情けない君が好き⑦
エルと二人で、ゆっくりと過ごす。二人きりというのは、無駄なことを考える必要も、エルがいなくて寂しいと思う理由もなく、ただ楽で心地が良い。
世俗なことなど、どうでもいい。 そう割り切るには、あまりに外はうるさく、俺も世界も弱すぎる。
結局、本当に戦わずに過ごせるのだろうか。 戦うしかない気がする。 逃げては駄目だ。
「エル、どうかしたか?」
部屋に入ってから、エルは俺の手を掴み続けていて、どこか縋るように俺を見ている。
「アキさん。 ……大丈夫ですか?」
「怪我はしていないって」
「そうでは、なくて……」
エルは俺の目を見て、逸らして、また見てやっぱり逸らして。 口を震えさせた。
「ーーーーごめん、なさい」
苦しみに喘ぐような声のあと、エルは言葉を無理矢理に絞り出した。 俺への謝罪。
何があったのか、辛いことでもあったのか、リアナにでも虐められたかのかと思って、エルを抱きしめるが、まだエルは泣き続ける。
「ごめん、なさい。 ごめんなさい」
どうしたら泣き止んでくれるのかが分からずに、ただひたすらエルを抱きしめて、頭を撫でる。
柔らかい、暖かい、いい匂いがする。 そんな感覚も突然のエルの行動への不安と焦りで、楽しむどころか妙な焦燥を生むだけの物になる。
「どうしたんだ。 エルに謝られるようなことは、ないと思うが」
「僕はーーアキさんの辛さが、分かっていなかったんです。 何も、何一つ。 アキさんが戦う悲しさも分かってなくて。
これから、アキさんに戦ってなんて言いません。 本当に、本当に……僕は自分勝手で」
そう言ってからエルはまたごめんなさいと頭を下げた。
エルの気持ちは俺には分からない。
俺の気持ちはエルに伝わっているのだろうか。 どれほど俺はエルの気持ちや辛さが分かっていて、俺の好意はどれぐらい伝えられているか。
おそらく、一割も分かっていないだろう。
自分の馬鹿さが嫌になる。 魔物として戦うだけでは、人らしく生きられない。
俺は結局何がしたいんだ。
エルをただ守りたいというには、口付けをして手を出していたり、エルを俺の物にしたいと嘯くには、腑抜けて何も出来ていない。
弱い。 定まっていない。 ぐちゃぐちゃだ。
魔物としての獣じみた性質、人間らしく情緒ばかり気にする性質、あまりに相反している。 魔物というには弱く、人というには浅すぎてーー。
部屋の扉を閉じて、俺は外に出た。
長々と考えている内に夜遅くなっていたのか、街灯や生活光もなく、夜空も黒い雲に覆われているせいで一切の光がないように見える。
少し先すら見えることがなく、足元を見つめることすら難しい。
そんな夜空の元、座り込んだ。
聞こえるのは風の音と、俺の息の音だ。
俺はこれから、どうすればいい。 そんな小難しいことを考える。 戦えばいいのか。 エルといればいいのか。
結局、弱くて浅はかな半端者は……人に寄りかからなければ歩くことすら出来ないのかもしれない。
もし、俺がロトとレイの二人に負ければ、やるべきこともなくなる。 エルも、俺が戦うのは……嫌らしい。
俺だって、戦うのは好きではない。 痛みにも苦しみにも耐えられるが、エルとの別れを感じさせる焦燥は耐えられない。
前はもっと、考えなしに戦えていた。 巨人との戦いは、エルの治癒魔法だけが支えだった。 あれが途絶えた一瞬の、死を望むような苦しみを知れば……。 戦いの辛さをやっと知った。
魔物だからと延々に戦い続けることも出来る。 道具だからと働き続けることも出来る。
だが、俺のやりたいことをするというのは……難しい。
「俺は何がしたいんだ」
誰かが代わりに答えてくれるはずもない。 横にエルがいたら支えてくれるかもしれない、レイがいたら励ましてくれるだろう、ロトがいたら馬鹿にしてくれて、グラウがいたら道を指し示すだろう、父親がいたらあれをやれと命令する。
そのどれにも寄りかかることは出来ない。
誰も彼もが、俺には何も強制しない。
俺は何だ。 何がしたい。
顔を伏せて、何も見えない地面を見る。
魔物がいい、獣がいい、道具がいい。 そう思うほどに俺には「やりたいこと」がなく「自己意思」というものが欠如している。
エルと結婚したい。 その後は? 俺は何がしたい。
自問自答を繰り返す。 やるべきこともやりたいこともなく、ただ、巨人との戦いで燻ったままの戦闘への昂りを抑え続ける。
情緒はぐちゃぐちゃなのに、ただ身体は獣らしく飢えている。
俺と俺とで相反しているのに、考えがまとまるはずもない。
小さく溜息を吐き出す。 浅はかだ。 弱い。
「エル……エル……」
そう縋るように名を呼ぶと、後ろから鈴の鳴るような美しい声が聞こえた。
「ん……はい」
「エル、いたのか」
「はい……アキさんがいなくて、怖かったので」
控えめな足音が地面を鳴らして、俺の隣で止まる。
座るときに起きた小さな風にエルの香が乗せられていて心地よい。
「あのさ、エル。 俺はどうしたらいいと思う?」
「僕は……僕が言うと、アキさんを使うことに、なります。 絶対に、僕がアキさんにしてほしいことを言いますから」
真っ暗な中、エルの姿だけがヤケによく見える。 エルにも俺が見えているのか、真っ暗な中なのに、目が合う。
「それでいいから、教えてくれ」
エルは悲しそうに目を伏せた後、震えるような声で、泣き出しそうになりながら小さく言った。
「……ぎゅーってして、ちゅー、してほしいです」
エルの身体を抱きしめて、エルの黒い宝玉のような眼を見つめる。
悲しそうに、同情するような視線を俺に向けて、それでも期待するかのようにこくんと息を飲んで……目を閉じた。
互いに座っていても、まだまだ身長差があり、俺は上からゆっくりと、エルは首を上に傾けるようにして口付けを待つ。
エルは俺の情欲を受け入れるように、何の抵抗もなく唇同士をくっつけて、離すと名残惜しそうに小さく喘ぐような声を発した。
「それ以外には何かないか」
エルは涙を数滴落としてから、顔を伏せた。
心拍が二十回ほど鳴ったあと、エルは言った。
「頭をよしよしって撫でて、好きだって、言ってほしいです」
エルの髪を梳くように撫でて、ゆっくりと撫でながら言葉を発する。
「好きだ、エル」
エルは大きな瞳から大粒の雫を幾つも落として、その表情すら可愛らしくて、あまりに愛おしい。
エルは望みを続ける。
「誰よりも大好き」
「他の誰よりも大好きだ」
「愛している」
「命も惜しくない程愛している」
「一生一緒にいる」
「死んでも一緒にいさせてくれ」
エルはひたすらに涙を流して、俺の服の胸元を握り締めた。
「アキさんの、馬鹿。 馬鹿。 僕は、アキさんに幸せになってもらいたいんです。 なんでこんな僕ばかりが幸せなんですか」
そのエルの頭を撫でて、抱きしめ、耳元で好きだと語りかけて、エルの顔を上げさせて、ゆっくりと口付けをする。
離すとエルは、俺に同情するような目を向ける。
「アキさんは、可哀想な人です」
人かどうかも怪しいけどな。 そう笑いかけるにはエルが泣きすぎていて、冗談めかして笑うことも出来ない。
「僕と出会ってからずっと、僕に利用されっぱなしじゃないですか。 それまでは、実らない努力を続けて」
エルは不幸を嘆く。
「それでも俺は……エルが好きだ。 エルのおかげで、幸せだ」
退廃的な言葉が、口から漏れ出た。
エルは俺の膝の上に乗って、顔を俺の胸に押し付けながら言った。
「アキさんの好きなようにしてください。
僕の全ては、アキさんの物です。 お好きにお使いください」
それが、エルの返答だった。




