あまりに我儘なことを一つ①
目が覚めると、愛する人が横にいる。 それ以上の幸福を僕は知らない。
けれど我儘を言えば、その彼が嬉しそうな表情をしてくれていればどれほど幸福だろうか。
剣の先生であるグラウさんとの死別と、仲の良い二人とのいつまでになるのか分からない、下手をすればもう会うことはないかもしれない別れ。
いつもは寝起きの良いアキさんも、今日に限ればまだ起きたくないように僕の身体を掴み、布団の中に引きずり込んだ。
こんな時にも、グラウさんが亡くなったことを悲しむことも、知り合いとの別れを惜しむことよりも、好きな人に抱き締められる多幸感に支配されてしまう僕は……あまりに醜い。 その上、昨日は偉そうに分かったフリをして、アキさんを自分に依存するように仕向けた。
傷付いているのを利用して、人の死を自分の欲望のために利用した。 アキさんを慰めたかったというのも確かに大きくあるが、そんなものは言い訳にもならないだろう。
例え一抹ほどでも、人の死を利用なんてするべきではない。
酷い自己嫌悪。 指先から神聖浄化を発してみれば、見てる内に皮が削れて、爪が薄れて、肉が消滅して骨が見えてくる。 痛みに顔を顰めて、治癒魔法を掛けると先ほどのグロテスクな怪我はなくなり、いつものような指先に戻った。
前よりも、明らかに自己嫌悪が強くなっている。
それほどまでに自分が嫌になるなら、依存を仕向けるなんてしなければいいのに。
分かっている、そんなこと。
「アキさん、僕はアキさんの横に、ずっといますからね」
甘えるような甘やかすような高い声。 そのままアキさんの身体を抱き締めると、アキさんは安心したように息を吐き出して僕の身体を抱き返した。
止めていた方がいいのは分かっていた。 けれど、それでも僕はアキさんが好きで好きで堪らなくて……。 分かっていた、アキさんを依存させようとしているのは、僕が依存しているからだ。
それでも、暖かいこの人を手放すのは怖くて怖くて堪らない。
「エル……エルだけか。 もう、俺と一緒にいてくれるのは」
「んぅ、そんなに強く抱きしめなくても、逃げたりしませんよ」
そんな白々しい言葉を吐いて、アキさんと抱きしめ合う。 ああ、可愛らしい人である。 こんなに、ダメな僕に甘えて……甘やかしてくれて。
だからこそ、騙しているようで自分に対する嫌悪感が募っていく。
「アキさんは、僕のことをどう思っていますか?」
以前のように、アキさんに尋ねる。 僕が一番自分を肯定出来ていたときのように、アキさんは僕を抱きしめて言う。
「好きだ。 何よりも大切だ」
甘い言葉に息を吐き出して、アキさんの胸に顔を押し付ける。 一番欲しかった言葉で、一番嬉しい言葉だ。
だけれども、顔を押し付ける理由は嬉しさからではない。 泣きそうになる表情を隠す為に、押し付ける。
この人はこれほど優しいのに、何故僕はこんなにも醜い。
「僕も、です」
この依存心を好意と言っていいのだろうか。 それを否定することはあまりに恐ろしくて出来はしない。
もしもこれが愛でないのならば、僕は愛を知らないことになる。 そうであれば、どれほど僕は悪なのだろうか。
一人の人生を、嘘を吐いて自分に捧げさせようとする。 許されることではないだろう。 だから、僕は愛を無理矢理に肯定して、アキさんの身体に手足を絡める。
そんなのだから、僕は自己嫌悪してしまうのだろう。
嫌いだ、嫌いだ、大嫌いだ。 こんな自分は。
大好きなアキさんを騙して、自分に依存させようとしている悪党だ。 人の死を利用して自分の欲望を果たそうとする屑である。
そんな中身を証明するかのように、神聖浄化を使う度に見える中身はグロテスク。
立ち上がって、身体を伸ばす。 アキさんの視線が這うようにきて恥ずかしいけれど、仕方ないだろう。 身体の線を隠しながら身体を伸ばし直して、顔を擦る。
能力の代わりに魔法の浄化により身体の汚れを無くしてから、椅子に座る。
「上手く行けば、今日にお別れですね」
「……そうだな」
アキさんが少し寂しそうな表情をする。 以前のアキさんならば信じられないようなことだけれど、アキさんは変わった。 変わることが出来ないのは僕だけである。
喜ぶべきことを嫌に思いながら、息を吐き出した。
いつもいつも、僕は好かれるためにズルいことばかりを繰り返す。 二人と離れられて、アキさんと二人きりになれるのは嬉しいのに、合わせるように顔を伏せた。
机の上にあった鎖を手に取り、僕は魔力を流し込んだ。
◆◆◆◆◆
エルと共に廊下に出ると、丁度よくロトとリアナも出て来ていた。
俺はいつもよりも軽装で、腰に魔石剣を下げただけだが、ロトとリアナはいつもよりも物が多い。 届けたあと、そのまま次に向かうのだろうか。
もう一日荷物を宿に置いて置くつもりだったが、持って行った方がいいか。
「おはようございます」
「あー、おはよう。 なんか、二人とも眠そうだな。 昨夜はお楽しみだったの?」
そんな訳がない。 むしろ、気分が悪かったぐらいだ。 エルがいなければ、初めて向き合う人の死に耐えられずに潰れていたかもしれない。
ロトの空気の読めていない不快な冗談もこれっきりかと思えば、少し寂しくすらある。
「軽口はいい。 行くぞ」
紐で絵本を腹に巻き付けて、一応、奪われないように対策をする。
これが終われば、またエルと二人きりで過ごす時間が増える。 人と関わって色々と寂しくも感じるようになったが、やはり俺の一番はエルと一緒にいることだ。 エルは優しくて、一緒にいるだけで幸せになれる。
「ああ」
リアナが答えて、ぞろぞろと外に出る。
そう言えば、すっかり忘れていたが、馬車はどうなったんだろう。
ロトに尋ねてみると目を逸らされたので、恐らく失ったのだと思われる。
まぁ、エルと二人なら走った方が余程早いので問題はないか。
街で弁当代わりの食品を幾つか買い揃えてまだ余裕がある俺が背負う。
うろ覚えの道を辿り、街を抜けて森の中に入る。
まだ酷い腐臭がして、長らくいれば病気になりそうだが、まぁエルがいるので大丈夫だろう。 エルをチラリと見ると、何故か俺の後ろに隠れながら、能力を発動させる。
血と腐臭の不快な臭いは失われて、清浄な風が流れる。
「ッ……」
「エル? どうかしたのか?」
「いえ、なんでもないですよ」
エルが何かを言ったように聞こえたが気のせいか、いつものようにエルは可愛らしく笑う。
「エルはさ、いい子だよな」
いつも頑張っていて、人に優しくて、努力家で、まじめで、人を知ることで、よりエルのいいところが際立つようだ。
「そんなこと、ないですよ」
エルは何故か悲しそうに笑って誤魔化す。
寂しさにエルの手に手を伸ばすと、ぱちん、と手が弾かれる。
「えっ……」
「あっ、いや、違うんです。 蚊が、アキさんの手に引っ付いてて」
「あ、ああそうか……」
良かった。 エルと手を繋いでいると、また腐臭が鼻に入ってくる。 何故能力を使わないのだろうか。 もしかして、疲れていたりするのかもしれない。
慣れない森の中だから仕方ないか。




