幼き罪を忘れぬように⑤
人が死んだ。 物がポキリと壊れるように簡単な死に様だった。
この世界での人の死を示す、瘴気。
紅い気体のような物が男の身体から流れ出ていく。 隣の少女はその死に様を見ることも出来ずに倒れている。
血が燃え滾る。 およそ人の身体が持てるだけの熱量を越えたかのような感覚に陥ってしまう。
身体は動かせない。 魔力も瘴気も先ほど使い切った。
だが、瘴気に関しては一つだけある。
「来い! 俺が殺してやる!」
俺の言葉に従うように、男から出てきた瘴気が俺の身体にまとわり付く。
発光と共に全身の細胞が補われていくように、再生していく。 おおよそ、マトモな治癒魔法とは違うものだろう。
治癒をする代わりのように、異常なまでの意思が流入される。
「ルーナ」
その言葉は、俺が吐いていいようなものではないことは理解している。 だが、それでも感情が昂り、中に入り込んだ男が言い放った。
「絶対に、守る」
少女、ルーナには聞こえていないことを祈ろう。 娘を守りたいという意思が、俺の怒りを加えて女への殺意へと変質する。
「ああ、すごいね。 君は、名前は」
答える義理はなく、ひたすらに睨み付ける。
人の魂を燃やして行われた治癒が俺の皮膚を取り戻し、失った内臓を補う。
名乗るべきは、勇者の名か、それとも俺の名か、あるいは俺を直すためのエネルギーとして消費されている男の名か。
名乗る義理はない。
「お前が殺した者が、お前を殺したがっているぞ!」
女が俺に向かって酸の水流を放つ。高圧により線のように放たれた酸に向かい手を伸ばし、腕を引く。
虚空から引き抜かれた刃は幅広の剣の形を成してその魔法を受け止める。
半壊するが、すぐさまそれを捨てて同じような剣を二つ取り出す。
正面から受け止められることを想定していなかったのか、焦ったような表情をしたあとに、半円形の硫酸の盾を展開する。
魔力も感じるため、これは魔法であることは分かるが、こんな魔法は存在しない。
存在しない魔法。 エルちゃんのエリクシルのような、能力と魔力の組み合わせによる強力無比な力だが、弱い。
この程度の壁ならば容易く貫いて見せる。
全身の筋肉を駆動しからだを引く、両手の指の間に挟むようなイメージで虚空を掴む。 片手で四つの短剣を同時に引き抜き、両手合わせて八つの短剣。
仮想敵は本気を出したアキレア。 それを倒せるような威力と速さ。
技名は口に出すことはないと思っていたが、吐き出されるように口から出る。 神に与えられた能力を使った技。
「神技、塔壊の風斬り」
単純に、ひたすらに短剣を投げながら、それと同じ速度で突っ込むだけの技。
一歩進むごとに八つの短剣を投げ、同時に走る。 ほぼラグもなく半円形の硫酸の盾へとぶつかり、容易にそれを打ち崩す。
「やっぱり、これだと無理かな」
女はそう言ってから、また魔法を発動する。 先ほどよりも明らかに小さな半円形の水の盾。
貫こうとそれに短剣を突き出すが……女の声がヤケによく聞こえた。
「シールド・マーキュリー」
触れる瞬間に盾は銀色に染まり、ずぷりと俺の短剣が飲み込まれるが、それを押す感覚が異常に重く貫くことが出来ない。
硬い、液体。 いや、重い液体。
水銀の盾……。 もはや常温で液体である事以外に水と関連がないように感じるが、能力というのはすべて無茶苦茶なものだ。 思考を停止することなく、その性質を確かめる。
もう一度、短剣を振るうが、容易く受け止められたので引き抜くことは諦めて手放す。
その重い質量のせいか、硫酸や水ならば容易く貫く短剣も簡単に受け止められる。 明らかに防御能力が向上していて、魔法故に隙を突くというのも難しい。
もう一度、塔壊の風斬りをしてもいいが、防御を貫けなければ無駄に体力を使うだけだ。 初めから本気を出して来ていなくてよかったと考えるべきか、ここまで本気を見抜くことが出来なかったことを後悔すべきか。
そもそも……なんでこの女は、初めから水銀で攻撃をしなかったんだ。
ただの舐めてかかってきたからか? いや、それならば硫酸の雨を降らせるなんてハメ殺しの技を使うことはなかっただろう。
つまり、水銀の雨では不都合があった。 殺傷能力なら、質量もある水銀の方が強いかもしれない。 天からあんな重い物が降ってきたら死ぬ。
この女の場合は能力を再使用するなりして水に戻せば……。 いや、水に戻せば勢いは減るのか? 運動エネルギーが消えてなくなるのか?
そんなことを確かめる術はないが、考えられるとしたらそれだろう。 水銀の重さに女自身が耐えられないから雨としては使用しなかった。
ならば、今の今まで魔法の水を水銀にしていなかったのは何故。 レイの魔法を思い出す。 大質量を生み出し、重力で降らせる魔法。
無属性魔法以外は、魔法で生み出した物も普通に重力の影響下にある。
つまり、水銀の盾は非常に重たいので、同じの魔力では支えきれないのではないだろうか。
だから、硫酸の盾は大きな半円形なのに対して、水銀の盾は小さい……。 その可能性は十分にある。
短剣を二つ投げつけると、硫酸の盾が短剣を阻む。
仮定が確信へと変わり、再び身体を捻り、両の手に八本の短剣を握る。
投擲と突撃、連撃ではなく一撃。 五十を越える刃は同時に硫酸の盾に当たり、硫酸を爆ぜ飛ばしながら貫いた。
硫酸の防御を貫き、女の顔が目の前に迫る。
短剣を投擲するのと同じ構え、最も俺が得意としている技。
投擲とは違い、強く強く握りしめた短剣が女の顔面へと届くーー。
ビシャ、と間抜けな音が響いて女の顔が潰れた。
「……は?」
人を刺した感覚ではない、これはまるで水をーー。
「思ったより厄介だね。 私もバトるのが苦手だから、また来させてもらうよ」
何処からか響く声。 魔力はすべてこの水人形に置いていったのか、見つけることが出来ない。
くそ、くそ、くそ。 殺せなかった。 そんな憤りと同時に守ることが出来てよかったと安堵する気持ちが生まれる。
ルーナ。 少女の元に向かう。 真っ黒に焦げていて今も死にそうな姿だが、何故だか生きている。
女の言っていた魔物という言葉を思い出して首を横に振る。
アキは魔物ではない、魔物だとしても人だ。
少女の身体を抱きあげて、歩く歩く。
全身に感じる強い痛みに顔が歪む。 死にそうになりながら、歩き歩く。
途中、急に身体が軽くなって、また歩いた。
それほど歩いていないはずなのに、馬車が見える。 あれ、なんでこっち向きに来ているんだ? もしかして道に迷ったのか。
「ロト!」
リアナが俺に向かって走ってきたと思ったら、いつの間にか倒れていた俺の身体を抱き止める。
「リアナ、ケトを呼んでくれ。 怪我人がいるんだ」
「怪我人って……その子、もう……息を」
「いいからしてくれよ。 こいつは守らないといけないんだ」
あの男の遺志なんだ。
リアナに無理矢理押し付けて、地面に倒れ伏した。
◆◆◆◆◆
目が覚めた。 俺の隣にはレイがいて、何を考えているのかが分からない目を外に向けていた。
腹の上にはリアナが頭を乗っけていて、そこがヤケに痛い。 全身に感じるのはケトの治癒魔法か、暖かい。
「除けよ、馬鹿。 重いんだよ。
ケトは、俺より先にルーナを治してやってくれないか」
「イダッ……。 あ、ロト、起きたのか」
どこか歯切れの悪そうなリアナは目を俺から逸らして、顔を伏せた。
「あの、ロトさん……」
ケトも同じように俺から目を逸らして、治癒魔法に集中するようにした。
「ああ……」
リアナが俺の頭を撫でた。 涙が漏れ出てくる。
「痛い。 痛いんだよ」
傷だらけなんだよ。 と、毒づいて、リアナの腹に顔を埋めるように抱きしめた。
「痛えんだ」




