやれば勝てないからと、俺より優れたところのある人間を、引き摺り下ろそうとした。
人まで利用して」
ロトは笑う、ロトは自分をあざ笑い、鋸の刃を撫でた。
嬉しそうに、愛おしそうに刃を触って、自分の指を斬り裂いた。
エルが直ぐに治そうとしたが、首を横に振ってそれを止める。
「結局な、勝てはしなかったんだよ。 いくら人より前にいようと、あまりに浅はかで、一番になろうと表面だけで何も出来ていなかった。
だから、この世界に来たとき、俺は嬉しかったんだ」
ロトが指から流れ出る血を見る。 ぽたりぽたりと指から溢れ落ちて、ロトの脚に付く。
「俺は死んで生まれ変わることが出来た。 そう思ったが、変わらず俺は生きていた。
俺のやった罪を消すことなく、贖罪を放棄して、俺はここに来た」
血を握って、ロトはへらへらと薄っぺらに笑う。
「違う世界にきて、俺は罪と罰を手にした。
罪は、変わらずにある嫉妬に狂う鋸の刃だ。
罰は、俺が最も嫌う、人の長所を見続けなければならないことだ。
どちらも、俺に取っては直視しがたい現実だ。 それを受け入れて、共に贖罪を果たす。
俺の能力は、きっとそのためにある」
語り終えたロトは、息を吐いてリアナに笑みを向けた。 微妙な空気の中で……エルだけが、拳を握って、何かに耐えていた。
「ロトは……自分のことが嫌いなのか」
「ああ、最悪な屑だと自覚している」
どこかエルと被る。 異世界の人はみんなこういうものなのだろうか。 慰めてやる気になれないのは、確固たる意志を感じられるからか、それとも俺が薄情なだけか。
とりあえず、首を横に振って形だけ否定する。
「話はほとんど分からなかったが、ロトは悪人か。
だが、私はロトに着いていく。 変わりはしない」
リアナの言葉に、ロトは頷いた。
「ああ、知ってるよ」
ロトは愉快そうに笑う。 恋愛関係ではないが、強い絆か。
ほんの少しだけ羨ましく思いながら、エルの手を握る。 まぁ、エルとの関係がそうなるのは絶対に嫌だけれど。
「もう間違えない。 柄じゃないが……この世界で柄じゃないことをしているのは、贖罪のためだ」
人を殺したわけでもなく、ただ子供が子供の足を引っ張っただけ。きっと大したことではないのが知れるが、ロトはエルと同じで潔癖症だ。
自分の汚れが、気になって気になって仕方がないのだろう。
俺とは違う感性。 きっとこの世界には異質な感覚で、その自己否定と自己嫌悪は、酷く眩しく映る。
「そうか。 頑張れよ。 ほどほどにな」
あまりに羨ましい。 ゆえに、目を向けることも出来ない。 それはエルも同じで、己の至らなさを見せ付けられるようですらあった。
「おう……。 こっぱずかしいことを聞かせて悪かったな」
「そんなこと、ないですよ」
「そう言ってくれると助かる。 羞恥で死にそうだ」
ロトはそう言って笑う。
「まぁ、贖罪もするけど、当然この世界も楽しむけどな。
せっかくの異世界だ。 楽しまないと損損ってな。
美人のお供もいるしな」
釣られて笑うが、あまり楽しい気分にはなれはしない。 この話をしたということは、すぐそこに別れが迫っている。
だからというわけではないが、人と話をするのが嫌いになりそうだ。 人は話したいことを話せば何処かに消えてしまう。
引き止める気も少しはあったが、ロトの目的である贖罪のために神から与えられた使命を果たす。 それは俺が望む、ゆっくりとした生活とはかけ離れたところにある
相容れないのだ。 俺とロトは、どれほど気があっても、仲良くなれても、あまりに違うのだろう。
エルの手を逃さないようにしっかりと握った。
「私はただの打算だがな。 ロトと共にいれば、英雄になれる。 確信がある」
そんなリアナに、エルが言う。
「かっこいいです」
「そんなことないさ」
そう言って否定するが、顔は嬉しそうに綻んでいる。
ああ、リアナは褒められるとすごく嬉しそうにするな。 気難しいかと思っていたが、案外簡単そうである。
気がつくのが早ければ、もう少し仲良く出来たかもしれない。
「アキは、エルちゃんに迷惑かけすぎないようにな。 無理だろうが。
エルちゃんは……頑張れ」
「はい、頑張ります」
エルはそう言ってから、置いていた鎖を見る。 一体何を頑張るつもりなのか、あまり聞きたくはない。
そんな意味のない会話を続けて、最後の最後に駆け足で思い出を作っていくような行動に少し笑う。
トントン、とドアがノックされて、使用人の女性が来たことが分かる。
これで話を少ししたら、もう用事は終わりだ。 俺は一応、エルを親戚に見せるためにもう少し残る必要があるので、もう別れから遠くない。
「ああ、入ってくれ」
その言葉を発するのに、長い時間がかかった。




