君が変わりたいと望んでも⑧
大丈夫だ。 と、慰める無責任さは分かっている。
だが、それでもその無責任を口にせずにはいられなかった。
「大丈夫だ。 大丈夫」
エルの不安げな、紅くなった目が俺を見る。
あまりに無責任な言葉。 その言葉を発しただけの責任は背負わなければならない。
「何があっても、俺が守るから」
何かを背負うのは、得意だ。
ほんの少し安心したようにエルは息を吐き出して、落ち着いたとは言えないが取り乱してはいなくなった。
「知ってます」
ほんの少しエルは笑って、自分の瞳を瞼の上から撫でる。
「僕の魔力が増えているのは、魔物化の影響でしょうか?」
エルが尋ねる。 紅くなってしまった瞳に眉を潜めながら、可愛らしいエルの身体を抱き寄せる。
「おそらくな」
リクシと出会った頃からエルの魔力が急増していたのは、そう言った理由からか。
「……日本人を連れてきた理由はこれかもしれませんね」
エルはそう呟く。 この世界の人間ではなく、違う世界の人間を連れてきて力を与えた理由。
瘴気への耐性がないために魔物化し、この世界の人間よりも強い魔力を得る。
それに、学習能力は高く、この世界に根差していないために旅をしやすい。
考えてみると、効率的と取れなくもないような気がする。 そもそもの異世界に渡る労力がどれほどかかるのかは分からないが。
エルはため息を吐き出して、俺が撫でたせいで乱れた髪の毛を直した。
「こんな道端で話すようなことではないですけど、瘴気って何なのでしょうか?」
エルは続ける。
「空気中に漂っていて、集まると魔物になる。
人が亡くなると生み出されて、魔物になる」
瞳を震わせてから、覚悟を決めたかのようにエルの目は俺を見る。
「それって、魔物って……。 人とは、違うものなのですか?」
エルの迷っている目が俺を見つめる。 それを認めると、何かが崩れてしまうように感じるがエルの言葉から逃れることは出来ない。
「僕の世界には、幽霊って言われている考えがあります。
それと瘴気はよく似ているんです。
人によって、見えたり見えなかったり。 生きてる人に悪いことをしたり。 人が亡くなるとそれに変わって……。
それに、人に取り憑いたり。 です。
僕には、瘴気が幽霊に見えます」
俺はその言葉を聞いて頷いた。
「魔物は意思があるかのように動きます。 瘴気魔法は、魔法なのに生き物のように動きます。
人は亡くなると瘴気を出して、瘴気を出してしまうと人は動かなくなります。
瘴気は、人の意思とか、精神とか……魂みたいなものなのでは、ないでしょうか」
エルの言葉は、真に迫っている。 この世界の仕掛けを解き明かしていくかのように少女の高い声は草原に鳴る。
何を言うことも出来ない。 反論するには論理が足りず、肯定するにも理解が追いつかない。
草原に猿と犬が混じり合い、醜悪な意思を無理矢理押し詰めたかのような生物が現れた。
少し話すぎていたらしい。
「あれが、人だったのか」
エルは何も言わずに俺に抱き着いた。 エルを背負い、襲い来る化け物から逃れるように地を蹴った。
「瘴気は害になります。 今までと変わらず、消していきましょう」
頷くことは出来なかった。
「俺が死んだ時も、消してくれるのか」
「……無理ですよ。 僕には、無理でした」
エルは紅くなった目を瞼の上から撫でる。
ーーエリクシル。
人のための祈りを、エルは捧げ続ける。
◆◆◆◆◆
「ーー高みへと朽ちゆく刃。
……は、やっぱり無理か」
アキレアやグラウの技である「高みへと朽ちゆく刃」は自分では使えないことを再度認識して、普通に魔物を切り裂いた後、後退しながら能力で生み出した刃を投擲する。
一切の狙いを外すことなく、魔物の四足に短剣が突き刺さる。 後退したロトのまた後ろから土の槍が飛来し、魔物を貫いた。
戦場に心を残すように周りを見渡しながら、レイやケトの姿を見る。
「……油断しすぎじゃないか? まだ魔物がいないとは限らないだろ」
仲間である二人に苦言を呈すが、レイは気にした様子もなく言い返す。
「僕の索敵能力なんて知れてますからね。 リアナさんとロトさんがいたら問題はないでしょう」
「そういう問題じゃ……いや、そうかもしれないが」
ケトが虎のような魔物から魔石を剥ぎ取るのを横目で見ながら、軽く短剣を振るい。 ため息を吐き出してから中空に仕舞うように短剣を消す。
「何を焦っているんですか?」
「焦ってねえよ」
ロトは誤魔化すようにへらりと笑うが、レイは変わらずにロトを見る。
「……少し、伸び悩んでるだけだ」
「強くはなってると思うぞ。 少なくとも、私よりかは」
リアナは血と脂の付いた刃を布で拭いながらロトに言う。
強くはなっている。 それは慰めでも何でもないただの一つの事実であり、そのことはロトも承知している。
だが、それでもロトは首を横に振るい、疲れたように身体を弛緩させながら木にもたれかかる。
「んな事はねえよ」
この世界に来てから運動能力は伸び続け、元の世界に戻れば全ての競技で世界一になれるぐらいにはなっている。
魔物を殺す術にも長けてきて、短剣術と飛剣術のみならず魔法や瘴気魔法も使いこなせるようになった。
それの組み合わせや、仲間との連携、目に見える成長には能力のレベルアップもある。
だが、それでも。
「アキは、強い」
強くはなった。 別れてからしばらく経ち、戦わないなどと言っていたことだ。 もしかしたら、もうアキレアよりも強くなっているかもしれない……。
頭ではそう理解していても、勝てる訳がないと思っている。 幾つもの判断材料から推理される事と反対の答えが既にロトの中にはあった。
「……そうか」
リアナは悔しそうに歯噛みしてから、剣を腰に戻す。
アキレアはロトと相対した時、強くはあるが怖くはないと評した。
その言葉を思い出す度に、アキレアの「高みへと朽ちゆく刃」に両断される自身の姿が脳裏に浮かぶ。
怖い。 アキレアは怖いのだ。
相対し、向かい合えば瞬きをすることさえも許されない程の強い威圧感。 それがあった。
高みへと朽ちゆく刃の欠点は分かりきっている。
全身の筋肉が同時に一切のブレや無駄がなく駆動することにより、最効率、最速、最威力の斬撃。
正しく、最強の剣技に相応しい技ではあるが、最効率で無駄がないとは、言い換えると放たれる前からどの道をどう動くかが分かっていて、何の捻りもなく真っ直ぐにやってくるということだ。
防ぐのは容易である。
だが、それでも圧倒される。 その剣が振られる風圧を思い出すと身体が震える。
「レイ、リアナ。 次は俺が一人で戦う」
そう言ってから、ロトは跳ねて馬車の上に飛び乗る。
遅れてリアナとレイが乗り込み、ケトが御者台に座った。 アキレアと別れてから、ミスも怪我も何もなく、何もかもが上手くいっている筈なのに関わらず、ロトは強い焦燥を覚えている。
「焦ったところで強くはなれない」
「分かってるよ、そんなの」
リアナの言を払いのけて、ロトは懐から絵本を取り出した。 『エリクシルのぼうけん』乱雑に扱っているはずなのに、二人が発見した時と変わらない姿をしている。
爪の端で文字の部分を軽く掻くとインクの一部が刮げる。 壊れることのない絵本にはインクが染み込むことはなく、後から書き足された文字は本の表面で固まっているだけであり、容易に落とすことが出来る。
文字を消して読めば、表からならば反魂の奇跡、裏からならば様々なものを犠牲にした製薬。
どちらにしろ、自身では理解の出来ないものだが、敵の手に渡るとより強い魔物が生み出されるようになるらしく、守る必要がある。
そんな建前の元、ロトは馬車の上で穴を開けるようにその本を凝視した。




