逃避、その意味、その価値、その結果⑤
翌朝、樹が横で寝ているのを見ながら身体をほぐしていると、扉越しに弟のレイが戸を叩き声をかけてくる。
「朝早くからすみません兄さん。
起きてますか?」
「起きているが、樹……エルが寝ているからもう少し静かにしろ」
場所を変えるぞ。 とだけ言ってから、扉の前からレイを退かして扉を開ける。
すぐに扉を閉めるとレイがものすごく微妙な顔をして俺を見ていた。
「……兄さんのやることに文句を付けるつもりはありませんが、あんな子供とそういうことをしたら、将来的に子供を産めなくなりますよ?」
なんだこいつ。 思春期かよ。
まぁ年齢的に見て、そういったことに多大な興味を寄せる年頃であるのは分かるが、それにしてもどう見ても子供の樹に手を出したと思うとか。
「してる訳がないだろ。 子供だぞ」
「兄さんはその子供といい仲になって婚約までしてるじゃないですか。
……まぁ、それほど珍しいことでもないですけど。 印象は良くないので、隠せとは言いませんが外では恋人らしいことは控えてくださいね」
「元からそんなにしていない。 恋人と言っても……出会ってからそれほど経ってはいないからな」
出会ってから二ヶ月か。 あの時と違って怖がられていないが、嫌われているのでやはり心にくる。 まぁ仕方ないことだし、ただ道具として樹の意思に沿えばいいだけだ。
「ならいいんですけど。
それで本題なんですが……」
軽く頷いて、レイの言葉を待つ。
似合わない緊張をした表情で、レイは口を開いた。
「父さんに、僕も名を上げておけと言われたのですが……。 協力してもらえませんか?」
「無理だ」
俺と樹はすぐにロトを追いかけるつもりでいる。 もう一ヶ月近く前に離れたので、追いつくのも難しいだろうが。
これ以上追いかけるまでに時間をかけると、先に辿り着いていそうだ。
「そう言わずに。 こんな事になったのはだいたい兄さんのせいですし」
「そう言われてもな。 そもそもが俺を主体にして動いているわけではないから、無理だ」
もっと原因を突き詰めれば、父親のせいだ。
「兄さんが主体じゃないって、あの子に従って動いているんですか」
「ああ。 樹、いやエルは俺よりも頭がいいからな。
積極的に動き回っている時点で俺が中心ではないことは分かるだろ」
「まぁ、兄さんが主導してたら、間違いなく引きこもってますよね……。
じゃあ、エルちゃんに頼めばいいんですね」
「……お前とエルを話させるのはなんとなく不快だな」
「もう、どうしろと」
レイという優秀な弟は、俺よりも多くの物で優れている。 落ちこぼれと天才という差のある魔法は当然にしろ、学業といった面でもレイに軍配が上がる。
なんとレイはエンブルク家始まって以来の天才で、驚くことに14歳にして14歳の平均を下回っている人達の平均に近いほどの学力を備えているのだ。
すごい。
性格も俺と違い臆病ではなく、思い切りもいい。
俺の方が優れているところは、身体能力ぐらいのものだろう。 劣等感を強く抱いているわけではないが、樹と合わせたくない。
もし好意がレイの方向に向けば、殺してしまう。
「とりあえず話は伝えておくから、どこでどうしたいぐらいかを今言え」
「そうですか。 ありがとうございます。
とりあえずは魔法都市の方向を抜けて、その幾つかの街を超えた先にある街が、今すごい量の魔物が近くに押し寄せているらしいので、それの駆除をしたいですね。
前衛として動ける強い人が欲しいので兄さんに頼んだんですけど」
「世辞はいらない。
だが、魔物の群れの掃討か…… 」
もしかして、ロト達がそこにいるのか? 魔物の群れの出来る理由はそれぐらいしか思い浮かばない。
方向も合っている。 距離は思ったよりも稼げていないが、少人数で魔物の対処をしながらだと当然か?
「そちらの方向には用がある。 それに……お前の目的とも噛み合うかもしれないな。
まぁ何にしろエルの判断に従うだけだが」
「あっ、本当にですか? ありがとうございます」
レイが軽く頭を下げる。
出来る限りレイと共にいたくはないが……。 レイとの旅だったら家の馬車や使用人や金を使えるだろうし、ロトの元へと追いつくのは難しくない。
都合自体は悪くないが、何しろレイと共にいるのは嫌だ。 それに魔物の群れとわざわざ戦いに行くのも……。
「あまり期待はするなよ」
「はい。 分かってますよ。
もしかして兄さんって、僕のことが嫌いなんですか?」
「別に嫌いではないが。
だが、お前って昔から、人の食べてる物や、持っている物を欲しがるタチだっただろ」
「そうですか?」
「そうなんだよ。 次、それをしたら殺すからな」
意味が分かっていないのかレイは首を傾げる。 まぁ、レイと樹では年も離れているし、樹はそんな浮気なんてしないだろう。
まぁ、普通に俺が振られる可能性もあるが。
振られたらとりあえず死ぬとして、振られる前に樹ともっと色々なことがしておきたい。 なんだかんだと言っても、短い時間しか過ごしていないのでまだ樹のことは完全に理解しきれてはいない。 それに、結局キスもあの一回だけだ。
……いや、俺は道具。 道具は主人にやましい感情を抱いたりはしない。
「じゃあ、またな」
樹が目を覚ましたときに一緒にいたはずの俺がいなくなっていたら少し驚くかもしれない。 それを防ぐためにもレイとの話を切り上げて部屋に戻る。
扉が閉まる音が小さく部屋の中に響き、樹が小さく身をよじった。
「んぅ……アキさん?」
目を閉じたまま樹は手を動かしてベッドの中を探る。
その愛らしさに頬を緩ませながら樹の寝ているところに近づき、その手を握る。
少し不安げに強張っていた樹の表情は緩まり、ほにゃりと柔らかい笑顔になる。
「かわいいな」
寝返りで少し乱れた髪の毛を梳きながら樹の頭を撫でる。 細く繊細な髪の毛には妙な生え方をしている毛も、傷んだところもなく、非常に美しい。
起こさないようにゆっくりと手をエルの髪に絡ませて、そのまま引いても、指が引っかかることもなく抜けていく。
あった当初より伸びていて、そう長くなかった髪の毛も肩に降りてくるぐらいまである。
樹の髪の毛を見て撫でていると、俺の髪の毛も同じだけ伸びっぱなしになっている事に気がつく。 ボサボサと乱雑に伸び放題になっていて、触ってみると樹の物とは違ってごわついていて触り心地が悪い。
「そろそろ髪も斬るべきか」
小さく呟いてからナイフを手に取り、自身の頭に向ける。
切り落ちた髪の毛が樹に触れないように離れながらゴミ箱の元に移動する。
切り落ちる髪の毛がゴミ箱に入るようにしながら、ナイフを髪の毛に当てて切る。
適当に切り終えてからゴミ箱の中の物を捨てに行こうとすると、後ろで樹が動く音がしたので振り返る。
「ん、アキさん……? おはようございます」
昨日は本当に俺が寝るまで共に起きていたので、夜遅くまで起きていた。 そのせいもあってか樹はまだ眠たげな目を擦りながら俺の顔を見る。
「ルトさん、髪切りました?」
「ああ、伸びていたからな」
「ん……似合ってますよ。 僕も髪を切りに行った方がいいですか?」
「いや、必要はないだろう」
樹は目元を擦るのは止めて、俺を軽く見上げながら口を開いた。
「ルトさんは、髪が長い方が……お好みですか?」
髪の毛の長さか。 よく考えた事がなかったな……。
樹の顔をじっと見つめる。 出会った当初の血色の悪いやせ細った顔ではなく、少し痩せているが、血色が悪いこともない綺麗な白色の肌。
出会ったときの短く切られた髪の毛も可愛らしいが、今のこの長さも可愛らしい。
「なら、樹の量が増えることも考えると、長い方がいいか……?
いや、切った髪の毛をもらえるなら……」
「あげませんよ。 捨てますから」
「……ならそのままの方が樹が多くていい」
「どういう基準ですか」
そう言いながらも樹は頬を染めて、伸びている髪を弄る。
レイの伝言を伝えないとならないが、まあ後でもいいだろう。




