情けない君が好き②
眠たい。 けれど、眠れる気はしない。
婚約者となった少女が隣で「いひひ」と笑い続けていて、心臓が寝るための動きに戻ってくれない。
息が上手く吸ったり吐いたり出来ず、喉が震える。
緊張しているのだ。 今になっても、それが収まることはなかった。
愛する人と接吻をして、婚約したことを示すかのように口付けて、まともでいられるだけの精神力は俺にはなかった。 最初から、ブレてばかりの俺にそんなことを期待する方がバカだ。 つまり俺はバカだった。
いひひ、と素直に喜ぶだけ喜べているエルが羨ましい。 俺は喜びすぎてて吐き出しそうになっている。
先程のキスも、変な口臭とかしていないだろうか。 エルの浄化を食らった後だから大丈夫か?
「アキさん」
「な、なんだ?」
震えた声が恥ずかしいが、エルはほんのり笑みを浮かべて、俺の身体を触る。
「僕のことは、好きにしてくれたら……いいですからね。
さっきは恥ずかしくて、ちゅーしないでって言いましたけど……やっぱりされたいです」
「お、おう。 分かった」
今すぐしろということなのか、それとも不意打ちでしろということなのか……。 欲望に身を任せて、エルの細く小さな身体を抱き寄せる。
「んぅ」と目を閉じて少し上を向いてキスを待つエルの顔を見て、唾を飲み込む。 顔を近づけると、エルの甘い匂いが鼻腔に入り、欲求がさらに高まるのを感じる。
エルは俺の服にシワをつけるように胸の部分をしっかりと握り、俺が来るのを待っている。
ゆっくりと、右手で撫でるようにエルの髪を梳かしながら、顔を近づけてエルの唇に触れる。
唇、粘膜同士の接触。 明確に普段何かが触れ合うための場所ではない、人体の中でも脆く柔らかく敏感な、弱点とも取れるような部位が、想い人と触れ合う。
ほんの唇の先が触れ合って、妙なことを思い出す。
敗北の証に足に口付けをする。 親愛の証に手の甲に口付けをする。
この国では廃れた文化だが、どこか納得できる。 唇は脆い。そのまま蹴れば、ただでは済まないだろう。
犬などの獣が敗北の証に腹を見せるのと同じだ。 犬の場合は腹を見せると抵抗出来ないが、人間には手があるので腹を見せて転がってもいくらでも反抗しようがある。
だから、代わりに足に口付けるのだろう。
手にするのも少し似ているが、地面に這い蹲る必要もないので、へりくだってはおらず信頼を、ひいては親愛を表現するには正しいように思える。
そのどちらも、獣目線の推察だが、それも俺らしい。
ならば、だとしたら、唇と唇を触れ合わせるのはどういうことか。 捕食する部位であり、明確な弱点。
互いに容易に傷付け合えるその行為は、互いに信頼し合って、屈服し合い、自身を相手のものであると誓うかのような、相手を我が物として捕食するかのような行為なのではないだろうか。
屈服、信頼、あるいは捕食。
その三つの要素が絡み合い、一つの行為となっているとしたら。
今の俺とエルの関係には、何よりも相応しい行為のように感じる。
俺はエルのもので、エルは俺のもので、それを指し示すのがこの行為なのだ。
だから、ただ互いの粘膜を付け合うのみの行いが、あまりに甘美に感じ、どうしようもないほどの充足感が脳を焼き尽くすのだろう。
その心地良さに浸り、ゆっくりと離す。
目を開けると、同じように目を開けたエルがぼーっと俺を見て、自分の唇を撫でる。
「いひひ、んぅ……ねだったみたいで、恥ずかしいです」
可愛い。 その甘えるような声色を表情を見て、堪らないと思った。
生唾を飲み込んで、理性が耐えきることが出来ずにエルの身体を抱きしめる。
「んぅ、アキさん。 そんなにぎゅーってしなくても、僕は逃げませんよ。 甘えんぼさんです」
「エルもするだろうが」
そう言い返すとエルはまたいひひと笑う。
エルはもう一度唇を触って、顔を赤らめる。
「もう、寝ます。 これ以上甘々なのしてたら、恥ずかしすぎて死んでしまいます」
「……まぁ分からなくはない」
小さく息を吐き出して、エルの手を握る。 そうするだけで、興奮していた身体がゆっくりとだが落ち着きを取り戻していく。
いつも怖かったときはこの手を握っていた気がする。
目を閉じると、エルと俺の吐息と風が吹く音のみが聞こえる。
心地良い、空間に落ちていく。
◆◆◆◆◆
また俺の体が少し揺れて、それにエルが反応してエルが少し動き、それが俺の目を覚まさせて、俺が目を覚ましたことでエルもつられて目を覚ました。
「おはようございます」
「ああ」
そう挨拶すると、エルが目を閉じたので、ゆっくりと顔を近づけて、その唇に口付けをする。
昨夜よりも少しだけ乾いたような唇の感触。 それはそれで心地良いが、エルの体液が唇に付く感覚がほしくなる。
付けていた唇を離すと、エルがぱたぱたと慌てたように手を動かして、俺から距離を置く。
「な、突然……どうしたんですか。 もしかしてまだ夢の中ですか?」
「夢の中?」
「んぅ……何でもないですよ……」
僕ってそんなに欲求不満なのですか……。 とエルが落ち込んでいたので、頭を撫でる。
「昨夜のことなら……現実だったと思うが」
「えっ、本当ですか? アキさんがちゅーしてくれたのも、夢じゃなくてですか?」
「夢じゃない。 ……忘れろ」
「いひひ。 アキさんがあんなに甘えんぼさんだったのもですか?」
「忘れろ」
「じゃあ…………その、結婚、のお話……は?」
「それは、忘れるな」
エルが俺の元に、飛び跳ねるようにしてやってくる。
エルの柔らかな肢体が俺の体に触れ合って、昨夜の行為を思い出して顔に血が上るのを感じる。
「でも、何で今、ちゅーしてくれたんですか? ん、嬉しい、ですけど」
「エルが目を閉じたから、してほしいのかと」
「……してほしいのは否定しません。
でも、眠くて閉じてただけですよ。 その理屈だと、瞬きごとにちゅーすることに……」
勘違い。 それに気づいて、余計に顔に血が上る。 表情にはそれほど出ない体質だが、おそらく顔が赤くなってしまっているだろう。 そんな顔を見られたくないので、抱きついてきているエルの顔を抱きしめて、顔を見られないようにする。
「んぅ、じゃあ……その、昨夜、アキさんが……僕の……胸を、その……舐めたのも……」
「それは夢だろ」
「……!? …………えっ……ええ、もしかして、それって、ただ僕が変な夢を……」
本当に出来るならしたい。 というか、本当に欲求不満だったのか……。
エルが耳まで真っ赤に染め上げて、「うぅー」と唸っている。
「忘れて! 今のは忘れてください!」
「いや、無理だろ」
顔に血が上っていたのも少し収まったので離すと、エルが涙目で俺を睨む。
「ひどいです……。 具体的に何が酷いとかは言えませんが、鬼畜の所業です」
俺にも何が酷いのかは分からない。
エルが可愛くて興奮するが、またキスが出来るような雰囲気ではないために諦めて、慰めるように背中を撫でる。
「アキさんのドS。 いじめっ子。 僕に恥ずかしい思いをさせて、喜ぶ鬼です」
「違うが」
「分かってますよ……。 本当に、忘れてください」
「……努力はしてみる」
「アキさんの鬼……」




