日常編(終)
俺には秘密で色々買いたいということで、エルと月城は少し離れたところで買い物をしている。 離れているとはいえ、跳ね飛べば一秒も経たずに着ける程度の場所なので問題はないだろう。
そもそも、人の街に魔物が出ることなんてそうそうあることでは……いや、俺がいるからそうでもないか。
考えてみたら、あのホブゴブリンになった男のように高位の魔物や、俺のような人の姿をしている魔物ならば容易に進入することができる。 今は周りに怪しい奴はいないが、警戒するに越したことはないか。
魔王が復活した今、何が起こってもおかしくはないのだから。
幾つかの店を回り、俺もついでに幾つかの必要そうなものを買いながらエルたちについていく。 小腹が空いたときのための安い保存食や、使い勝手の良さそうな小型のナイフ、丈夫そうな鞄に、それに加えてエルが喜びそうなものを買っておく。
前のものよりも火力の高い魔道具も買いたかったが、旅をしていた頃の金銭が減ってきていたので止めておく。
何となく、家の金は使う気が起きない。
十と幾年の生活よりも、一カ月の旅の方が慣れた感覚があり、この着慣れた服よりも前のボロボロな服の方が着心地が良く感じる。 小さくため息を吐き出す。
本当に、戦わずにエルが守れるのか。 理性よりも強い直感、本能とでも呼べるような感覚が焦燥を呼び起こす。
焦りが俺のまともな考えを奪ったのか、不意にグラウの顔が頭に浮かぶ。
「あとで、グラウに相談でもしてみるか」
このままでいいのか。 魔王を倒しに行くべきか。
気持ちの悪い焦燥のみが残り、「帰りますよ」と言ったエルに追いつく。
俺は、魔王の恐ろしさを知っている。
帰路につき、エルの荷物を持とうとしたら何故か月城に荷物を押し付けられる。 エルは荷物を離そうとしないので、諦めてそのまま帰る。
「そういえば、エルが喜びそうなものを見つけたんだが……」
「僕が、ですか?」
その言葉に頷いて、買った鞄の中に入れていた瓶を取り出す。
黒い液体。 薄く伸ばせば赤みがかった茶色にも見えるそれは、おれはこの前存在を知ったばかりで初めて見たものなので本物かどうかは分からないが。
「醤油……醤油? この世界にもあったんですか!」
「いや、少なくとも俺は知らないな。 勇者が作ったとかじゃないのか?」
「む、でも、一カ月やそこらで作れるようなものではありませんし……もしや、月城さんと話していた……」
「醤油を出す能力者?」
「斜め下方向に、何でもありになってきましたね」
よく分からないけど、エルがピンポイントで喜ぶものが作れる能力とは羨ましい。 もし手に入れたらその調味料で湖を作ってやるのに。
「ふむー。 すみません。 やっぱり荷物持ってもらえませんか?」
「いいが、どうしたんだ?」
「走って、その売ってるお店に行ってみようかと。
勇者が作ったものを売っていたとしたら、そこから繋がりが辿れるかもしれないので」
勇者と出会って情報の交換をするつもりなのか。
エルから荷物を受け取り、踵を返して振り向く。
「アキさんも来てくれるんですか?」
「エル一人にするわけないだろ。 月城はどうする」
「ん、直ぐに会える訳じゃないだろうからこのまま戻るよ。 卵とかも入ってるから、そっちの袋ちょうだい。 走って割れたら袋の中が悲惨なことになっちゃう」
言われた通りに月城に袋を一つ渡し、エルと一緒に引き返す。
また買いに行くかもしれないと、道は覚えていたので直ぐに見つけ、店主の男に声をかける。
「あの、すみません。 少しお時間いただけますか?」
「ん? ああ、いいけどどうしたの? 何かほしいものあった?」
この店は珍しい物を主に取り扱っているのか、よく分からない物品や食品が多い。 何処と無くガッチリとした体格は商人というよりも旅人といった方がしっくりとくる。
店を持っているが、行商か何かをしているのだろうか。
「えと、醤油っていう黒い液体のことなんですけど……。
ああ、それならまだ一つ残ってるよ」
店主が指を指して言う。
「いえ、ほしいことはほしいんですけど、別用で。
その醤油、何処から手に入れたか教えていただけませんか?」
「ああ、これか。 確か……嬢ちゃんみたいな髪の色をしていた男に無理矢理押し付けられたんだ。 絶対高く売れるからって言われて。 まぁただだしもらっといた」
エルと目を合わせて、頷く。 やはり勇者か。
「その人がいた場所を教えていただけますか? ……醤油も買うので」
「えーっと、確かこっから結構西の方にいった街の外れ。 ジンロって街の外れだったな。 少し前だから多分もういないと思う」
「ありがとうございます」
結局、店にあった醤油を半分ほど残して買い、それを持って屋敷に帰ることになった。
無駄に寄り道したせいで今から作っても夕食の近くになるということで諦め、エルは俺の部屋で忙しなくうろちょろとしている。
「おやつは作れませんでしたが、醤油があればあれが食べれます。 お刺身! 月城さんが用意してくれるそうです!」
「お刺身?」
「はい! 主に魚肉などを綺麗に捌いて、醤油などを付けて食べる物です!
美味しいですよ?」
「ん、捌いてどうするんだ? 焼くのか?」
「焼きませんよ。 生です、生!」
「なんか腹を壊しそうだな」
まぁエルの浄化があれば腹を壊したりはしないだろうが。 だが、魚を生で食べるのがそんなに美味いのか?
エルが言うのならば美味いのだろう。
しばらくして夕食時になり、月城が呼びに来たので物の手入れを途中で止めて立ち上がる。 エルが緊張しないように、食べる場所はレイや父親とは時間と場所をズラしている。 落ち着かない広い場所ではなく、普通の一部屋に置かれた夕食を見る。
いつものさほど変わらない夕食とは別に一種の異様な皿を見る。 皿に盛られた魚肉を見て少し顔を歪める。 魚肉は切っただけだ。
「楽しみだね。 有り合わせだから、あまり合わないかもしれないけど」
「そうですね。 とりあえず浄化しておきますね」
普段は痛いからといって少し間をおいてから発動する浄化を何の戸惑いもなく発動する。 指先から発せられた光は醤油やお刺身を包み、腹を壊す元となるものを取り除く。
「じゃあ、早速食べようか」
月城は席に着いたかと思うと、他の夕食に目もくれずにお刺身にフォークを突き刺す。小皿に入れた醤油に生魚を軽く付けてから口に持っていく。
「ん、美味い。 少し思ってた味とは違うけど、いけるよこれ」
エルが頷いてから同じように食べる。
「美味しいですね。 やっぱり、醤油は偉大ですね……」
エルは間髪をおかずにもう一度お刺身を突き刺し、醤油に付けて俺の方に向ける。
「食べますか?」
そんなに美味いのだったらと頷くと、エルは手に持ったそれをそのまま俺の方に近づけていく。 エルの唇が触れていたフォークが……。
何度あっても慣れないそれに緊張しながらそれを口に含み、咀嚼する。
「どう? 美味しい?」
月城が嬉しそうに聞いてくる。
「……しょっぱくて生臭い」
「これだから外人は……」
よく分からないが馬鹿にされた気がする。




