幼き罪を忘れぬように③
それが正しいことだったとは思えない。
だが、俺が間違えているとしたら、その正しいことが誤ちであると断言出来る。
「大丈夫かよ」
返事はない。 これだけの時間なら、まだ全身火傷の大怪我程度であとで治癒魔法を施せば死にはしないだろう。
攻撃してくるかと思ったが、攻撃はない。 返事もないが、ただそこにいることは分かる。
アキレアが唯一使える、魔法の中でも簡単な部類に含まれるシールド。 練習中は一度として成功しなかったが、今は何のミスもなく上手く発動出来る。
守るための魔法だから、守るときには使える、なんて出来過ぎだろうか。 精神に左右されるものだから、出来過ぎでもないか。
「何人いる。 何処にいる。 助けてくるから教えろ」
驚いた顔をしている。 見えはしないがなんとなく表情が分かるように思える。
苛立ちが募る。 これを行ったのは日本人のはずで、俺と同じような場所で過ごしていて、これが許さない悪であることは分かっていたはずだ。
だからこそ、腹が立つ。
「早く教えろよ。 俺が助けてやるって言ってるだろぶっ殺すぞ。
もう一人、殺してるけどよ」
乱雑に言い放つと、漏れ出るような声が聞こえた。
「ぁ……」
人数と場所を知ったところで俺に助ける方法はあるのか。
アキレアのように高い身体能力とシールドに特化した魔力があればどうにでもなるだろう。 エルちゃんのように膨大な魔力と高性能な治癒魔法があれば救うことが出来るだろう。 レイのような強力な土魔法が使えたら、辺りを覆い尽くすことも可能だっただろう。
苛立つ。 不快だ。
「助けられねぇだろうが! それじゃあ!」
こんなのただの八つ当たりだ。
それに言われたところで助けられなかったのならば、言われなければ俺の責任ではなくなる。 そんな考え方すら不快だ。
アキレアなら敵のことなど、そもそも気にしないだろう。 エルちゃんならもっと本気で。 レイなら、リアナなら、ケトなら、グラウなら……俺よりもまだマシな思考をしている。
結局、俺は偽善的で我儘なだけだ。
「あっちの方と、あっちの、方に……あと、一人」
言ってくれるな。 そんな思いとは裏腹に、見えないそこから少女の声が聞こえた。
自分のやっていることに理解が出来ない。 足元に落ちていたものを拾い、身体に風を纏って走り出した。
強い雨が降り注いでいるせいで、そこそこいい視力をしているはずが、辺り20m程しか見渡すことが出来ない。
それは助けるべき敵も同じなのか、弓矢が放たれることもない。 いや、もう死んでしまっているのか。 一人は俺のシールドにより命を繋ぎ止めていて、一人は俺が殺した。 残りは一人だけで、生死も不明だ。
風で弾ききれなかった硫酸が身体に掛かり、焦がし溶かす。 激しい痛みに魔法が解けそうになるが、歯をくいしばる。
死ぬか。 死ねばもう一人も死ぬ。 死ぬわけにはいかない。
もう人を殺した癖に、俺は何をしているのか。 何でこんなにも怒っているのか。
「出てこい! 助けてやるから!」
叫び声は雨音に掻き消される。 このままだと持たない。
まだ使いたくはないが、使う他ない。 助けられない。
「君が望むは贖罪の時、俺が望むは許容。 その機会を与えよう。 魂削り、言葉を発さず、生きもせずに、この時を過ごす機会をーー!」
助けたところで敵対するかもしれない。 だが、それでも俺の怒りは収まらない。
腹が立つ、苛立つ、心臓が破裂するかのように大きく膨れ上がり、握り潰されると錯覚する程に力強く縮み上がる、ハラワタは煮えくり返り、全身の毛穴が逆立ちながら強い怒りを示す。
「この世に残る罪悪を感じてんなら! 人を生かしてから消えていけ!」
八つ当たりの言葉を吐き散らかし、その魔法名が喉の奥から湧き出る。
「空・語りの霊」
俺の怒りに呼応して、辺り一帯の瘴気が風のように流れ、爆ぜるように動き始める。
操れるはずの魔法が俺の意思を越えて、大きく動き出し、辺り一帯から硫酸を弾くように竜巻が巻き起こる。
一瞬だけ雨を全て飛ばし、晴らしたかと思うと徐々に規模が縮小していく。
感情が昂りすぎて卸しきれなかった、瘴気魔法が消える。 見つけろ。 視界が晴れている内に。
目を見開きながら見回す。 一箇所だけ、ほんの少しの緑色が見える。
透明な何かが屋根になって硫酸が当たっていないとしたら。 足元を爆ぜさせるように空気を操り、それと同時に跳んで急加速を行う。
もしかしたら、透明にされている人間ではなくて罠の可能性も。 そんなことを考えているのに、俺の手は迷わずに緑色の草に突っ込む。
何かに阻まれるように手が止まり、手を溶かして焦がす。 熱い。 それが人が生きてるからの熱さなのか、硫酸に焦がされている故の熱なのか、あるいは俺の手が焦げているからか。 そんなことは分からないが、その人間の身体を無理矢理持ち上げる。
「ゔぁ……ッッッてえなあ!」
長い間、硫酸の雨に浸かっていた人間を抱き上げたせいで、全身が焼き焦げ、溶かされる。 せっかく魔力を使って弾いていたのが無駄になったが、おかげでこの人間を持ち上げる事が出来た。
後はーーどうすればいい。 あの助けた少女の元に向かって……。 全身に痛みを感じる中、腹に異物感を感じる。
口から血が吐き出される。 風の魔法が解けて、身体が硫酸の水溜りに倒れる。 肉の奥底まで溶かされて焦がされているのを感じる。 肉どころか骨が炭に変質していることさえ。
「約束だ! 俺たちを、解放しろおおおおおお!!」
ヤケに遠く、近くから男の叫び声が聞こえた。
そんな叫び声も草原に響くことはなく雨音に消えていく。 掠れている視界から、自身の腹から血が漏れ出ているのを知り、助けようとした相手に刺されたということに気がつく。
「おい! 聞いているのか! 返事をしろ!! 何故、この雨は変わらない! 何処だ! 何処にいる!
殺せば俺たちを解放すると! 言った……だ…………」
直ぐ近くで、何かが水の上に落ちる音を聞いた。
「何故、嘘……死ぬ、死ぬ……。 ルーナ、レノ……死ぬ、死なないでくれ……」
動かない身体の中、怒りのみが全身を駆け巡る。 虫の息、死の間際の癖に心は酷く暴れ動く。
許せるか、許せるか、許せるものか。
俺の目の前で、木枯らし程度に収まり完全に縮小仕切った竜巻が紅く染まる。
縮小したのではなかった、規模こそ小さくなったが瘴気の量も力強さも変わらない。
いや、俺の怒りに伴うようにより熱く紅く変質している。
その瘴気の竜巻をーー思い切り、大口を開けて、硫酸ごと吸い込んだ。
瞬間、俺の全身が引き裂かれる。
全身が弾け飛び、血と臓物を撒き散らしながらーーその様子を見続ける。 不思議と痛みはなく、思考も続く。
勇者だから、このまま日本に戻るのだろうか。
「そんなわけにーーいくか!」
叫び声をあげて、怒鳴り散らし、拳を握りしめて、水溜りを弾くように踏み荒らす。 透明な人の形をした水溜りに手を突っ込んで引き上げる。
再び手に痛覚が戻り、手が焼き焦げる。
「ぅ……」
「次に刺したら許さねえ、ぶっ殺す」
そう言ってから、これだと前に刺された分は許すと言っているように聞こえることに気がつく。
「とりあえず後でぶん殴る」
なけなしの魔力を吐き出して、抱き上げている男と俺の周りに風の鎧を展開する。
少女のところにあるシールドは解けてしまっているはずだ。 急いで戻らなければならない。
「だから、生きろ。 気張ってやがれ」
「ぁ……」
辛うじて発せられただけの言葉の意味が分かったので、答える。
「……一人は俺が殺した。 すまない。
許せとは言わない。 だが、助けられてくれ」
男は力が抜けたのか、ぐたりと俺に体重を預けた。
辺りにある俺の血肉が俺の死を示しているが、何故か俺は生きている。 俺の臓物も蹴るようにして、少女の元に走る。




