少女の願いと嘘っぱち⑨
エルは俺を慰めるように言った。
「僕は、徒労に終わったとしても、馬鹿にしません。 ありがとうございます。 りーちゃんのために頑張ってくれて」
「違う、違うんだ。 俺はーー」
ーー少女が死ぬのが怖くて、逃げ出しただけなんだ。
そう吐き出して、エルが泣いた。 嘘だ嘘だと吐き出して涙を流す。
俺はひたすら頭を地面にぶつけて謝る。 子供のように、ごめんなさいごめんなさいと泣きじゃくりながら。
「それじゃあ、あの子は、りーちゃんはただ何の意味なく寂しい思いをしただけじゃないですか!」
その高い少女の怒鳴り声は、あまりに苦しい。
ただひたすら謝る。 エルにか、少女か。 誰に謝っているのかもしれずに、ただひたすらごめんなさいと叫び続けた。
◆◆◆◆◆
死んだ。 少女は死んだ。
俺はその死に目にすら会うことも出来ずに……出来たのに逃げ出した。
少女の両親からは、礼を言われた。
「リクシと仲良くしてあげてありがとう。 天に向かうその前にも、君がいないかを……尋ねられた」
その言葉は、礼のつもりだったのだろうが、呪詛にすら聞こえた。
「ごめんなさい」
また一言謝ってから、いつの間にかいた横にいたエルと共に、屋敷を後にした。
一言も発することもなく、決まったようにエルと共に村に戻った。
門番代わりの女性に驚かれたような声を出された後に、流水がやってきた。 理由を聞かれて、エルが答えた。
家に着いて、エルは腰を下ろす前に荷物を纏め始めた。
「ルトさんの、実家に戻りましょう」
「エ、ル……。 捨てないでくれ。 ください。 お願いします」
エルの言葉の意味はすぐに分かった。 あそこは、エルと共にいなくても瘴気がなく、魔王の命令を受けない場所だ。
嫌だ。 エルと一緒にいたいと、縋り付く。
「僕は、貴方のことが好きです。 好きで好きで……。
でも、ルトさんは……僕が死んでしまう時も、逃げるんでしょう」
否定出来なかった。否定をすることも出来ずに、力任せにエルを押し倒した。 幸いにして後ろのベッドの上にエルの身体が沈み込み、怪我をすることもなく倒れ込んだ。
のしかかるように、エルの柔らかい肩を掴み、抵抗出来ないように無理矢理押さえつける。
俺はなんでこんなことをしている。 力づくで、無理矢理に共にいても意味がないのに。 ただ、今のようにエルが表情を失くして、心を閉ざすだけだろう。
そんなこと、分かっている。
興奮のせいか息が上がり、まっすぐにエルを見ることも出来ずに表情を歪める。 エルは表情もなく、小さく呟くように言った。
「いいですよ」
エルはほんの少しだけ声を震えさせながら、頰を赤らめながら、嫌悪と好意を併せ持つ瞳を俺に向けながら言う。
「僕を好きに使えばいいですよ。
愛している貴方をおいて逃げ出そうなんて、思いません。
大好きな貴方を獣にしないためには、あそこに行く他には一緒にいるしかないですから」
だから、とエルは続ける。
「好きに使えばいいです。
どうせ元々、身体も捕まっていますし、心も貴方の元にあります。 ……僕は貴方の物ですから。 何をしても、どう扱おうとも、いいです」
いつもなら喜び狂っていたかもしれないが、今は、それはひたすら情けがない。 情けないと自分を責めて、少女の死から逃げようとしている。
「お好きにしてください」
その言葉に負けて、エルの身体を離す。 ただ情けない。
エルは乱れた服装を整えて、荒くなった息を直す。
「僕は貴方が好きですよ。
前も言いましたが、駄目でも臆病でも、なんだったとして、好きなものは好きです。
……でも、嫌悪しています。 それでも好きですが」
俺が逃げ出した恨みを、少女の代わりに俺を睨み付ける。
エルの嫌悪という言葉に辛い思いをしたが、当然のことだ。
だから、こうやってエルと話を出来ていることに違和感を覚える。
「それでも俺は……エルを守らないと」
俺の言葉に、エルが吐き捨てる。
「逃げる癖に」
事実だった。 俺は逃げ出した。
今も嫌悪の含んだエルの瞳が怖くて、エルの目を見ることが出来ずにいる。
俺は、弱い。
そう弱いと自分を責めることで、少女を忘れようとしている。
「それでも、エルを守らないと」
「なら僕は、今から雨夜 樹に戻ります。
詭弁ですが……。 これでその約束は無効です。 ルトさん」
プツリと、俺とエルの絆が切れた音が聞こえた。
「エル……」
「以前のように雨夜と……いえ、樹と呼んでください。
……もう、話はやめましょう。 八つ当たりです、ただの。 ごめんなさい。
それにルトさんも、僕も…….泣きたいでしょう」
そんな絆が切れた音も俺には空虚に聞こえた。 少女が死んで、その死から逃げ出した。少女は俺のせいで寂しい思いをして死んだ。
ああ、と頷く権利もないことを知っている。 人に気を使った笑顔の少女は、もういない。
静寂の中、雨が降っている音が聞こえ始めた。エルが泣くための場所を作るために、俺は外に出た。
雨のおかげか、まだ昼なのに外には人がいない。 家の近くでまっすぐに立って天を仰ぎ見る。
雨が降って、顔から水が流れ落ちていく。
出来ることならば謝りたい。 もういもしない少女を思い、雨に紛れさせて涙を流す。
エルは俺よりもずっと仲良くしていた。 だから俺よりも深く悲しんでいるだろう。
あの少女の親も、俺などとは比べ物にならないほど涙を流しただろう。
使用人も世話をしてきたのだ。 悲しくない筈がない。
雨が降る。 黒い雲に覆われていた空が一層暗さを増していく。 雲の外では日が暮れたのだろう。
長い雨が降っている。
星明かりや月明かりさえも雲に覆い隠され、村人の生活光もない。 時折響く雷の光が唯一辺りを照らす。 その一瞬ですら世界を見たくなくて、目を閉じて蹲った。
断続的に轟き、揺らす雷の音。 延々と、世界を穿つように降り続く雨の音。
そんな大きな音の中、それを塗り潰すような声が喉から溢れ出る。
「ぅぁ……うああ……。 あ、あああ。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああーーーー!!!!」
少女は死んだ。 その事実から逃れようと、吠える。 雨粒の全て揺らすような吠え声は、事実から逃れるどころか俺に突きつけてくる。
少女は死んだ。
「ああああぁぁ…………ぁ」
少女は死んだ。
逃れることは出来ない。
少女は死んだ。
昼から雨を浴び続け、雨の夜の間叫び続け、雨が上がり、日が出てきて。 やっと、その事実を理解した。
少女は死んだ。
少女は死んだ。




