君が変わりたいと望んでも⑥
国付きの勇者。
彼と対面して、なんとなく腹の中が捩れるような、無意味に身体が強張るような感覚がする。
父親、岩の巨人、あるいはグラウ。 彼等と睨み合うときのような感覚。 見るだけで敗北を知らされるような、不快さ。
それが表情に出ていたとしても、俺の顔は木箱に隠されていて、エルの目から見ている状態なので問題はないだろう。
「他の、勇者か?」
目が悪いのか、エルの顔を睨むように見て、エルが怯えたのか、少し俺に近寄った。
「はい。 その、これをお届けに来ました」
「おう、お疲れさん。 こんながきんちょの勇者もいたのか。 女神様も結構適当だな。
そっちの奴も日本人?」
顔が隠れているから、判断が付いていないのだろうか。 そういえば昔、エルと出会う前に出会った勇者にも勘違いされたな。
他の勇者よりも余裕そうに見えるのは、強さ故にか恵まれた環境からか、あるいは元来の性格か。
木箱を横に置いて、男の方に顔を向けると視覚が戻ってくる。 そのまま男を見る。
「いや、違う。 勇者ではない」
「ふーん、そっか。お疲れさん。
んじゃ、残りのも頼むわ」
男はある程度鍛えているような身体をしているが、明らかに「戦う人間」の身体付きではない。 肉体的な面で言えば、当然だが俺に軍配が上がるだろう。
魔力量も多くなく、頭も良さそうに見えない。
身体の動かし方も、見れば分かる程度に素人で……ロトやリアナのような強かさも感じられない。
明確に「弱者」ということが押し並べられているのに、俺はこの勇者から警戒が解けないでいる。 いや、場合によってはエルを連れて逃げようとすらしている。
何故、こんなにも弱い男が、これほどまで強く感じられる。
俺が警戒している間に、エルが男に向かって言った。
「あの、僕はエルと申します。
見た所、銃の製造をしているように見えるんですが……?」
エルがおどおどと怯えながら伝えると男が顔を顰める。
「木箱の中、勝手に見たのか」
「いえ、その硫黄の匂いと炭の匂いで……」
「言い訳してんじゃねえよ! チッ、これだからガキはよ……」
エルが身体を震わせて、俺の手にしがみ付く。
エルを庇うように前に出ると、また男が顔を顰める。
「話を聞け。 わざわざ見たりは……」
「っせえな。 見ずに分かるわけねえだろ馬鹿が」
いや、分かるだろ。 やはり頭が悪いのか?
エルの頭を撫でて落ち着かせてから、エルの言おうとしたことを一から説明しようと口を再び開ける。
「あのな、まず第一にあの工場は鉄工業で、ここにはイオウ? とかの匂いがしていて」
「いちいち突っかかってきてんじゃねえよ! 黙ってろクソガキ!!」
その言葉と共に、異常な……違和感。 エルの身体を抱き締めるようにして、横に跳ね飛ぶ。
俺とエルがいた「空間」に亀裂が走り……砕ける。
何が起こったのかは分からないが明確に、攻撃された。
何故、どうして。 と疑問に思う前に、もう一度エルを抱えて跳ねる。
「避けてんじゃねえよ!」
頭がおかしいのか? いや、どう見ても正常ではないか。
俺が瘴気に犯されたときも凶暴になっていたが、こいつもそれか。 いやどう見ても魔物ではないし、そもそも瘴気はここにはない。
シールドを展開し、蹴り割って男に飛ばす。
だが、男が何をするでもなく、男の前の空間が割れ、シールドの破片はそこに入り込んだ。
どうなっている。 かは、今は重要ではない。
身体を反転させて、迫り来る理不尽な破壊から逃げる。 空間が悲鳴をあげるように鳴る音が徐々に小さくなっていき、そのまま走ると聞こえなくなった。
腕の中にいるエルががたがたと震えているのを感じて、男に対する怒りを覚えながらエルの頭を撫でる。
「大丈夫か……?」
「は、はい。 怪我は、ないです」
怪我の有無だけの問題ではないか。
強く抱きしめてエルを落ち着かせようとするが、変わらず震えている。
青い顔色、寒がっているようにすら見える。
「……悪い。 警戒を怠っていた」
怪我こそしなかったが、当たればどうなるかも分からない攻撃を撃たれた。
おそらく、当たれば死は免れないのだろう。
どうするべきか。 追ってきたとしたら、戦うのは危険すぎる。
あの勇者は頭がおかしい。 この街にいれば、敵対する可能性は高い。
「い、いえ、その、僕は、大丈夫です」
「……悪いが、このまま逃げるぞ」
容易に勝てる敵ではない。 エルも、俺が戦うことは望んでいない。 出来ることならば、今後の憂いをなくすために処理しておきたいが……無謀だろう。
「は、あ、はい、この街から出ま、しょう」
持ち直したフリをして、出来る限り気丈に振る舞っているつもりだろうが、明らかに震え、怯えている。
まさかあんな唐突に攻撃されるとは思っていなかったので仕方もないだろう。
どうするべきかは分からない。 あれを放置していていい事が起こるとは思い難いが……それよりも先にエルを安心させる方がいいだろう。
「……ああ。 とりあえず、前にいたところまで戻るぞ」
依頼は放置でいいか。 金も必要はないな。
人が多いが、走り抜ける程度の空間はある。
一気に走り抜けて、王都から抜け出す。
振り返って見る瘴気は、エルの神聖浄化とエリクシルで半端に薄まっているが、まだ瘴気は色濃く残っている。
一切の解決がしておらず、いつ強大な魔法が発生するかは分からないが、あの頭のおかしい勇者がいればどうにかなるかもしれない。
「アキさん、お怪我はないですか?」
「ああ、ない。 全て避けることが出来た」
「よかったです……本当に」
エルを下ろして、そのまま草の上に座り込む。 その膝の上にエルを乗せて、小さくため息を吐き出した。
「……国付きの勇者と敵対してしまったな」
「あれは、仕方ないですよ……。 でも、発展を止めることは出来そうにないですね」
「あれが主導しているのならば、始めから不可能だろう。
どうするべき……だろうか」
エルは俺の膝の上で膝を抱えて丸くなる。
「めちゃくちゃです。 本当に……。なんでも上手くいくとは思っていませんが、それでも、それでも……少しは」
決定的な失敗、あるいはどうしようもない壁か。 俺にとっては諦めも付くような事態だが、正義感の強い優しい天使なエルにとっては苦しいことだったのだろう。
だったら、今、俺がエルに甘えきるわけにはいかないか。
「瘴気を消せれば、魔物は発生しない。
エルの能力はそれが出来る、ならするしかないだろう」
「……でも、あの人は銃を作っていました。
今はあの規模でしたが……あの程度の規模でしたが、大量に作られたときは……」
「それほど大変な代物なのか?」
「人を殺すには十分な威力があります。 普通に魔法が使える人の魔法よりかはだいぶ強いですし……物があれば幾らでも作れます。
おそらくその材料も、魔法で再現出来るようになると思いますし……。
何より、兵士ではなくても……人が殺せます」
その言葉を聞いて、エルと俺は同時に顔を歪める。
「戦いに出る人間の幅が広がる……のか?」
「おそらく、ですけど。
魔法使いや、弓矢と槍、剣が使える人でなくても戦えますから……流石に僕みたいな…………女子供だと、力が足りないかもしれないですけど」
「……製造は難しいのか?」
「いえ……見た所、この世界でもどんどん作れるみたいですね」
つまり、実戦に使われれば、他の所も真似をして使うようになる可能性は十分にあるということか。
だとすると、俺が考えていた以上に、人は死ぬ。
「……あの人がもたらした技術は、人を殺す為のものではなくて、救うものもあるでしょう。
人は増えて、それと同じだけ人が死ぬと思います」
俺は頭を掻き毟る。
「それでも、仕方ない。 俺たちが出来ることなんて、知れている。
説得は不可能だろう」
「……はい。 そうです。
でも……」
「ただひたすら人が増えるよりかはまだやり易い。 戦場になり得る場所に、エルのエリクシルを設置しておけば幾分かマシになる」
「分かってます。 けど、でも……」
エルは小さな手を握って、俺に目を向けて、下に伏せて、逸らした。
「……ごめんなさい、我儘でした」
「俺が悪いのも、俺が間違っているのも、理解している」
所詮、俺は魔物だ。 人の死や不幸を思い遣るだけの優しさはない。
「そんなこと……」
「ある。 ……悪い」
人でなくて、申し訳ない。 そう思った。




