情けない君が好き①
一瞬びくりと身体が震え、それに吊られてエルが寝返りを打ち、また俺がそれに吊られて起きる。
横で寝ていたエルもその動きに吊られて目を覚ました。
「んぅ……んふふ、いひひ。 一緒に起きましたね」
一緒に起きたのはたまたまではなく、吊られてだから当然のことなのだが、それが分かっていても運命やら何やらと考えてしまう。
一瞬、惚けてエルを見て、抱きしめる。
「ふぇ……アキさん。 ……んぅ」
エルの身体を抱きしめ続けていると、エルが苦しそうな声を出しながら、俺の頭を撫でた。
「大丈夫、ですか?」
エルの身体を話して息を吐く。
まだエルを抱きしめたいし、腹が減ったし、眠いし、喉も渇いた、排泄もしないとならない、エルを抱きしめたい。
もう一度エルを抱きしめてから、離す。
「大丈夫だ。 久しぶりの、エルが嬉しくて」
何を馬鹿なことをぬかしているのか、言った言葉を訂正するように首を横に振る。
「悪い。 聞かなかったことにしてくれ」
「いひひ、それは出来ない相談ですね。
……お腹減りましたね」
というか、そもそもここは何処だろうか。
ロトと父親とレイに後を託してから、記憶がない。 普通に寝ていたのだと思うが……。
宿屋などに運ばれてきたのか。 エルと共に寝かせられていたのはロトが気を利かせたのか。 まぁ、あの状態で起きてエルがいなければ暴れまわって探しただろうが。
そう思っていたが、腕に紅い小さな紅葉のような跡が出来ていた。 ただ引き離すことが面倒だったからかもしれないな。
「そうだな。 だが、外も暗い。 金もないな」
「ん、コップと魔道具はあるみたいですし、それで朝までごまかしましょうか」
一つのコップに水を注いで、それを飲む。 二人で交互に水を飲んだあと、エルがコップを浄化して一息吐く。
「アキさん……無事で、よかったです」
ことり、とコップが机を鳴らして、エルが俺の腕に頭を付ける。
エルの小さな身体を抱き寄せて、その暖かさに安堵する。
「エルのおかげだ。 全部。
俺一人では、一時間も持たなかった」
夜の部屋の中には、俺とエルの話し声だけで、外では風が建物の隙間を縫っていく音だけが響いている。
一言話す度に、お互いの無事を確認し合うように身体を寄せ合って、お互いがいなかった寂しさや寒さを埋め合うように吐息を感じ合う。
また数秒経って、エルが口を開く。
「僕の祈りが、届いていたんですね」
エルのまだ残っている隈を見て、その身体を抱きしめて頷いた。
俺が気絶し寝ていた間も、血を増やそうと食っている間も途絶えることがなかった治癒魔法。 そんな遠距離にまで発動する魔法は、今までには瘴気魔法しか見たことがないが……あれは確かに届いていた。
「ああ、ずっと、一度も、一瞬たりとも絶えることなく」
だから俺は戦うことが出来たのだ。 ただ、怪我が治るからという話ではなく。
エルが座っていた身体を半分立たせて俺の前にやってくる。
「怖くて、怖くて、寝れなかったんです」
目から涙を溢れ落としながら、エルは独白した。
その小さく薄い唇が震えながら、何度も何度も、怖くて怖かった、と続ける。
一瞬、強い風が通って、少しだけ大きな風の音が響いた。 押されるはずもないそれに押されたように、エルの身体は俺の胸へと収まった。
「好きです。 好きです。 好きです。 好きです。 好きです。 好きです。 好きです。 好きです。 好きです。好きです」
貴方のことが、大好きです。
エルの言葉が狭い部屋に響いて、頭の中で何度も繰り返されて、実際に言った馬鹿みたいな数の「好きです」をもっと馬鹿げた数の愛を伝えられたかのように感じる。
それに返した俺の言葉は、エルの言葉の百分の一にも満たないほど少ないものだった。
「好きだ」
もっと気の利いた言葉はなかったのか。
あれだけ助けられ、これだけ愛され、こんなにも愛しているのに、それを伝えられた言葉はたった一言。
エルはぐすぐすと鼻を鳴らして、涙で俺の胸を濡らしながら、噛みしめるように何度も何度も頷いて、俺の身体を小さな腕で抱きしめながら言った。
「嬉しいです」
ああ、伝わった。
ただの三文字の一瞬の言葉、それ以上出すことが出来なかった燃えるようなエルへの思いが、伝わったのだと確信する。
返すように小さな身体を抱きしめて、俺は頷いた。
「ああ」
また、エルが強く俺の胸に頭を引っ付ける。
しばらく抱き合っていると、エルがこくりこくりと舟を漕ぎだした。
まだ眠たいのか。 どれほど眠っていたのかは分からないけれど、眠たいのも仕方ないだろう。
何せ俺のために、ずっと起きていてくれたんだ。
エルの軽い身体を持ち上げて、先程まで寝ていたベッドに運ぶ。
「アキさん……その…………するんですか?」
「何をだ?」
「その……ん、なんでもないです」
エルは顔を赤らめて、首を横に振った。 小さな身体を縮こまらせて俺の顔を覗き見て、ベッドに置かれた身体から手を伸ばして俺の頬を撫でる。
「ああ……エル」
そのままエルは手を俺の首裏まで持っていき、俺をベッドに引き込むように手を引いた。
それに抵抗することなく、俺も一緒にベッドに倒れこんだ。
「何ですか?」
その黒い宝石のような瞳に、小さく淡い期待を込めたような眼差しを俺に向けて、それが俺から緊張を奪う。
ーー断られることは、ないだろう。
それが分かっていようが、口に出すことは容易ではない。 水を飲んだばかりの口が渇き、無理矢理に唾液を出して、ごくりと飲み込む。
静寂ばかりが部屋の中を包み、聞こえるのは俺と、抱きしめているために聞こえるエルの心音だけだ。 どくり、どくりと、聞こえている心音がいつの間にか一つになって、下から俺を見つめている少女を見る。
「エル」
返事はなく、ただ俺を見つめるだけだ。
それが俺から迷いを奪うように感じる。 乾ききった口から、喉の奥から捻り出すように言葉を紡いだ。
「結婚、してくれ。 俺の一生を……君に捧げたい」
エルは涙を溢れさせながら、その顔を隠すように俺の胸に顔を埋める。
返事はなかなか返ってくることなく、えづきそうになるほどエルは泣きながら、俺の身体を抱きしめる。
それから俺の胸元で濡らした涙が乾くほど、真っ赤になっていた目が、少しだけ収まるくらいの時間をおいて、エルはゆっくりと喉を震わせた。
「いいですよ。 アキさんに、貴方に、僕の全てを……尽くさせてくれるなら」
濡烏の黒髪を撫であげると、エルが嬉しそうに「んぅ」と声をあげる。
君が好きだと告げるように、白磁の抜けるような柔肌にゆっくりと口を近づけて、エルの頰に口付ける。
その頰から広がるように顔を赤らめて、エルは恨むように俺を見た。
「ちゅーは、僕からさせてください。 その、恥ずかしさが……覚悟を決めてからでないと」
そう言ってから、エルは俺に向かって、へんてこに尖らせた唇を近づける。
「目も、閉じてください。 ……僕、恥ずかしいです」
不慣れさのよく分かる、不器用そうな可愛らしさが名残り惜しいが、目を閉じてエルの唇が来るのを待つ。
俺の頰に、生暖かい吐息がかかり、期待と興奮で背筋が痺れるような感覚が走る。
脳の髄から溶かされるように何も考えられなくなっていると、かかる吐息がゆっくりと頰から移動する。
こくん、と飲み込むような音が聞こえて、ゆっくりと……俺の唇に柔らかく少しだけ湿気ているそれが当たる。
どうやら唇は頬よりも感覚が鋭いらしい。 その暖かさや、柔らかさ、どれほどの力で、どれぐらいゆっくりと当たっているのかがよく分かる。
しばらく唇を触れ合わせて、名残り惜しそうにゆっくりとエルの唇が離れていった。
目を開けると、目を蕩けさせて惚けるように自分の唇を触っている。
「いひひ、アキさんと、ちゅー、しちゃいました」
エルのその仕草が愛らしく、酷い熱情に浮かされた。




