ハクシに至る⑤
グラウ。 俺はグラウの名前をそれだけしか知らない。
「うるさい!」
グラウは血反吐を吐きながらも、腹に刺さっている荒鋼の剣身を握り締めて俺ごと持ち上げる。
「う、おおぉ!」
化け物のような力。 腹に刺さっている大剣を引き抜いて死なないのが不思議で仕方ないが、よく見ると傷がない。 エルの治癒魔法だろう。
荒鋼ごと地面に叩きつけられるが、痛みは一瞬で動きに支障はない。
近くにグラウの石剣を拾われて、腕を切られるが、落ちるより前に治癒される。
「僕が全部、治します。 何をしようと、何が起きようと」
「要らねえんだよ!」
グラウはエルに石剣を振り下ろすが、俺の大剣に阻まれ通らない。 石剣が高みへと朽ちゆく刃の速度に耐え切られずに砕ける。
大量に投げられたロトの短剣が俺ごとグラウに突き刺さるが、それでも止まらない。 グラウの腕を掴み、上に振り上げ、高みへと朽ちゆく刃と同じ振り方で地面に振り下ろす。
グラウの潰れた身体に荒鋼を振り下ろして全身をミンチより細かくするが、それでも治癒し、グラウは向かってくる。
「弱い、弱い弱い弱い!! グラウ、お前は何でこんなに弱くなってんだよ!!」
グラウはロトの短剣を拾い、俺に振るう。 俺はそれに荒鋼で合わし、その荒鋼の質量により押しつぶす。 斬られながらグラウの手が俺の首へと届き、俺の首を握り潰す。 そのまま持ち上げられ、投げ飛ばされる。 木がへし折れるが、身体には傷一つ残らず、瞬時に回復する。
「うるせえ!」
四式により駆け寄りそのまま拳でグラウを殴り飛ばす。 グラウが飛ぶのと同時に跳ね飛び、蹴りあげる。
どんな無茶苦茶な動きをしても反動はほとんどなく、疲労もない。 気力さえあれば幾らでも動き続けられる。
それだから、当然に反撃はされてしまう。 グラウは空中で体勢を立て直し、踵を振り下ろす。 俺の頭からバキリと嫌な音が響くが、痛みが来るよりも前に傷は癒えていく。
握った拳をグラウの腹に突き立てて、くの字に曲がるグラウの身体を掴み、地面に叩きつけ、足を振り上げて踏み潰す。 俺の足が掴まれ、乱雑に立ち上がるのと共に振り回される。
木にぶつかり、木がへし折れてなおも離されることはなく地面に擦り付けられ、足を握り潰される。 それでも身体には一切の不調はない。
魔物の本能に従うように大口を開けて、身体を捻ってグラウの首に噛み付き、噛み抉って骨ごと首の一部を抉り取るが、グラウは一瞥もくれずに足を掴んだまま俺を何度も殴打する。
グラウの拳を掴み、捻り上げて封じて、掴まれた足を近くにあった短剣で切り落として拘束を抜け出し、そのまま握った短剣をグラウの腕を断ち切った。
「答えてください! グラウさんの名前は、なんですか。
貴方はどこで生まれて、どこで育って、どうやって生きてきたのか」
グラウは抜手で俺の腹を貫きながら吼える。
「うるせえ! うるせえ!!」
ハラワタが引きずり出されるが、その気持ちの悪さに耐えながら短剣をグラウの目に突き刺す。
「僕の名前は、あの二人の名前は、アキさんの弟の名前は、僕達が会った街は」
グラウは声にならない声で吠え立てる。 化け物じみた膂力で俺を投げ飛ばし、エルを黙らせようと走るが、走る速さで俺が負ける訳がない。
エルの目の前にまで迫った腕が間に入り込んだ俺に当たり、血を吐き出しながら腕を切り落とす。
「全部、覚えていないんですよね。
何より大切な、大事な人のことも忘れてしまって、それなのに覚えている訳がないです」
グラウに向かって膝蹴りをし、受け止められるのと同時に拳を打ち込む。 そうしてから、疑問が浮かぶ。
グラウの人生を掛けて得たであろう……経験の塊、能力はどうなっている。 激昂していて、殺す気で掛かってきているのに、剣の経験によって得たはずの能力を使っていないのは何故だ。
何か、俺は勘違いをしていたのではないのか。
「そんなこと、何の慰めになるんだ! 忘れたんだ! 俺は! それなのに、想いだけが残って、残って、残って!!」
吼える。 グラウは自身の胸を抉り取り、胸の中にある魔石を握りしめ、引き出す。
傷口はエルの治癒魔法によって瞬時に塞がり、魔物の証左である魔石が抜き取られた状態に陥る。 それを示すようにグラウの髪や目から色が抜け落ち、赤黒い髪が白くなっていく。
手に握られた魔石は、グラウの魔性を顕すかのように、剣の形をしていた。
『刃は高みへと朽ちゆく』
あまりに救いのない言葉が、グラウの口から吐き出された。 全身が血染めで、赤く黒く、それでもグラウ自身は色が抜け落ちて残っていない。
『頂きを目指せば空虚が広がり』
「アキさん、止めてください!」
エルが叫ぶ。 俺はそれに従い、グラウの元に駆けた。
『背後を向くことすら許せずに
高みは何かと自問も出来ず』
一文字、グラウが口を動かす度にグラウの身体から何かが失われていくのが見える。 エルを襲おうとした憎しみは無理矢理に押し込み、グラウを救うために拳を打ち込む。 だが、それも止められる。
『魂削れ、血肉は弱り、技を失い、意識は途絶え』
力付くで殴り飛ばし、殴り殴り殴る。 エルは一時的にグラウの治癒魔法を止めているようで、明確に怪我が蓄積されているが、それでもグラウの言葉は止まらない。
取り憑かれたかのように詠唱が続けられる。
『ただ空虚に朽ちゆくそれは
例えば天、人の生死、名誉や富のように
登り行けば行くほどに、届かぬことを知る』
「ーー止めろ! グラウ!!」
首を握りしめて、息すら出来ないようにする。 補助をするようにロトの短剣がグラウの手足に突き刺さり、また動けない状態に持っていく。
薄らぼんやりと、だけれど確かに、グラウの目的を理解する。
「俺の母親の、願いが全てか」
グラウは以前、俺と自分が似ていると評していた。 俺とは何か、エルが全てで……エルがいなくなってしまえば、空虚に朽ちていくだろう。 ただ、ただ、その空虚を埋めようとして、エルが望むだろう……世界を救うことを叶えようと高みを目指すかもしれない。 いや、そうなのだろう。
地面に短剣で縫いとめられていた手足を無理矢理に引き抜いて、グラウは俺の手を跳ね除けた。
「ーー当たり前だ!!」
グラウの言葉を聞いて、理解する。
グラウは、母親の願いを忘れている。
「ならば、母親の願いはなんだ」
袈裟に振り、振り上げて振り下ろし、そうする度に金属が削れる音が鳴る。
先程の獣同士が暴れ尽くす戦いとは一転して、高めた技量で着実にグラウを追い詰めていく。
「うるせえ!」
グラウの力任せの斬り払い。 それを斜めで受ける剣により防ぎつつ、摺り足によって懐に入り込む。 リアナの技術を利用した肘打ち。 グラウが呻きながら後方に吹っ飛び、俺は追撃を行う。
「ハクさんが、グラウさんに世界の平和とか、願ったとは思えません。 だって……僕と似ているんでしょう」
剣と剣が打ち合い、大きな音が鳴らされるがエルの小さな声は掻き消されない。
「僕なら、そんなどうしようもないときは、こう言って願います。 頼みます」
俺とグラウの剣が同時に折れる。
「ーー僕のことは、忘れてください」
だからグラウは忘れた、母親の願いを。 それでもグラウの全ては母親の願いで、思い出せない願いを叶えようと剣を振り続けた。
俺の拳がグラウの横面を殴り飛ばして、グラウは木の根を背に倒れ込んだ。




