変わらぬ日々などないと知りつつ④
「いえ、別にちっちゃい女の子が好きなのはいいんですけどね? そのおかげで一緒になれたわけですから」
明らかに勘違いしているエルが、何かよく分からない助け舟を出すけれど、別に小さな女の子が好みというわけではない。 そもそも、エル以外の女性に好意を抱いたことがないのだから、好みも何もないのだが。
「あ、私はしっかり引いてるからね! もうササッと帰りたくなってきたよ!」
月城は笑いながら言うが、目は笑っていない。
何とか弁解しようとするが、何と言えばいいのかが分からない。
「……小さなエルが見たいだけで、幼い子に興味があるわけじゃないからな」
「嘘つけ!」
「……えっ、興味があるわけじゃないんですか?」
これ以上責められると心にきそうで、諦めて後で二人きりの時にしてもらうことにする。
そろそろ時間ということもあり、三人で食事を取りに食堂に向かう。
「月城さん。 あっちでは、僕が逃げてばかりであまり仲良く出来ていませんでしたけど、戻っても、仲良くしてくれますか?」
「うん、当然だね。 また五人で……いや、六人でドーナツでも食べにいこっか。 まぁ、もうちょっとこっちにいるけどね」
エルが諦めたように微笑んで、月城を見た。
「僕、最近、月城さんの言っていたことが少し分かるようになってきたんです。
変わらないって、いいことだなって」
激しい喜びもないが、慎ましく別れの恐怖もなく過ごすことができる。 それはどれほど幸福なのか。
あとどれほど、エルの手を握っていられるのか。
目に見えるように魔物からの攻撃は改善していっていて、何の問題もなく世界は魔物から救われている、という事実がある。 流石エルだ。
だけれども、酷く焦燥感がある。 何かが薄い毒を巻いているような違和感。
そんな勘は意味がないと、放っておいて夕食を食べた。
月城と別れて、俺の自室に戻る。
少しだけエルの匂いの混じるベッドに倒れ込むと、エルが旅に出る前にこの部屋においていた荷物を取り出しはじめる。
「まだ眠たくないので、早速翻訳をしてみたいと思います。 アキさんもしますか?」
頷こうとすると、横に木剣と荒鋼が見える。 久しく握っていなかった武器に手を当てると、嫌に吸い付く。
「……少し、庭で運動をしてくる」
エルを置いて、武器を手に取って外に出る。
軽く木剣を振るうと、何ヶ月も前に振っていた感覚と何も変わらずにその斬撃を再現出来てしまう。
「アキさんは戦わないでください」。 エルに弱いと認められた幸福。 もう痛い思いも、辛い無力感も味わうことはない。
いいことのはずなのに関わらず、不快なほどに武器を握らぬ手に違和感がある。
戦に生きる、などと言えはしない。 俺は戦いが嫌いである。 そのはずが、意識を奪われるように剣を握らされる。
ーー高みへと朽ちゆく刃。
思考に鈍った剣は、高みへと朽ちゆくことはない。 普通よりも速い程度の木剣が風を凪ぎ、落ちる木の葉を両断する。
息を整え、剣を片手に持つ。 焦燥に釣られるように剣を振るう。 当然のようにまたしても失敗になってしまい、悔しさに歯噛みする。
エルの笑顔を考える。 とりあえず振ってみる。
常道では決して至ることは出来ない、その影の視認すら不可能な一閃が放たれた。
「……はぁ」
ため息を吐いて、木剣を強く強く握り締める。
魔物としての感覚。 より強い者を恐れる弱者の生きる術。 それが俺に「強くなれ」と訴える。
エルに弱いと認められた幸福。 だけれど、それを返上しなければならない時が来たのかもしれない。
木剣を構えて、頭の中に仮想敵を生み出す。 例えば、百の軍勢、百の槍、百の矢。 どんな状況がくるのかは分からないけれど、攻撃する術ではない、守るための剣がほしい。
想像する、エルが後ろにいる、一歩足りとも引けない、一矢足りとも通せない、高みへと朽ちゆく刃では対処しきれない、そんな場を。
「…………盾か、あるいは壁か」
真っ直ぐに構えて、百の矢を迎えうつ。 斬りはらい、打ち払う。 すぐに間に合わなくなり、高みへと朽ちゆく刃に頼って切り裂くも、振り切った後にもう一矢、無理矢理に筋肉を使って刃を返すが、また矢がーーーー背を向けてエルを庇うが、次々に刺さり、俺の骨肉を越えてエルに矢が刺さ……。
頭を振って嫌な想像を振り払う。
今の技だと、大多数に射られてしまえばエルを守れない。 もっと動きを少なく、必要最低限のみしか動かないような精密な剣技でなければならないか。
再び矢とエルを脳内に生み出す。 脳内エルを無茶苦茶にしたい欲求に駆られるが、首を横に振って集中する。
一矢目を軽く弾き、二矢目、三矢と繰り返す。 幾つもの矢を処理していくが、矢に押されて手が痺れてくる。 七十を越えたころに、一本の矢に剣を弾かれーー。
「ッ……!」
また嫌な気分になる。 それだけの矢からエルを守るのは不可能なのか?
そんなはずはない。 矢はグラウほど力強くも、ロトほど変幻でも、レイほど重くもない。 ついでにエルほど可愛くもない。
出来るはずだ、想像を繰り返す。 もっと、正確に、矢の先端からほんの少しずらした場所に刃を押し当てて、弾くでも切るでもなく、逸らす。
それは紙一枚のズレでさえ許されないほどの精密性が必要だが、決して不可能ではない。
矢は俺の剣が届く範囲にきたと共に横に逸れて、俺とエルを避けるように地面に突き立っていく。
飛来物の斬れ味と破壊力のないところを薄刃によって押し当てて、軌道を、角度を、ほんの少しだけ逸らす。
手には痺れもなければ、振りすぎて追いつかないこともない。
「これだな」
薄刃による遠距離攻撃防御技。 薄刃の剣界とでも名付けるか。 何度もその想像を繰り返し、失敗した箇所を修正していく。
幾度も繰り返すうちに、全身の筋肉を十全に扱う技、高みへと朽ちゆく刃とは逆に、限りなく力を使わない形に落ち着いていく。
刃は高みへと朽ちゆかない。 全身を剣が如く、振り回すような高みへと朽ちゆく刃は、使えたとしても俺には扱いきることが出来ない技だと、今になって理解する。
俺はロウに似ているようだが、決定的に違う。 俺にはエルがいて、ロウの横にはもう俺の母親はいないのだ。
それ故に、高みへと朽ちゆくことが出来る。 自身を刃のように乱雑に扱うことが出来る。
俺は……エルの隣に、前にいなければならない。
俺の刃は高みへと朽ちゆくことはない。 使いはするが、その技に頼ることは不可能だ。
薄刃の剣界。 高みへと朽ちゆく刃とは対称的な動かない剣技。
自身の射程、動き、軌道、相手の射程、動き、軌道により導き出される最善手。 数多に降り注ぐ悪意から、俺とエルを囲う世界。
時はいつの間にか流れていて、月明かりでしか物を見ることが出来ない。 緩く風が吹いていて、冬の夜の風は嫌に身体を冷やす。
何時間も身体を動かさずに考えていたのに、身体が冷えた感覚はない。 決して気温がおかしなわけでもないのに、身体はまだ暖かい。 特に背中が暖かく、少し重たい。
振り向くと、俺に寄りかかって目を閉じているエルの姿があった。 少し冷えている身体に上着を掛けて、背と脚に手を入れるようにして抱き上げる。
小さく「アキさん」と呼ぶ声が聞こえたが、目を開ける様子はない。 夢の中でも俺と一緒にいてくれているらしい。
眠っている少女の頬に唇を軽く触れさせる。 冷えた頬は、触れていることが分かりやすくて、それが存外に心地よい。
「好きだよ。 エル」
木剣と荒鋼は後で拾うことにして、今はエルをベッドに運ぶ。 自室に入り、ベッドにエルを置いて、布団を掛けてやるが、その布団が冷えていることに気が付いた。
冷えた身体に、冷えた寝具。 ほんの少し、温めていこうか。
分かっている。 ずっとこうしてはいられないことは。 それでも俺は、この日々が変わらず続いていくことを望んでしまう。




