幼き罪を忘れぬように④
異臭の中を走り抜ける。
「あっ……! お父さんと、お母さん……は?」
少女が俺を見つけたのか声を上げたが、首を横に振るって否定する。
「一人だけだ。 一人は俺が殺したと言っただろうが」
見えない少女を無理矢理に抱き上げて、硫酸の雨の中、再び走る。 何故か治っていた脚が再び潰れていくのが分かる。
まとまりのない感情に任せて、背負い走ったのはいいが、現状を解決出来るだけの術は思い浮かばない。
魔力も尽きる、息も保たない、脚は潰れ、背負っている二人も虫の息だ、解決出来るだけの策もない。 だが、絶体絶命と言うには余裕がありすぎる。
二人を捨ておけば間違いなく助かる。 それも二人は敵だ。
そう考える自分の弱さが嫌になる。
絶対に許すな。 自分の弱さも、敵の勇者の悪辣さも。
アキレアならどうする、エルならどうする、レイなら、ケトなら、リアナなら…………怒るに決まっている。
魔力がなくなり、直に硫酸の雨が身体に降り注ぐようになる。 痛みを感じる為の冷静さは怒りに乗っ取られ、感情のままに直進し続ける。
既に背負っている二人は反応なく、生きているか死んでいるかも分かりはしない。
こんなこと、許せてたまるか。
ひたすらに歩き続け、雨が止んだのか、雨がないところまでたどり着いたのか。 限界を超えて酷使したせいか炭化した身体が倒れ込む。
背中の二人は生きている。 その喜びも怒りに溶かされて消えていく。
風が揺れるのを感じ、強い怒りがより一層に燃え上がる。
「お前か! 殺してやるぞ!」
何もない場所に向かって叫ぶが、返事はない。 魔力は感じるので、いないわけではないだろう。
二人を背負ったまま倒れ込んだせいで下敷きになっているが、何とか抜け出し、虚空から短剣を引き抜く。
男の声が聞こえた。
「既に満身創痍。 能力は短剣を生み出すだけのもので、魔力は使い切っている。
まさに風が吹けば倒れて死ぬような状態だな。 俺が赴く必要もなかったか」
短剣を生み出すだけではなく、長所を見ることが出来る能力もあるが、わざわざ教える必要もないだろう。 それに今回は視認出来ないせいで見ることも出来はしない。
だが、一つは言い直す必要がある。
「……風が吹けば、前に進みやすくなる」
両手に構えた短剣を同時に投げつける。 腕が千切れるような痛みが走るが、それと同時に前へと駆ける。
虚空からシールドが生み出されて短剣が一瞬だけ止められる。 ガラスが割れるような軽い音が響き、そのまま短剣が直進していくことから回避されたことが分かる。
強くは、ない。 透明化の能力こそ強力ではあるが、魔力は並程度で身体能力も高いとは感じられない。
幾つもの短剣を引き抜きながら敵のいる方向に駆ける。 敵の魔力が迸り、それが変質する。
発光し、音を鳴らして吹き出すようにその場に顕現された。
「雷……!」
初めてみる魔法に顔を歪める。 見た目の通り雷速だとすると防ぐ術は少ないが、所詮魔法は本物とは違う。
俺の風もレイの土も違う。 火属性の魔法も本物の火とは違い、酸化によってエネルギーを取り出しているのではなく、直接魔力が熱と光に変質しているだけである。
本物の電気ならばああやって留まることもあり得ない。 そう腹を括ってから愚直に突っ込んだ。
轟音が身体に響き渡り、身体が動かなくなり倒れ込む。
「弱いな。 これなら流水の手を借りるまでもなかったか」
うるせえ。 殺してやる。
既に痛みや身体の痺れさえ感じられないほどに弱っているが、それでもまだ動ける。 動け。
俺を狙った理由を聞き出すつもりだったが、もういい。 殺す、許すことはない。
俺が殺した奴のことを思う、俺を頼った少女や、俺を刺して助けようとした男を考える。
正常に動いているとは思えないハラワタが焼き焦げた皮膚より熱くなり、怒りを強める。
俺は誰の怒りで動いているのか、少なくとも、自身の怒りではない。 同情ではなく三人から怒りを盗むように、ひたすらに怒りが強まっていく。
「斬り殺してやラァ!!」
能力を使用して両手から剣を引き出す。 距離はもう近い、投げやすい短剣ではなくリーチと威力のある長い剣を抜き放つ。
「まだ生きて……! ああ、消えるまでちゃんと殺さないとな!」
電撃が放たれて、身体が動かしにくくなる。 平衡感覚を失い倒れこみそうになるが、倒れる前にもう一歩踏み込む。
またもう一歩。 そして倒れ込みながら刃を振るう。
甲高い金属音が鳴り響き、剣が弾かれる。 電撃に身体が焼かれて身体の動きが止まり、左肩に鋭痛が走る。 血が流れ出るが、今更この程度の傷など関係はない。
もはや怒りのみで繋ぎ留めている意識が、身体の限界を超えて腕を稼働させる。
再び刃が遮られる。 金属音ではない。 微妙に鈍い感覚からして、獣の皮だろうか。
革鎧ならばそれごと切り裂くのも不可能ではない。 腕を引くようにして剣を引くと、その鋸のような形状の刃が皮にめり込み、引き裂き、抉り切る。
感覚が軽くなったと同時に汚い音が聞こえる。
「グアヴヴウウウゥゥゥ!! いでえええぇぇえ!!」
なんだ、この程度か。 ちょっと切れた程度で悲鳴をあげて、動きが鈍る。
集中力が切れたのか、透明化がなくなり姿が見えるようになる。 泣き叫ぶ小汚い男の顔が見える。
弱いな、こんな奴が、この程度の奴が……! こんな雑魚のどうしようもない屑が!!
引き抜けば、腕が肩の辺りから千切れて落ちる。 可視化された腕を一瞥してから、首があると思われるところに剣を伸ばす。
「悪いが、それを殺してもらうのは困るな」
高い女性の声が聞こえる。
「アシッド・ショット」
腹が貫かれる。 身体が動かせなくなり、その場に倒れ込む。
眼だけ動かして睨むと、二十は越えているであろう若い女性が俺と男を見下ろしていた。
「てめえが! こいつらを!」
「……? ああ、これ?」
女は倒れていた二人を足の先で突く。
「それは誤解かな。 これを用意したのはそっちの下田さんで、私は分かってなかったよ」
「これと、呼ぶな!」
人をなんだと思っていやがる。 叫ぶと同時に血が口から吐き出される。 死ぬ。
「……? あっ、これ、人じゃないから大丈夫大丈夫。
これは人っぽいけど、実は魔物でさ、条件を揃えたら作れるの」
なんだと、と疑問を抱くが、質問するよりも前に身体が蹴り飛ばされる。
「俺の腕を! この、クソガキが!」
男は治癒魔法も使えたのか、肩の血が止まっている。 幾度も俺を蹴り、踏み付ける。
呻くことさえ出来ずにやられ続ける。
「下田さん。 殺すのはいいんだけど、それはちょっと引くわ」
「うるせえ! 俺はこいつに腕を!」
「……腕を元に戻してあげようか?」
女は手元に液体を生み出す。 男は一歩後ずさり、俺から足を退ける。
腕を元に戻す、殺して日本に返すということか、随分と荒っぽい治療法だ。
「殺すなら、痛みが少ないようにサクッと殺して日本に返してあげないとね」
「……分かったよ」
小汚いオトコが剣を拾い、振り上げる。 死ぬ、死ぬ死んだら死んでしまう。
死ぬ前にこいつらを殺さないと、許すことは出来ない。
「グオオオオオオオオオオ!!!! 死んで、堪るかよ!!」
岩の巨人が行っていた詠唱もない瘴気魔法を中心に、男との戦闘が始まってから溜まったほんの少しの魔力、それを手から発して、同時に短剣を引き抜く。
手先から空気が爆発し、握られた短剣が吹き飛ばされる。 飛んだ短剣が男の首に突き刺さり、男が叫び声をあげる。
男が首を抑えながら後退し、倒れ込む。
「あれ、まだそれだけの魔力があったんだ? いや、瘴気魔法かな?
……殺すには惜しいかもねー、一人減っちゃったし」
男が光の粒子となりながら、天に還るように消滅していく。
「どー、しよっかなー?
仲間になってくれるなら、生かしてあげるけど」
「生かして……」
その女の言葉は嫌に魅力的に聞こえた。
「そうそう、いいでしょ」
「あの二人を、助けて……くれるの、か?」
確かめるように聞くと、女は笑った。
「いくら私でも、もう死んでるのを蘇らせるのは無理だよー。いや、まだ生きてるのかな?」
女は汚いものにするように足で踏んで確かめる。
「あっ、今ので死んじゃった」
また、人が死んだ。




