少女の願いと嘘っぱち⑧
「今日は嬉しくて、もっと調子が良くなってる。
んぅ……あ、このんぅって言うのエルちゃんっぽいね」
少女はそう言って笑う。
元気なった、も事実ではないだろう。 また嘘を吐かせた。 おそらくはエルにではなく、俺に吐いた嘘だ。
俺が吐かせた嘘だった。
それをさせない術を俺は持っていない。
少女の死を受け入れられない。 出会ったときから、分かりきっていた事実、定まっていた命、なのに、あの時はそれでも大丈夫だったのに。
「アキさん。 笑ってください」
笑ってくださいよ。
その言葉を聞いたからと言って、笑える訳がなかった。
それほど少女を大切に思っているつもりはなかったが、情けない俺には抑えきれないほどの混沌とした感情が溢れる。
「は、はは。 確かに、エルはよく「んぅ」って言うな。
はは……」
俺は弱い。 あまりにも、代わりに死にたくなるほどに、弱い弱くて、情けない。
今まで俺は、自分が……まともに魔法の使えない落ちこぼれでも、強い人間だと思っていた。
友がいなくても、家がなくても、名がなくても、怪我をしても、暴走しても、どれほど足りずに失っても……自分の力で手に入れ取り戻すつもりだった。
事実、友は出来た、エルの横に居場所が出来て、エルに名をもらった、怪我も治り、怪我をさせたやつを倒し、暴走もエルの力で抑えられている。
だが、それでも俺は、この少女を助けることは出来ない。 救えない。
「ははは、なんて笑い方初めて聞きましたよ。 アキさんって、声出して笑いませんから」
エルの言葉もどこかぎこちない。 理由は分かっている。 それでもエルは、俺と違って……少女に心配をかけてはいなかった。
耐えきれずに「ははは」と、笑いながら外に出て、扉に背をもたれかかるように座る。
後ろからエルの笑い声が聞こえる。 少女の楽しそうな話し声も聞こえる。
屋敷の奥で誰かが、啜り泣く音が聞こえた。
「ああ、魔物になりたい」
あいつらは死を目の前にしても泣かないし弱音を吐かない。 弱音の代わりに呪詛のような叫び声と、目からは涙ではなく殺意を溢れさせる。 そんな姿ならば、少女は俺に気を使うなんてことはなかったのだろう。 俺はあまりに弱すぎる。
いつもエルに横に立ってもらい、守られている。
膝を抱えるように丸くなって、膝に顔を埋める。
膝のズボンが濡れて、冷たい感覚がした。
強くなりたい。 でも強くはなれない。
少女の死を誤魔化すために俺は屋敷の外に出た。 少女の病気を治すために動く、を言い訳にして、少女の前から逃げ出した。
屋敷を抜け出し、野に向かって走る。
空気中の瘴気によって伝わる魔王の命令。
あるいはそれを受け入れて少女の死から目を背けたかったのだろう。 全力で野を走り、駆け抜ける。
目に入った魔物に刃を振るい、技でも何でもない一切の精細のない振り方で魔物を断ち切る。 魔石の回収も億劫で、返り血を浴びたまま、憂さ晴らしのために魔物を惨殺する。
魔王の影響により強力になっている魔物相手にいつまでもそんな無茶苦茶が通じるわけもなく、徐々に怪我をして身体を痛めていく。
こんなことに意味がないことは分かっている。
血の匂いに惹かれてきた魔物を殺し、それでまたやってくる魔物を殺す。
ただの憂さ晴らしで、解決に向かえるようなものではない。 ただ魔物を殺す、殺す。 ーー殺せ。 殺す。 殺す。 ーー殺せ。 殺す。
頭の中に命令が響き渡り、少女のことをほんの少しだけ忘れられそうだ。
意識が魔王に囚われていく感覚に陥りながら、夢を見た。
魔物ではあるが、人でもある俺を殺そうとやってくる魔物に命令に囚われた身体が勝手に反撃をする。
白昼夢。 というには、あまりに懐かしい。 記憶だった。
◆◆◆◆◆
「君と同じ墓に入りたい」
俺がそんなことを言った。 荒れて伸びきった黒髪が、自分の額から垂れ下がって金色の髪をした少女の荒い息に押されて俺の頬をくすぐった。
金色の少女が俺のことをからかうときに、顔を近づけて、そんなときもこうやって長くなった髪が俺の頬をくすぐったな。
楽しかった記憶が、蘇る。
少女が俺の手を握りしめて、悲しそうに笑った。
初めて俺が守ることが出来ずに、手から命が零れ落ちたときにも、こうやって慰めてくれたな。
悲しかった記憶が、蘇る。
少女が俺に「弱いなあ」と微笑んだ。
この世界にやってきて、何も出来なかった俺に魔法のことを教えてくれたときのことを思い出す。
初めての幸せ、その記憶が、蘇る。
俺は死にたかった。 だからここにきた。
誰も彼もに死んでほしかった。 だからここに連れられた。
俺は死にたい。 それは今も変わらない。
けれど少女には……生きていてほしかった。
「俺は、俺は……君と死ぬ方法を、探してくる」
そう言って少女の手を離して……。
「止めて、一緒にいてーー」
共に生きて、共に死にたいと思っていた少女の死から逃げ出した。
◆◆◆◆◆
目が醒める。 戦いに明け暮れたせいで、周りには魔物の死体がそこら中に転がり、俺は体中が怪我と返り血で赤く染め上げられていた。
日が暮れて、明けたあとになったが、少女の死を見なければならない。 共にいてやらなければ……。
「行かないと。 もう、逃げ出しては」
走る。 走る。
来た道を疲れた身体で、全力で走る。
身体的には元気だった上に全力で走った速さよりも、速く。
地面に足がつくたびに身体中の傷口から血を吹き出しながら、ひたすらまっすぐに街を、屋敷を、少女を目指して走った。
朝早くなのに、ヤケに屋敷の中が明るい。
夏なのにどこか寒々しい風が身体を吹き抜けて、血を乾かしていく。
弱った身体はよく動き、慣れたように屋敷の塀を乗り越えて、窓の開いていた少女の部屋の中に飛び込む。
ヘラりと軽薄な笑みを浮かべてみるが、風が揺れてカーテンを動かすだけ。
見てみれば少女もエルもここにはいなかった。
部屋を間違えたかと周りを見渡せば、エルと作った千羽鶴を初めとした魔力を込めた物品の数々。
それが部屋の中に飾られていた。
許可をもらったから、飾ることが出来たのだろう。 だがそのまじない術の物品からは魔力が感じられない。
まじない術は願いが叶ったら魔力を使い終えてなくなるから、もしかしたら少女の願いが叶ったのかもしれない。
そのためにエルと必死に作ったのだ。
もし治っていたら。 なんて言葉をかければいいのだろうか。 いや、治っているとは限らない妙な期待は止めておいた方がいいだろう。
エルはどこに、少女はどこにいるのだろうかと扉を開けて廊下に出る。
一人ぐらいはいてもおかしくのない長い廊下には人が一人もおらずに、後ろから吹いた風が流れる音だけが響いた。
朝早くなのに明るい照明が点灯していて少し不自然に思いながら、少女を探して見渡しながら辺りを探る。 魔力の感知も怠らず、朝早く故にか人気のない屋敷の中を歩き回る。
人がいないと長く感じる廊下を抜けると、エルの魔力を見つけてそこに走った。
「エル!」
抱き締めたいような気持ちだったが、血塗れの身体をエルになすりつける訳にはいかないので声をかけるだけに押し止まった。
エルは俺の顔を見る。 少女の近くでは笑顔を心がけていたエルの表情は、笑っていなかった。
「アキ……ルト、さん」
なんでそっちの名前を。 エルは表情のない顔をこちらに向けて、血塗れの俺の身体を見る。
「どこに行って……ああ、危険を侵して、りーちゃんを助けるためのものを取りに行ってたんですね」
「ごめん。 あの子の死が怖くて、逃げ出していた」
「いや、違いますよね。 貴方は、諦めずに頑張って、頑張って……」
「エル……。 ごめん」
エルは表情のない虚ろな目で俺を見る。
「謝らないでくださいよ。 謝る必要はないじゃないですか」
「……ごめん」
「アキ、さん。 謝らないでください」
「……ごめん」
「謝らないでください!」
エルが大声をあげて怒鳴った。 怒りの形相で、だけど後ろに下がりながらエルは言う。
「アキさんは、頑張ってくれたんですよ。 だから、だから……」
「エル……?」
エルが何故これほどまでに取り乱しているのか分からずに、エルの名を呼んだ。
「だから、りーちゃんに寂しい思いをさせながら……。 寂しい思いで死なせてしまったんですよね」
言葉を、失う。 出血によってか、体中から力が抜け落ちて膝から崩れ落ちる。
あの子が……死んだ?




