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刃は高みへと朽ちゆく④

 ベッドに転がると、一日の疲れが押し寄せてくるように息が漏れ出る。

 遊ぶなんて不慣れのせいか、変な満足感と疲労がやってくるが、エルに疲れを癒す魔法を使ってもらいたくない。 今は少し、この疲労感に浸っていたい。


 エルも遊び疲れて、ゆっくりとベッドに転がって、すぐに眠りに就いた。

 可愛らしい寝顔をよりよく見るために灯りでも点けようと光の魔導具に手を付けて魔力を流し込むが、魔導具の近くにシールドが発生するだけで終わる。


 魔導具が本格的に使えなくなってきた。 エルがいるので問題はないが、いなくなればまともに生きることも難しそうだ。

 寝顔を見てゆっくりしたいと思っていたのに、少し残念である。 横に置いている土産物を横目で見て、なんでこんなものが喜ぶと思ったのかが不思議だ。

 木彫りゴブリンっていらないだろ。 ゴミにしかならない。 というか持って帰るのが面倒だ。


 自分の馬鹿な一面に気が付いて顔を歪めていると、安宿の床が軋む音が聞こえる。 この時間に起きているのは、グラウぐらいのものだろう。

 立ち上がって、扉を開く。 少し離れたところに見るグラウはへらりと笑みを浮かべ、首を横に向けて顎で外を指した。


 酒でも飲むのだろうか。 あるいは一服するのに付き合えとでも言うつもりか。 エルを起こしたくないので、声を発さずに静かに歩く。

 寒々しい空気が、扉を開けたと共に俺の身体を冷やす。


「煙草か? それとも飲みに行くのか?」


 今日は飲んでもなければ、吸ってもいないらしく特徴的な匂いはない。


「いや、臭いが付くと嫌がるからな」


 いつか聞いた言葉を再び聞く。

 嫌だと思いながらも、口から漏れ出すのはつまらない言葉だ。


「そうか」


 グラウから木剣を投げ渡されて、どちらが先というわけでもなく街の外に歩いていく。

 冬の寒い風に白い息が流されていき、グラウの吸っていた煙草に少しだけ似ているようだ。


「アキレア。 多分、お前がヴァイスに好かれてないのは、お前が俺に似てるからだ。 他人の空似だけどな」


 似ている。 何度も言われた言葉だが、それも少し納得が出来る。 駄目なおっさんに似ているというのに、何故かほんの少しだけ誇らしい。


「悪りいな。 ……あいつも分かってる筈なんだろうけど、気に入らないんだろうな」


 子供だからと、親に無条件で愛されるとは思っていない。 けれど、もしかしたら……ちゃんと愛されていたならば、もう少し人に優しくなれたかもしれない。 ……グラウに、師と慕うこの男に我儘を言えたのかもしれない。

 そんな淡い期待が、喉の奥を焼くように傷付ける。


「俺は父親のことは嫌いではない。 尊敬もしている。 けれど」


「けれど?」


 もし、グラウが父親だったならば、今のように金銭に困った生活をしたかもしれないが……もう少し人に優しくなれたかもしれず、魔物ではなく人らしくいれただろうか。


「人というのは、美しい」


 幼少からの違和。 真白な兄弟に囲まれた黒い子犬のような、妙な感覚。 あるいは、まるで嘘を並べて立っているかのような居心地の悪さがそこにはあった。

 だから人と関わりを持つことを避けて、学校でも一人でいて、退学になったことで安堵をした。


 そして、エルと出会い、その場のちっぽけなプライドで助けて、恐れられることに恐怖した。 魔物となった今になると、やっと分かった。

 俺は人になりたかったんだ。 だから、エルが怖かったのだろう。


 グラウは馴れ馴れしく俺の身体を引き寄せて、頭を撫でる。


「止めろよ。 離れろ」


「うるせえ、撫でさせろよ」


 グシグシと頭を弄られて苛立ちが募るが、グラウは嬉しそうだ。


「アキレア、エルちゃんとのことだけどよ」


「ああ、グラウが名前を覚えられないからずっと嬢ちゃん呼びしてたな」


「……根に持ってるのかよ」


 エルの名前を覚えないとは、あまりに不敬である。 今までは名前を覚えていてそう呼んでいると思っていたので不満はなかったが、覚えていなかったのは不快だ。


「それでな。 前に言ったが……」


「グラウが言えることじゃなかったよな」


 いや、グラウだからこそ言えたことか。 どちらにしろ、偉そうにしておきながら言えはしないことだろう。


「少しは気を使えよ。 ……まぁ、依存はしているが……そう、心配は必要なさそうだな」


 当然だろう。 エルに頼って悪いわけがない。


「それも俺のおかげだけどな」


「何がだよ。 まぁ、グラウみたいにはならないが。

あれだろ、母親はグラウの幸せを願っていたから言った言葉だったのに、それを履き違えて馬鹿なことを」


 そう言うと、グラウは苦々しく笑う。


「そうだな。 馬鹿だよ、俺は」


 街の外に出て、寒々しい風が首筋を冷やし、口の中が話した時に入ってくる風に乾かされる。

 ため息を二人して吐いて、冷えている木剣を摩る。


「俺はな。 今に満足している。 息子みたいに思える弟子もいて、俺を越えてくれた。 けれど」


「続けてくれ」


 グラウは言おうとした言葉を飲み込む。 俺は首を横に振って、続きを促した。


「けれど……ハクをヴァイスに譲らなかったらならば。

ハクと二人で仲良く暮らしていて、お前が産まれて……今みたいにつまらない話をして、レイにはハクが魔法を教えたりしてよ。 不味い飯食って、煙草を吸ったらハクに嫌な顔されて、酒を飲んだらお前に避けられて、何もなくてもレイに嫌われたりよ……きっと、窮屈で、しみったれた最悪な毎日だったことだろう」


 グラウはそう言った後、夜空を見上げて目から涙を垂れ流す。


「ああ、ああ。 女々しい。 今になって……後悔している。 叶うことならば、あの日、あの時……あの夜に、ハクに愛していると伝えたかった」


 ああ、それは楽しそうかもしれない。 エルにももっと優しく出来るような気がする。 人間らしく生きられたかもと想像したら、今からでも遅くないように思う。


「今も半分は叶っているだろう」


「ああ、そうだな。多分、俺は幸せ者だ。 ……本当に」


 強く風が吹く。 白い雪が風に流されて落ちてくる。

 今年初めての雪をこんなおっさんと見るのはあまり嬉しいことではないな。


 真白に降って、強く吹雪いているわけでもないのに積もっていく。 それほど長い時を過ごしたつもりはないが、今の時間を過ぎるのはあまりに辛い。


 互いに示し合わせたわけでもないが、木剣を同じように構えて、同時に駆けて木剣を振るう。

 グラウの木剣が断たれて、それでも勢いは衰えず、グラウの身体が斬り裂かれる。

 赤い血が吹き出て、白い雪を汚していく。 頰に付いた水滴が、嫌に熱い。


「強くなったな」


 グラウはゆっくりと俺に近寄って、俺は木剣を手放して、その身体を支える。 血が俺の身体を濡らしていく。

 命が抜け出ていくようで、グラウの身体が軽くなっていってしまう。


「ありがとう。 グラウ」


 グラウの死を証明するように紅い瘴気が漏れ出ていく。 あれが、グラウの魂というのだろうか。 だとすれば、あまりにも濃く、強い。


 グラウの身体が俺を抱きしめて、俺の名前を呼んだ。


「じゃあな、アキレア。

気持ち悪いだろうが、愛している」


「尊敬している。 今でも何も変わらず」


 グラウの身体から力が抜け落ちる。 積もった雪が舞い散って、グラウが地に倒れた。

 それでもグラウの顔はあまりにも嬉しそうで、抱き上げる気にもなれない。


「ああ、ハク。 今からお前の元に……」


 死に顔は馬鹿みたいに満たされた顔をしていて、少し羨ましいぐらいだ。

 グラウの瘴気がグラウの死体に纏わり付いて、その身体を変質させていく。 警戒する気も起きずに立っていると、グラウが握っていた剣のような形をしていた、一つの魔石へと姿を成した。


 魔石剣グラウ。 魔物にすらならなかったことに、ほんの少しだけ恨む。

 馬鹿みたいに強い魔物になってくれでもしたら、寂しさを紛らわせてくれたかもしれないのに。


「寒いな」


 顔の横で溶けた雪が、頰を流れ落ちていく。 幾つも幾つも、頰から溶けた雪が流れ落ちて地面で凍る。

 ないとでも思っていた心に、すっかりと穴が空いたような不思議な感覚。 胸の真ん中に穴が開いてしまったのかもしれないと触れるが、俺の身体は何も変わらずにあった。


「寒い」


 グラウの残した紅黒い魔石の剣を握り締める。 強く握って、溶けた雪が柄に当たり、刃へと伝っていく。


 ああ、そうか。 俺はグラウがいなくて寂しいんだ。


 寂しい。



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