逃げはしない。 そう決めたから④
岩の巨人……名前どころかその存在を聞いたことすらないためにそう呼ぶ。
明らかにこんな魔物はおかしい。 大きすぎる。
自重に耐えていることすら不自然に見える巨大な魔物は、地割れから這い出るように地上へと上がってくる。
勝てない。 そう理解するのは、一瞬だった。
「無理だ! 逃げろ!」
どこに、とも言うことが出来ずにただ漠然と逃げろとだけ全員に伝える。
「こんな大きさの魔物から……どうやって、ですか。 やるしかないですよ」
レイがそう言ってから魔法を練る。
大きければ大きいほど、その歩幅も大きくなり移動速度は上がる。 幾ら緩慢な動きであるといえ、二十倍はありそうな歩幅の差は埋めがたいだろう。 俺一人ならば、なんとか逃げ切れるか?
「墜ちろ!神の槍!『レプリ・ラス・キークラ』!」
巨大な岩の化け物に巨大な岩の槍がぶつかる。
いけるか、などとは考えることもなく背中から斧を取り出して他の武器をしまう。
「ロト。 俺が足止めをする。 お前達は全員……出来る限り遠くに逃げろ。 いや、違うな。 初めてあった街にまでだ。 そこから俺の実家に行け、あそこなら父親がいるから、そう簡単には」
言い終わる前に、岩の槍が握り潰されて巨人が地割れした地面から全ての体を出す。
「足止めって……ルトさん! 何を考えて!」
「俺この中ならば、が一番強い。
俺以外なら数分も保たないだろ。 樹も逃げろ。 俺も後で追う」
俺の服を握る樹を無理矢理に引き離す。 どこまで強く握っていたのか、俺の服を握っていた手から皮がめくれて血が出ているのが見える。
「何を言って! 一緒にじゃないと逃げませんよ!」
樹の言葉を聞き流し、樹の体を持ってぶん投げる。 次にレイ、ケトをぶん投げる。
そして迫ってくる、巨人の手。
ロトとリアナは自力で範囲外に逃げたことを横目で見ながら、跳躍して後ろに下がる。
「早く逃げてくれ。 そう長くは保たない」
「だから、アキさんを、置いてなんて!」
また巨人は腕を振り上げる。 岩石の顔は一切の表情もなく、俺たちを見下していた。
「くそっ!」
悪態を吐いて、片手に樹を、もう片手にケトを持って跳躍する。 その二人の重量故に、振り下ろされた手からは逃れられたものの、巨人の拳にぶつかり弾け飛ぶ土からは逃れきれない。
ケトから手を放し、樹の体を覆うようにして土の爆散から樹を守る。
背中に土や石ころがぶつかり、服を貫き肉を抉る感覚がやってくる。
「足手まといだ。
いいから逃げろ。 俺一人ならなんとかなるんだよ!」
「そんな……でも、一人だったら、瘴気とか……」
大丈夫だ。 そう嘘を言って、樹の頭を触る。
「あれぐらいなら、なんとか足止めは出来る。 機動力を生かしたいから一人の方が都合がいいだけだ」
「リアナ。 こいつを背負って逃げてくれ。
あと、その剣も寄越せ」
「……分かった。 またな」
余裕はもうない。 レイがムキになってまた魔法を放とうとしているので、ぶん殴って気絶させてロトに投げ渡す。
足を振り上げた巨人を見て、他の奴等とは反対に巨人に向かって駆け出す。
「アキさん! アキさん! アキさん!! 行っちゃヤです!」
振り下ろされた足を避けて、跳ね飛ぶように足に飛び乗る。 それからそのまま壁を登るように足を駆け上がる。
登ることの出来ないような場所まで来たので、シールドを展開し足場にして、斧を振り下ろす。
力任せの一撃。 それでは何の意味もなさず、表面を薄らと削るだけだ。 人間で例えると、薄皮一枚といったところか。
ならば、もっと力任せに振るうのみ。
ーー高みへと朽ちゆく刃。
戦斧という、剣よりもはるかに重量のある武器によって、グラウから習った俺の最強の剣技を放つ。
岩の肉が跳ね飛ぶが、生物を模した魔物ではないのか血液の一つも飛散することない。 削ることには削られたがまともにダメージが入っているようには見えない。
それでも岩の巨人は自分を傷つけた俺のことが気に入らないのか、意識を向ける。
表情も視線もないが肌に針を刺すかのような緊張が走り、そのことで逃げた樹達ではなく俺を見ているのが分かる。
ならばこそ、もう一度。 俺しか見ることが出来なくなるまで痛めつけるしかない。
もう一度。 振り下ろした一撃が巨人の岩の肉を抉り削る。
その巨体ならば、張り付いていればまともに攻撃は出来ないだろう。 身体に張り付いた蚊でも潰すかのように巨人は自分の手で俺が張り付いている腹部を叩くが、俺はもうそこにはいない。
シールドを展開し、足場にして跳躍。 首元まで移動して、もう一度だ。 高みへと朽ちゆく刃ーー。
巨人の首へとぶつかった瞬間、斧が折れて柄から上が吹き飛ぶ。 即座にそれを投げ捨てて、リアナに渡された剣に持ち変える。
高みへと朽ちゆく刃。 一度振るい、削れる量が少ないことを判断してから、もう一度……いや、あと何度でも。
二式。 ひたすら剣を乱雑に振り回し、巨人の首を落とそうと削る。 しかしそれも中途で剣が折れて目的を果たせない。 残りの武器は、槍と弓矢、それに刀か。
明らかに巨大な魔物の破壊には向いておらず、実質敗北が決定したと言っていいだろう。
だが、それでも引くつもりはない。
シールドを足場に跳躍して巨人の拳から逃れると、地面に降り立つために自由落下に身を任せる。
武器がなくなったこともあるが、斧による一式と金属製の剣による二式の身体への負担は大きく、それに加えて連続で使用し続けているシールドのせいで、現存している魔力は最大の三分の一程度まで落ち込んでいる。
地に足を付けて、死んでいる魔物を踏みつけ、巨人を睨む。 樹達の移動速度を考えると、今から逃げ出したら、すぐに追いつかれるだろう。
絵本があるので邪魔をするものがいなければ間違いなく樹達は追われる。 父親の助け、あるいはグラウ辺りがいれば勝つことも出来るかもしれないが……そこに辿り着くことが出来なければ追いつかれた瞬間敗北だ。
つまり、俺がすべきことは……樹達が逃げ切れるほどまでこいつを足止めすること。 何分。 何時間。 何日。 ……このまま一週間ほど耐えられたとしたら、俺の勝ちだ。
「きついな。 だが、逃げる気はない」
寝ずに過ごしたことがあるのは最大で三日ほどなので、その倍と少し。 まぁやれるな。
休まず戦い通したのは二時間ほどなので、その百倍弱。 やるしかない。
食わず過ごしたのは、三日ほどか。 その倍ならば余裕だと思える。 別に、地面に転がっている魔物の死体を食ってもいい。
樹と、エルと出会ってから共に過ごしていない時間は……どれほどだろうか。 もう辛くて耐えられそうにはない。 また再会できた時に、しっかりと抱きしめて、嫌がられてもキスをして……結婚を申し込もう。 振られてしまうなんてことは、ないだろう。
刀を引き抜く。 俺は決して、負けはしない。
跳躍、跳躍、また跳躍して、巨人の手を避け、足を避けて後ろへと回り込む。
脚の腱……あるとは思えないが、あわよくばという期待を掛けて、人ならばあるはずのそれに向かって白刃を振り切る。
高みへと朽ちゆく刃。 頼りきっている技により、思った通りに脚に線が入るように斬れるが、それでも動きに一切の支障がない。 あちらに損害はほとんどないというのに、刀は曲がって使い物にならなくなっている。
連続して高みへと朽ちゆく刃を使いすぎたせいか、腕にも鈍い痛みが走り始める。
刀を投げ捨てて武器を取り出そうとするが思い留まって跳躍する。 この消耗速度だと一週間どころか三分後にはなくなってしまう。
最悪素手で戦うが、それはまだ早い。




