VSエル③
「待ってください! アキさん、逃げるのは卑怯ですよ!」
「エルの方が卑怯だ! 強さで決めるのなら、そういう取り引きはおかしいだろ!」
森の中でエルに追い回される。 走れば、エルの20倍は早く走れるのでいくらでも逃げられるが、エルが何かに襲われる可能性も考えると一定の距離を保たないとならない。
「何のことかよく分からないですね……?」
わざとらしく小首を傾げるエルはとんでもなく可愛いが、今は悪魔にも見える。 天使なのに悪魔に見える。
ここまで露骨に誤魔化されると、いくらエルでも腹が立つ。 いや、そんなことはなかった。
「くそ! だが、俺は絶対に捕まらないからな!」
単純にエルとは距離を置いていればいいだけだ。
20mも離れていれば、エルが本気で走っても俺の元にたどり着くには5秒はかかる。 泥玉を投げても半分も届かずに落ちる。
距離を置いて走っていると、エルが立ち止まり、膝に手を付いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……しんどいです。 疲れすぎて倒れてしまいそうですね……」
「だ、大丈夫か! エル、今行くぞ!」
フラフラして、今にも倒れそうなエルの元に駆け寄る。
エルは俺に抱き抱えられ……手を動かした。
「アキさん、覚悟!」
騙し討ち。 エルから離れるが、距離が近すぎる。 回避ではなく、木剣で泥玉を弾き飛ばす。
「ひゃうっ! 失敗してしまい……」
弾かれた泥玉はべたりとエルの腰元に引っ付き、半ズボンの中心を汚す。
それを見たエルは、俺と泥の付いたズボン交互に見て、走ったことで赤みが減った顔を再び赤く染め上げた。
「あ、アキさんは……とんでもなく、えっち……です。
あの、その……流石に、これは……その、駄目……というわけでは、ないですけど。 許していただけ、ないですか?」
潤ませた瞳で、下から上目遣いをして俺を見た。 泥の付いた場所を、俺が洗う……洗う……洗う。
「ち、違うんだ、これはわざとではなく……」
思わず踵を返して、逃げ出す。
また先程のように追いかけっこを再開するが、エルは地面を見て俺を見ないようにして追いかけてくるように変わった。
「アキさんの、えっち」
エルの罵倒……耳が痛い。 男ならみんなこれぐらい……と思うが、よく考えたら男友達がいないので、どれぐらい性に関心があるのかが分からなかった。
とりあえず、エルよりかは欲求が強いことは確かである。 ……エルはむしろ嫌がるので強いのは当然だけれど。
「ああっ、転けてしまいましたー」
エルは走っていたはずなのに、何故か前に倒れるのではなく尻もちを付いて俺を見ている。 だが、そんな不自然さはどうでもいい。
「大丈夫か、エル!」
「ああー、すごく痛いですー。 アキさんがー、優しくしてくれたらなー」
エルの元に駆け寄り、怪我はないかを見ようとするがーー。
「騙されましたね! 覚悟!」
「なっ!」
エルの華奢な肩が唸るように振られて、泥玉が投げられる。 首を横に曲げて回避すると、近くの木の根元に当たる。
「卑怯だぞ、エル」
「騙される方が悪いんです!」
そう言ってからエルは再び泥玉を生み出して俺に投げつける。 同じように躱して、エルから距離を取る。
またエルが追いかけてくるのを待っているが、エルはなかなか立ち上がることはない。
「どうしたんだ?」
「その、尻もちを付いたときに、お尻を強く打ってしまったようで……。 痛いです。 打ち身になってるかもです。
あの、アキさん。 お尻が赤くなってたりしないか……見て、いただけませんか?」
「喜んで!」
「隙あり!」
エルから放たれた泥玉を回避する。 くそ、なんて完璧な作戦なんだ。 あんなことを言われたら近づいてしまうに決まっている。
エルは悔しそうに俺を見て言う。
「アキさんのえっち!」
「……エルがそんなことするからだろ」
またエルから距離を取る。
「それに、ずっとそんな変なポーズで馬鹿にしてきて、酷いです!」
「いや、これは、違うんだ。 馬鹿にしているわけではなく……」
前屈みになりながら、エルの言葉を否定する。
ここで普通に立てば、またエルからえっちと罵られるだろう。
後で謝ることにして、今は逃げる。
またエルと追いかけっこが始まる。 今度はもう騙されないと決めて、俺はエルから逃げ続ける。
暫く走っていて、エルが唐突に笑い始める。
「いひひ、ひひ。 アキさんはやっぱり単純ですね! おかしなことに気が付きませんか?」
おかしなこと? まわりを見渡すが、不自然な箇所は見つからない。
いや、エルの魔力が、ない? これだけ長々と追いかけっこをしていたのに。 それに……ヤケに、静かだ。
エルは手を上に上げて、指を鳴らそうとする。
「……」
「…………ぱちん」
口で言うのか。
エルの言葉に呼応するように、周りの景色が、変動する。
一転して、真っ暗な闇の中。 エルが浄化の光を発して、暗闇を払う。
そして見えてきたのは、四方と天井にある鋼色の壁。
「発動するのに時間がかかるので、罠として使わせてもらいました。
僕の魔力が、あんな津波とか突風程度でなくなるわけがないじゃないですか」
確かに、よほど効率が悪い使い方をしなければ、あの程度で切れるはずもないか。 こんな高密度の魔力を感じなかったのは……闇属性の隠蔽か? それに光属性で迷彩を施して、予め作っていたところに俺を誘い込んだ。
「じゃあ、あの風呂に一緒にとかは……」
「……アキさんが今から当たってくれるなら、本当にしても、いいです。 全部」
生唾を飲み込むが、我慢するしかない。
鋼色の壁は、一辺が5mほどか。 エルの魔力の大半がこの小さな箱に詰め込まれているとすると、破壊は難しいかもしれない。 荒鋼を手に持ち、高みへと朽ちゆく刃により壁に叩きつける。
予想に反して壁は破壊することが出来……壁の先に、また壁があった。
「高みへと朽ちゆく刃を魔法で防ぐのは、不可能です。
だから、鋼の壁、土の壁、鋼の壁、土の壁……と幾つもの壁を作っています。
鋼の壁を壊すには高みへと朽ちゆく刃でしか難しいですけど、何層にもなっているので何度も攻撃する必要があります。 つまり、逃げるには時間がかかります。 その間に、直したり改築します」
つまり、逃げることは不可能とエルは言っている。 確かに鋼の壁は固く、通常の斬撃での破壊は難しそうだ。
だが、確かに何層にもなっている場所を破壊するのは難しいだろうが、入り口……俺とエルが入ってきた場所はあった。
今は当然鋼の壁で埋めているだろうが、その入り口だった場所は、他の場所と違って少ない魔力で作る上に、充分に作れる時間もない。
その入り口は、エルの真後ろの壁! 荒鋼を強く握りしめて、エルの後ろに向かう。
「高みへと朽ちゆくーー」
「アキさんアキさん」
俺が刃を振り下ろそうとした時に、エルが半ズボンの端を摘み、少し持ち上げた。
「ふともも! あっ、いや、刃!」
下心にブレた刃は、高みへと朽ちゆくことはなく、通常の斬撃になる。 当然のように壁に弾かれ、手に痺れが走る。
「アキさんの弱点、高みへと朽ちゆく刃の欠点は把握しきっていますから」
エルは、してやったりと笑う。
エルとはもう半年の付き合いになり、ほとんどの手札はバレている。 その事実を思い出し、頰に一滴の汗が流れるのを感じる。
集中しろ。 もう一度、荒鋼をを持ち上げて、振り下ろす。
「高みへと朽ちゆくーー鎖骨!」
「いひひ、アキさんがそうしている間に、どんどん壁の枚数を増やしますよ」
エルが勝利を確信した顔で笑った。
ーーこのままでは、負ける!




