不殺の剣で、人を斬る方法を身に付けた①
絵本を隠しにいく旅も、もう終わりに近づいていた。
レイの案内の元で、様々な困難に立ち向かいながら、時に一人で時に協力しながら、迫り来る脅威を跳ね除けて、進み続けた。
当然のように牛歩の歩みで、死に物狂いに、生にしがみ付いての戦いだった。
「……こっからどう行くんでしたっけ?」
「知らねえよ。……えっ、忘れたの? 親戚ん家」
「忘れたわけじゃないですよ、ちょっと出て来なくて……」
それを忘れたというのだろう。 リアナとケトも疲れたような顔をして、ため息を吐いた。
「こんな森の中に人が住んでいるのか? 結構な人数がいるんだろう?」
レイ曰く、血を薄めないように、本家の人間以外は基本的に集まって、集落……というには人数が少なく豊かだが、小さな集まりの中で過ごしているらしい。
ひたすら近親での結婚を繰り返しているというのは、俺からすると非常に忌避感があり、闇のようなものを感じるが、当人の内の中でも、その集大成とでも言える本家の人間であるレイにそれを言うことは出来ない。
耐瘴気性が低いというのは、分かりやすく障害である。 何世代、何十世代……流石に何百とはいかないだろうが、それを意図的に引き起こしている弊害かは分からないが、レイやアキの親類には障害を持って産まれてくる人間が多いらしく、知能も低い者が殆どだとか。
昔の貴族もこれほど酷くはないが、障害を持ったものは多かったと聞くので、無関係ではないだろう。
遺伝子にまで欠陥を作って身に付けた「魔力」には凄まじいものがあり、アーク化していないエンブルク家の者でさえ一般人の数十倍はあるとか。 聞けば聞くほど、業が深い。
「いるはずですけど……。 魔力の感知にも引っかかりませんね。 ……あ、一人見つけましたよ。 でも、魔力が少ない? 使用人の方でしょうか」
とりあえずはその人の元に向かうしかないということで、馬から下りで森の中に入っていく。
鬱蒼とした森の中は魔力と瘴気に溢れ帰っていて、息を吸うだけでむせ返るような感覚に陥る。 気を抜けば、あまりに濃い空気に溺れて倒れてしまいそうなぐらいだ。
「この草とか木、魔力を持っているな。 魔物か?」
「魔物じゃないですよ。 魔物も混じってるとは思いますけど。
別に人も魔力持ってるけど、魔物じゃないでしょう」
まぁ、確かに。 普通の動物は魔力を持っていないので、微妙に感覚がおかしくなっているのかもしれない。
「お茶にして飲むと、魔力の不快感が癖になる感じでそこそこいけますよ」
「日本でいうところの炭酸水みたいなものか?」
魔物を食った時に感じるむわっと口内に異物感が広がっていく感覚を思い出しながら言う。 炭酸水とは違うか。
「さあ? 飲んだことないんで分からないですね。
炭酸水なら飲めなくもないと思いますが、変わったものを好むんですね」
ああ、炭酸ぐらいならこっちにもあるのか。 とは言っても、あの炭酸の苦味のようなものを消すには多くの甘味が必要だし、酸味や風味がなければよく飲んでいた炭酸水のようにはならないだろう。
別にそのまま飲むのも不味くはないが、懐かしい気持ちに浸るのは難しそうだ。
ケトが葉っぱを千切り口に咥えてから、すぐに吐き出す。
「苦くて魔力っぽいです」
「そりゃそうだろ。 というか野生に生きてんな」
そんな風に和やかに進んでいると、不快な臭いがして顔を顰める。
煙臭い。 山火事ではなく、煙草の臭さ、それに酒気が帯びられていて、極め付けに鉄臭さまで足されていて、人の脂臭さも含まれている。
非常に不快な臭いだが、ほんのすこしだけ懐かしい。 誰の臭いだったか、などと考えている内に、臭いの主が現れた。
酷く汚れた浮浪者のような汚らしい風貌に、血が張り付いていて、腐っていそうな木剣を携えている。
それなのに、鍛え上げられた肉体は太く力強い。
「グラウか!」
アキの師匠である、強い男の姿を見て安心感を覚える。 魔力が多すぎて、俺の魔力感知はほとんど働かなくて、魔物の不意打ちが恐ろしかったが、グラウがいればそんなことはなくなり、安全さは極端に増すだろう。
「ああ、久しぶりだな。 ロト、リアナ、ケト……それにレイ」
グラウの目は虚ろで、どこか遠くを見つめる。
小さく「ハク」と人の名を呼んでから、グラウは木剣を地面に突き刺した。
「どうしたんだ? こんなところで、前に言ってた目的のためってやつか?」
「ああ、目的のためだ。 だから、ここまで来たんだが……」
「前に聞いていなかったけど、目的って何なんだ?
ずっと戦ってるし、魔王を倒すとか?」
世間話のつもりでグラウに尋ねると、グラウはへらりと笑ってから首を横に振る。
「ちげえよ。 もっと大きなことだ」
「もっと大きなこと?」
思い浮かぶことはなく、俺は首を傾げる。
「世界平和とか?」
ふざけて言ってみると、グラウは少しだけ驚いたような表情をしてから、笑いながら頷いた。
「まぁ、端的に言えば世界平和だな。 すべての魔物を殺すのが目的だ。
ああ、アキレアとか、ヴァイスとかは除いてな」
届け終えたら、このおっさんと旅をするのも面白そうだ。 鼻のいいケトは嫌がるかもしれないが。
久しぶりの再会に嬉しく思っていたら、グラウが煙草を手に取り、口に咥えながら火の魔法を発動して火を点ける。
「んで、なんでこんなとこにいたんだ? レイの親戚ん家に用でもあったのか?」
「いや、違う。 俺の用はお前だ」
「は、俺?」
グラウはゆっくりと地面から剣を引き抜き、俺に向ける。
リアナが及び腰になりながらも剣を引き抜き、グラウを睨んだ。
「どういうつもりだ」
グラウは気にした様子もなく、俺たちに告げる。
「脅迫のつもりだよ。
絵本を寄越せ、それが必要なんだよ」
……は?
腹に巻きつけてある絵本を軽く触れる。 魔物が寄ってくる、破壊の出来ない謎の絵本。 その概要も分からないのは変わりないが、魔物に渡してはならないことは知っている。
「……魔物寄せとして使うのか? 調節が効かない上に、奪われたら駄目ってことで、ない方がいいという部類のものだと思うぞ?」
「違う。 ただ、それが必要なんだ」
「理由を言ってもらわないと、渡すことは出来ない
」
「世界平和のためだ」
そう言いながら、グラウはゆっくりと俺たちの元に歩いてくる。 理解出来ない。
俺はアキとは違ってグラウとの関係は薄く、性格やその思いは知らない。 故に武器を握って歩いてくるグラウを信頼することが出来ず、虚空から短剣を引き抜いた。
「……どうやって使うんだ?」
「それは言えない」
グラウが手を伸ばす。
渡してもいいのか? 渡すべきなのか? だが、グラウの目は虚ろで俺を見ていない。 正気を失っているようには見えないが、常と同じような状態には見えない。
「お前は傷つけたくない。 アキレアの友人だからな」
まるで最終勧告のようにグラウは言って、そのまま黙って様子を伺うと、頭を乱雑に掻いて、木剣の先を俺に向けた。
「斬る」
グラウの宣言。 リアナが駆け、ケトが狼狽え、レイが魔力を練る。
突然の敵対にも、慣れたものだ。 短剣を投擲し、グラウがそれを斬れ味もないはずの木剣で斬り払い、土に落ちる。
「……よく分からないが、敵なんだな」
俺の問いに、返答代わりのように刃が振るわれた。 リアナの剣が根元から斬り伏せられ、丸太のように太い脚がリアナを蹴り飛ばす。
完全に敵と見なすには十分な行為。 全身から風を放出しながら、幾十もの短剣を飛ばした。




