寂しい夜の新たな出会い③
そろそろ上がらないと死ぬ気がしてきて、軽く身体を湯から出す。
「グラウ、残念だったな」
「そうでもない。 満足して死んだ」
「残念な思いは、俺たちだけか」
俺はロトの言葉に頷いて、風呂から上がる。 温泉の妙な臭いがするので身体を水で流したいが、魔道具が使えないのでそれも敵わない。 どうしようかと思っていると、ペンギンも風呂から上がるのか、魔道具を触って水を発生させた。
ペンギンについでに水を出してもらって頭から被り、ペンギンと一緒に身体を震わせて水気を切る。 ペンギンはそれでも濡れているので、ペンギンの身体を持ち、振って水気を飛ばす。
「ぺ、ペン……ギン……」
「アキ、お前、動物好きが見たら、軽くキレられるぞ」
脱衣所に行って、服を着てから、外に出る。
案外長い時間入っていたらしく、窓の外に出る太陽はもう高く昇っていた。 濡れた頭を掻いていると、丁度エルが風呂から出てきたらしく、女風呂の方から身体を表せた。
濡れた髪に、少し見とれているとエルは俺を見て、迷ったような表情を見せる。 ロトの言葉の通り、悲しい思いをさせたらしい。
いつものように引っ付いてくることはなく、エルは昔のように顔色を伺った。 いや、昔のエルは顔色を伺いはしても、このように機嫌を取ろうとしている媚びた表情はしていなかったか。
……俺がエルの機嫌を気にしているときも、こんな感じなのだろうか。
エルの態度が昔と違うのは、俺に嫌われたくないからだろうと思うと、止めて欲しいが嫌な気分でもない。
エルに寄って、頭を撫でる。
「悪いな。 エル」
「いえ、その……あの、髪とかビショビショなので、乾かしますね。 あと……」
エルが俺の手を取って、媚びるような上目で俺の目を見る。 だから、というわけではないが、頷いてエルに治してもらう。
痛みが引いていき、張り詰めていた気分が少し和らぐ。
一緒に部屋に戻って、ベッドに座ると、エルがベッドの上で膝立ちになって俺の頭を撫でる。
頭に暖かい風が当たり、それが心地よい。 だからどうしても思い出してしまう。
思い出さないために治さずにいたのに、それを治してしまえば思い出してしまうのは当たり前のことだった。
エルには見えないように、涙をこぼす。 少ししてから、エルに後ろから頭を抱き締められた。 何故ばれたのだろうか。
「……何で」
「涙の音が、聞こえましたから」
ああ、そういえば耳がよかったな。 強く口の中を噛んで涙を抑える。 そうして耐えると、エルの指が俺の頬を撫でる。
「……だから、何故分かるんだ」
「アキさんのやることぐらい、分かりますよ」
理由になっているのか、いないのか。 どちらにしても間抜けだ。 生乾きの頭を掻いて、エルから逃げるように立ち上がった。
格好悪い。 情けない。 嫌われたくないという思いが俺の身体を動かして、その姿を隠そうとする。
「大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのか。 エルは俺の後ろから俺を抱き締めた。
「僕には、甘えてもいいんです。 アキさんが辛い理由、教えてください」.
グラウが与えてくれたような無償の愛情。 無条件の優しさ。
慣れない意地を張ろうとしていた心がほだされて、膝から崩れて涙を流す。 エルは俺を前から抱き締める。
慣れ親しんだ、膨らみのほとんどないエルの胸に顔を押し当てて、エルに頭を抱えられて、小さな手で背をぽんぽんと優しく叩かれる。
「エル……エル……」
こんなの卑怯である。 心が酷く傷付いているときに、好きな人に優しくされて甘えていいなんて言われてしまえば、耐えられる訳がなかった。 惨めで情けのない姿を晒してしまう。
それでもエルは、そんな情けない俺を優しく抱いて、頭を撫でてくれる。
落ち着く、心地よいエルの匂いを嗅いでいると、身体が安心したように、耐えようとしていた涙が出てきてしまう。
「大丈夫、大丈夫ですよ。 僕はアキさんが大好きですから、我慢しなくていいですよ」
エルの手のひらの上で転がされている。 何かのタガが外れたように目が潤み、涙が溢れ出てきてエルの胸元を濡らしていく。
「エル、グラウが、グラウが。 もう、いないんだ」
エルに泣きつくように言う。
エルの身体は、小さいけれど確かにあって、俺を優しく包み込んでくれる。 暖かい。 温度だけの話ならば、温泉に浸かった後なのだから当然だった。
だが、何故か込み上げてくる感情が上手く制御出来ないのは、当然とは違うのかもしれない。
エルは暖かい。 それは身体がではなくて、心が暖かい。
「泣いてはならないんだ。 グラウは、あれが幸福だった。 あれが悲願だった」
俺の母親の願いとは違う、グラウ自身の幸せと願いがそこにはあった。 だから、俺はそれを尊び、喜んでやるべきだった。
なのに、何故俺は泣いている。
「グラウさんが……。 いいと思います。 泣いてもいいんです。 アキさんが悲しいなら、僕の前なら泣いていいんです」
泣いてしまう。 また、涙を流して、グラウの喜びに泥を塗る。 どれほど俺は恩のある相手に礼を欠くのか。
許されることではない。 それを、エルは許してくれる。
「辛いなら、辛いでいいです。
グラウさんの願いと違うのは、当然ですよ。 グラウさんも、ハクさんの願いとは、違ったんですよね。
……だから、いいんです。 それでもダメだと思うなら、二人だけの秘密にしましょう。 僕も、悲しいですから」
恥も外聞も格好つけも失って、子が母に甘えるように泣きじゃくる。
「……俺が、俺が殺したんだ」
俺の手には、まだグラウを斬った感覚が残っている。 自分で手を下したのに、それを悲しむのはあまりに醜い。
エルに頭を撫でられて、また泣く。
「アキさんは、今度は逃げなかったんですね。 偉いです、 偉い」
リクシという少女のことを思い出す。 俺が逃げて、看取ってやることも出来なかった。 それに比べたら、成長出来たのかもしれない。
「ああ、逃げなかった。 辛いと分かっていて、話して、斬った」
「偉いです。 ……お礼は言えましたか?」
「ああ、ありがとうって言った」
「偉いです。 偉い偉い」
エルは俺の頭を撫でて、一粒の涙が俺の頭に溢れた。
「エル、エル。 大好きだ」
エルの背に手を回して、力一杯に抱き締める。 泣いて、泣いて、泣いて。
「僕も大好きです、アキさん」
いつの間にか、眠ってしまっていた。
目が覚めた時も、エルは俺の隣に座っていて、優しく軟らかな笑みを俺に見せてくれた。
俺の頭に手を置いて、溢れていた涙を指で掬う。
「悪い。 迷惑……かけた」
「迷惑だなんて、思ってないですよ。
んぅ、辛いことがあったら、また相談してくださいね」
自分よりも小さな女の子に甘えて泣きじゃくった。 その事実は俺の羞恥心を酷く煽るが、今も頭を撫でられて喜んでいる事実があるので、誤魔化すことも出来ない。
顔に血が集まってくるのを感じるが、エルは何も言わずに一緒にいてくれる。
「俺、もっと強くなるから」
自分よりも弱い子供に守られることもなく、自分よりも小さな女の子に庇護されることもないように、強くなる。
「……二人で」
エルは首を横に振って俺の言葉を否定した。 俺の手を取って、少し撫でる。
「二人で強くなりましょう。 多分、僕も耐えられないことがありますから」
エルは多分と言いながらも、確信しているようだった。 今分かっている、エルが苦しむこと、エルとの母のことだろうか。
そのことを思い出すと、自分の決意の愚かさを知る。
「ああ」
俺は頷いた。
俺が強くなっても、エルを支えることが出来なければ意味がないんだ。 辛い思いをしているエルを支える事が出来たら、エルも辛い思いをしている俺を支えてくれる。
一人で強くとも、俺が残るだけだ。 一人で強くなくとも、二人でならば強くなれる。
一人で立つことは出来なくても二人ならば歩いていくことが出来る。
「二人で、強くなろう。 エルを支える事が出来るぐらいに」
エルは嬉しそうに笑う。
「はい、お願いしますね。 僕のこと」
俺はその笑顔を見て、守りたい、そう思った。




