少女の祈り
跳ねるように駆けるが、上手い具合に走ることが出来ない。 血が不足しているせいか、それとも急に立ち上がったせいか、走りながら立ちくらみを起こす。
ふらついたところに少女が追いついて俺の身体を支えた。
「何してるんスか。 死にますよ、そんな身体で……って、あれ?」
俺の身体に傷はない。 死の淵にいて、これだけ血が足りなくなっているのに、俺の肌には擦り傷一つない。 裸足で勢いよく走ったのに、普通ならば皮膚が捲れていたりしそうだが、やはり傷はついていない。
エルの治癒魔法は未だ途切れることなく続いていた。
「何時間、寝ていた」
「えっ、なんかすごく横暴っすね。 一日と半分ぐらい……ッスかね。 時計なんてないので具体的なのは分からないッスよ」
そんなにか。
俺が巨人の倍の速度で走れるとしたら、三日走り続ければ追いつける。 そこからまたそこで三日間足止めをすればいい。
「助けてもらったところ悪いが、この刀はもらっていく。
金なら、後でエンブルク家に来たら幾倍にしても返してやる。 礼もするが、今はお前に礼を言う時間もない」
少女の腕を振り払って、また走る。 血が足りないのは変わらず、すぐに転けて、すぐに入る。
それを繰り返しながら進んでいると、何十度目になるのかも分からない転倒の寸前に、身体を支えられて動きが止まった。
「本当に、死ぬッスよ」
「死んでもやらなければ、ならない」
俺が死ぬことで一秒でも長くエルが生きながら得るならば、死を選択する他ない。
俺は道具で獣だ。 ただ主人のために尽くし続ければいい。
「……お前が死んだら、そのお礼とかってどうやってもらうんスか。 馬鹿じゃないッスか?」
「……なら生き残るから離せ」
そう言って振り払おうとするが、今の俺の力よりも少女の力の方が強いらしく、痛みもない程度に掴まれた腕を離させることができない。
「この程度の拘束も解けないのに、何しに行くつもりッスか?」
「離せ、殺すぞ」
そう言って睨むが、死にかけの俺の言葉は何も恐ろしくはないだろう。
少女はどこ吹く風といった様子で、俺を笑う。
「やれるわけないッスよ。 私もそこそこ強いッスからね。 生きてるってだけみたいなお前よりかははるかに強いッスよ」
脚で地を蹴って引きずろうとするが、蹴った瞬間に身体を持ち上げられて走ることも出来ない。 この細腕のどこにそんな力があるのか。
「とは言ってもッスよ。 治ったお前に恨まれるのは、怖くて怖くて堪らないッスし、お礼ももらえないわけッスよね」
少女は勇者のものに似た黒髪を風で揺らしながら、打算を口に出しながら笑うように言った。
「いいものがあるんで連れてってやるッス」
「何が狙いだ」
「お金ッスよ。んで、どうするッス?
道半ばで死ぬッスか? それとも私にお金をくれるか。 どっちがいいッスか?」
何が狙いだ。 本当に、金か? それを疑うほどの余裕はなく、少女に向かい、頷いた。
◆◆◆◆◆
少女の祈りは、誰に向けて祈っているのか。
ロトは延々と祈り続けている少女を見ながらそう思った。 徒歩での移動中も、時々リアナに背負われながらも懸命に魔力を放出しながら、手を合わせて途切れることもなく祈り続けている。
ロトからすると、自分達が寝ている間もしているのか寝る前に少女が跪いている姿を見て、起きても同じ姿の少女を見た。
少女の祈りは、誰に祈っているのか。 信仰する神でもいるのだろうか。 日本では特定の宗教に入れ込む人はそれほど多くなかった、こちらに来てから、こちらの神に祈っているのかもしれない。
ロトは、何の気もなしに、尋ねた。
「エルちゃんは、何に祈ってるんだ」
シスターや巫女といった神職も、子供ながら似合いそうだと思った。 まぁ、そんな職種の人が男とベタベタし続けるのは如何なものかと思わなくもないが。
「特に……です。
ただアキさんが、無事になるように」
声を発することさえ苦しそうで、辛そうだ。 こんな状態の少女をあの馬鹿に渡したら……考えるだけでロトは顔を顰める。
最悪殺されるな。 その前に逃げるべきか、走って逃げられるとは思えないが。
「寝ろよ。 エルちゃんがしんどい思いをするのは、アキが望むことじゃないだろ」
「アキさんの望みより、アキさんの無事が……大切なんです」
ロトは小さく、聞かれないようにため息を吐き出して、エルに毛布を投げつける。
「夏とは言え、夜は冷える」
「んぅ、ありがとうございます」
ロトは来た道を見てみるが、巨人が追いかけてくる様子もなくアキレアがまだまだ足止め出来ていることに安心をする。
「まぁ、あいつがそんな簡単に死ぬわけないしな」
心配するだけ馬鹿らしさすらあると、ロトは笑った。 誰に向かって笑いかけたわけでもなく、自信を勇気付けるための虚勢だった。
もしも巨人が追いついてきたら、そのときは、俺が次の足止めをすることになる。 継戦能力の高さと、純粋な強さではアキレアを次いで次点だろう。 アキレアの弟というレイは……ダメだ。 強いことには強いが、役には立たない。
引き時も知らず、駆け引きが出来ないのがこの少年だ。
あの巨人との戦いにおいては、ケトにすら、エルちゃんにすら劣るだろうと、ロトは判断した。
ロトの能力、剣壊の才のレベルはすでに35にまで達し、より高精度の長所の把握と、短剣のソードブレイカーを長剣ほどの長さで出したり、切れ味を上げたりと応用も利くようになってきていて、だいぶ強くなった。 魔法も身体も強く育ち、ロトには自身の実力に対する自信とその裏付けも取れている。
まぁ、今から襲ってきたとしても、残りの四人を逃がすことぐらいは可能だろう。そう言ってから頷き、他の人が寝ているところに行って目を閉じる。
足音や羽音があれば起きることも出来るようになっているので、見張りいらずだ。 睡眠はどうしても浅くなるが。
少女の祈りは、魔力を伴って来た道を引き返していた。 治癒魔法がそれほど遠くの相手に届くなんてことは普通はあり得ないが、少女がアキレアの無事を祈ったのならば、どこまでも届くような気がする。
立膝を立てて、目を閉じる。 少女の祈りはきっと届いているだろう。
副次的な効果だが、アキレアもそれを辿るだけで追いつけるかもしれない。 そのときはもれなく巨人もセットでついてくるが。
「アキさん……」
夜空に、少女の鈴のような泣き声か小さく響いた。
「好きです」
片目を開けて見てみると、頰から一滴の雫がこぼれ落ちて、美しいと、ロトは思った。
アキレアは幸せだな。 妬みも少し含ませておく。




