勧誘
背中に負った少女の暖かみを感じると、もっと速く走らなければならないことを自覚する。
走っていれば負われる方も疲れるらしく、首に少女の息がかかって少しこそばゆいが、そんなことを少女に伝える余裕はない。
異常に魔物が多く、魔物と出会い戦っていられないと思い走って逃げれば、また魔物と出会いまた走って逃げることになる。
魔物より速く走る程度ならば余裕を持って可能だけれど、その程度の速さならば加速度的に魔物の数が増えてしまう。
走って逃げると増えて、いちいち処理していれば日が暮れる。 どうしようもないが、一つだけどうにかする方法を知っている。
本気で走って振り切ってしまえば、魔物が追ってくることは出来ないのだ。
速く、速く走ると速く走るだけ魔物が後ろの景色に置いていかれて、俺の姿を目視することさえ出来なくなる。 そうすれば、魔物に見つかっても追いかけられることはない。
そんな力業で森の中を疾走。
目まぐるしく変わる風景と揺れで少女が気持ち悪そうに息を吐くが、森を抜けるまでは我慢していてもらおう。
歯で噛んでいる剣のせいで呼吸がしにくいが、それでも魔物を振り切って森を抜けることに成功した。
抜けてから数十歩進んだところで、乱雑に少女を降ろして地面に座り込む。
「疲れた」
「酔い、ました」
互いに弱音を吐きあって、少ししてから座り込んでいる少女に手を伸ばして少し笑う。
「帰るぞ」
「はい」
歩きながら少女の風に揺らされる長い髪を見る。
思えば、弱みを見せれる人間は初めてかもしれない。
落ちこぼれていて弱みだらけなのに、弱みを誰にも見せられないなんて……少し馬鹿みたいだ。
帰れた時にはもう日が暮れていて、街の外に出る事も危なく、街の中で肉を焼いて食べるというのも悪目立ちしてしまいそうなので、ギルドに寄ってから、そのお金で外食をしようと提案されたのでそれに従うことにする。
ギルドで魔石を全て換金してもらえば、今までの働きが馬鹿らしいほどのお金がもらえた。 少女曰く、もしも予定通りに進み卵が手に入っていた場合の値段よりも、遥かに多いらしい。
オークという強く希少な魔物を二体も仕留めたのだから当然と言われたものの、得をした気分だ。
「これで、左手も治せますね」
ロトに出会った時の酒場の喧騒に声を掻き消されながら少女は言う。
酒場に子供を連れてくるのも気が引けたが、酒を出すような店以外は空いていなかったので仕方ないだろう。
酒場の主人はツマミ作りに追われて厨房に篭っているらしく、店員が俺たちの前にミルクと、いつか主人から食べさせられたパンが二つ置かれた。
空きっ腹に詰め込もうと大口を開けて食べていると、少女が神妙な顔つきをして、ミルクの入ったコップを手に持つ。
「あの、ですね。 実は……僕は」
森で泣き腫らして赤くなった目を俺に向けて少女は口を開いた。
喧騒で掻き消えそうなものなのに、鈴のような小さく高い声は俺の耳にはやけに綺麗に入り込む。
それが心地よく、口いっぱいに入れていたパンを飲み下して少女の言葉に耳を傾ける。
「今日、上手くいったら、ほんの少し分け前をいただいて……。
一人で旅に出ようと思っていたん、です。 僕は魔王を倒しに行かないと、ダメなので」
「一人で」と言ったところで、胃がパンを拒絶するように縮こまり吐き出しそうになる。 心臓が痛いほど暴れる。
その理由が分からず、けれどその異変に困惑するよりも少女の言葉を聞くのを優先する。
「ごめん、なさい」
頭を下げて謝る少女に何も言えない。
落ち着こうと思い、ミルクを飲もうと手を伸ばすが、すかりすかりとコップの横を手が掴もうとしている。
小さく息を吐いてから、コップを掴み直す。
コップに着いた冷たい水滴が気持ち悪い。 口元に運んでそれを飲むが、味が分からず、飲んでいるかも分からずに口に入れたせいで咳き込んでしまう。
「でも、やっぱり、ご迷惑かも……いえ、絶対尋常じゃないほど迷惑ですし、絶対嫌だと思う……んですけど。
僕と、一緒に……来てくれませんか……?」
控えめに伸ばされた手を、伸びきる前に掴み引き寄せて、少女の目を見て頷く。
「分かった。 行こう」
どこに行くかも分からず、だけど安請け合いではなく引き受ける。
少女が少し驚いた顔をして、すぐに笑ってくれる。
「いひひ、嬉しいです」
可愛らしい。 なんて思ってから、自分が熱に浮かされているんじゃないかと思ってしまう。
「そうか」
無意味にぶっきらぼうに言ってから、顔を逸らしてパンを齧る。
「これから、なんて呼べばいいですか?」
「名前か? ないからな……。 好きに呼べばいい」
少女は小さく考え込んで、俺が食べ終えた頃に口を開いた。
「僕が、名前を付けていいってことですか?」
「……ん? そういうことになるのか?」
「代わりに僕の名前付けていいですから、本名も、名乗る気にはなれませんし」
言い終わった後、俺が食べ終わったからか、少女がパンを急いで食べ始めた。
少女が食べ終えたので、後の話は宿ですることにしてお金を前の分も合わせて払って、宿に戻る。
少女と共にベッドの淵に座り、これからの話をする。
「これから、どうするんだ?」
暗くてよく見えない少女の顔を見ながら尋ねる。
「んぅ……っと、女神様は……まず、現地の仲間を集めろって言って、ました。
それに従うなら、近場で大きな都市に向かおうかと」
周辺の地形や街を思い出しながら、この国の中でも有数の都市の名前を言う。
「一番近い都市、は。 ソウラレイ、魔法の研究地で、新たな技術、魔術の発祥の地、だ」
嫌な思い出が頭によぎるが、頭を掻いて自分を誤魔化す。
「なら、まずはそこですね。
旅費ぐらいはあと少しお金を集めたらどうにかなりますし。 ついでに、魔法が進んでるところで習えたらいいですよね。 この国に送られたのはラッキーかもしれないです」
昔のことだ。 そう思うが、まだ気にしているのは明らかだろう。
馬鹿みたいに気にしている自分にため息を吐きながら黙り込む。
「寝る。 また、お前の名前を考えておくよ」
「はい、おやすみなさい。 僕も名前考えますね」
少女にはベッドで寝てもらい、俺はそのベッドのすぐ近くの床に座って目を瞑る。
大丈夫だ。 きっと。