逃げはしない。 そう決めたから⑤
槍を持って大回り立ち回り、そんなことも出来るはずもなく、明確な敗北を目の前にしながら、跳躍、疾走。
俺にはロトほどの先読みの技能もなければ、レイのような強大な魔力もない。
戦闘能力で言えば、グラウより力が弱く技量が足りない代わりに少しだけ足が速い程度で、こんな化け物に相対出来るほどの強さはない。 そんなことは分かりきっていた。
夜が明けてもまだ動けているのは、俺の体力が向上したからではない。
遠くから流れ、身体にまとわりつく魔力が俺の身体をほんの少しではあるが俺を癒し、助けている。
エルの魔力であることはすぐに分かった。 それが一度も絶えることなく、ひたすら細々と俺の身体の疲労を和らげ続ける。
一人で戦っているつもりだったが、決して一人ではなかった。 夜が明けるまで戦い続けて、ロトの使っていた先読みの技能が徐々に巨人の次の動きを把握して、予知じみた動きを可能にしていた。
グラウから教わった高みへと朽ちゆく刃はほんの少しではあるが巨人の身体を削り取り、意識を俺に向けさせることに成功している。
他の人から盗み見て覚えた戦技も有用であり、小さく短小な身体を十全に扱う手助けになっている。
唯一の懸念は、喉の渇きと、瘴気。
エルの神聖浄化がないこの場において、半日前にはエルが浄化し終えていた場所であるとは言えども、徐々に周りから瘴気が集まり続けているのが分かる。
肌で感じ、匂いを嗅いで、肉でその瘴気を覚える。
肉自体がその瘴気の存在を喜ぶかのように、息を吸って吐いてと繰り返す度に身体から人間らしい痛みや疲労が薄れていくのが分かる。
腹が減って、喉が渇いているのに、ただ身体の調子が良くなっていくのを感じる。 まるで飢えが収まるかのような感覚すらある。
ーー死ね。
殺せではなく死ね。 それが今俺に与えられた命令だった。
ーー死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
死ぬかよ。 命令に意識を奪われないように口の中を噛み切り、噛み切った肉片を吐き出す。
何故、前のような殺せではなく死ねという命令なのかは理解出来ないが、その命令は魔物としてではなく生物としての本能も合わせて拒否しているために拒むことは殺せという命令よりも楽だ。
この岩の巨人は、よほど高位の魔物なのだろうか。 だから俺には殺してほしくなく、争っている俺が死ねと。
知るかよ。 草原に落ちていた岩片、おそらく俺が削ったこの巨人の身体の一部を拾い、投げ返す。 高みへと朽ちゆく刃。 もはや刃どころか武器ですらないが。
ほんの少しだけ表面を削り、意識を引くには十分。
幾度も投擲を繰り返して意識を引きつけながら、地に落ちている獣の姿を模した魔物を持ち上げる。
そして食らいつく。 酷い血の味と、口中に広がる生臭さ、口を越えて喉に血が流れ込み、渇いた喉に張り付くように嚥下されていく。
胃が吐き出そうとする。 胃液ごと喉から逆流してきているが、口から吐き出す前に再び飲み込む。
一口だけ食った魔物を投げ捨てて、岩の巨人の振り下ろした拳を避ける。 胃から広がる、別の魔力の異物感。
少女は、りーちゃんは普段からこのような苦しみを抱え続けていたのか。
下位の魔物や、魔力を減らした魔物の肉ではなく、ただの魔物の生肉は、食った俺を呪い殺すかのように魔力が俺を蝕む。
だが、それでも食わなければ死ぬ。 血で喉を潤し、肉で腹を膨らませなければ、あと半日も動くことは出来ないだろう。 食っても一週間動けるとは思えないが。
岩の巨人は強い。 だが、強いだけだ。
攻撃方法は、手の振り下ろしと足の踏み付け。 どちらにしろ避けるのは容易で、前の運動もあるために容易く動きも読める。
跳躍、疾走。
負けは確定している。 敗走も、だが、まだまだ戦いは始まったばかりだ。 単純な攻撃方法、大振りなだけの戦い。
頭の中に響く命令も、無視しきれる。
獣じみた欲望を抑え込めている。 俺の中に確かに存在する獣、それの存在を確かに確かめながら。 疾走、それとともに腕を前に突き出して槍を石の足に刺す。
そのまま、高みへと朽ちゆく刃によって、突き抜けるように押し切る。
認めよう。 認めるしかない、命令に従い暴走したのは俺だ。 グラウとロトに斬りかかったのも、エルに欲情の目を向けたのも、俺だ。
溢れるような獣性が確かに俺の中にある。 魔物故にか、あるいはただそういった人間だからかは分からないが、俺は血が好きなんだ。 力のまま暴れるのも、弱い物を力でねじ伏せることでさえ。
エルを力で無理矢理に抑え使えることを一瞬だけ考えてから、口の中に広がる血を流すように唾を飲み込んだ。
獣だとしても、魔物だったとしても、やることは変わらない。
巨人の岩の肉を抉り取りながら、槍を突き進めて、貫く。
こんな無茶苦茶に戦えるのは、人間ではあり得ない。
巨人が振り下ろした拳を避けて、その上に飛び乗り、手から腕に登る。
「高みへと朽ちゆく刃ーー」
突進と共に突ける槍は、高みへと朽ちゆく刃との相性とも、俺のような脚力に優れた者との相性も良い。
何よりも早く、音すら追い越し背中に回すような速さで、巨人の頬に向かって突く。
頰肉を抉り取り、それでもまだ突き進んで空中に躍り出る。
空中で体制を整えて、シールドを足場にもう一度ーー。
顔面に不恰好な傷を付けられ、速さについて来られないと判断したのか、巨人は無茶苦茶に腕を振り回した。
その行動は知能の低い馬鹿のすることにしか見えなかった、一日中俺に付き合っているので馬鹿であることは確定しているが、その馬鹿らしい行動は……この場において最適解と言っても過言ではなかった。
何度も何度も言ったが、巨人は大きい。 その腕も大きければ、その腕の振り幅も大きい。
おおよそ二十倍。 それが俺と巨人の大きさの差であり、それは直接的な「速さ」に繋がる。
小さいものと大きいものが同じように動いたら、当然その大きさの分だけ動きも大きくなる。
おおよそ二十倍。 それがこの巨人と、俺の大きさの差である。
そんな馬鹿らしいほどの速度で巨人の巨大な、それだけ当たりやすい腕が振り回される。
まともにやって、当たらないわけがなかった。 だから、まともには相手をしない。
真上にシールドを展開し、蹴って地面へと逃れる。 自殺にすら近いあり得ない手であるが、身体には常にエルの治癒魔法がかかり続けている。 即死でなければ徐々に回復する。
巨人の攻撃に当たるよりかは、自殺紛いの行いの方が幾分かマシだ。
地面に叩きつけられた身体を四肢で持ち上げて、そのまま四足で跳躍して、巨人の追撃から逃れる。 持っていた槍を口に咥えてから、また跳躍。
二本の足で動くよりも負担が少なく、動き回りながらいても、回復速度が上回っている。
出血こそどうにもならないがらそれは魔物の血肉を漁って補給するしかないだろう。 巨人に潰されて食い易くなった魔物の死骸があったので槍から口を放して食らいつく。
左手で槍を持って、三足で跳ね回って巨人の攻撃を避ける。
ーー死ね死ね。 早く早く早く。 さあ、死ね。
守る。 エルは俺が守る。 だから俺は……もう逃げはしない。 魔物の死骸についた土や草ごと咀嚼して飲み込む。 吐き気が強まるが、吐き気ごと飲み込んだ。
覚悟はもう出来ている。 とっくの昔から、エルと出会ったその日から、いや、俺が産まれ落ちたと共に、この身この命は全てエルのものであると決まりきっていて、そのためには使い潰す覚悟もある。
だから、生きる。 俺はもう逃げはしない。 そう決めたから……抗い続けてやる。




