クラシックビター【カイン】
本編とも若干絡んだ話になります。
ゆったりとした室内にある大きなソファーに体をもたれかけ、カインが耳にする音楽はクラシック。小さなモノクロのテーブルに置いた高価な小皿に、チョコレートがひとつ、ふたつ。ホワイトとブラック、ビターなどに分かれたチョコレート。その中でカインはクラシック・ビターを選んだ。
少し、お話をしましょうか。
クラシックビターとは、落ち着いた苦さの事。所謂大人の味というもの。でも私は昔からこのクラシックビターチョコレートが大好きでした。
今もクラシックビターは大好きですが、私の中で何かが変わろうとしているのが分かりました。心の何処かで“甘さ”を欲しているのです。それは甘味ではありません。かといって人に甘やかされたい訳でもありません。ですが、私が欲しているのは紛れもない“甘さ”なのです。
その病気はバレンタインの日から始まりました。普段とは違う異様な空気を醸し出す町で浮いた状態になっていた私は、兎に角政宗さんが気になって仕方なかったのです。料理が苦手だと語る政宗さんの作ったものはとても美味しく感じました。そしてその“味”をもう一度と思うようになったのです。
カインは机にあったチョコレートをひとつ口に含み、ソファーから外を眺めた。外に映るのは、あのバレンタインと同じようで違う光景だ。
透き通った空は同じ、だが風が強いのは違う。そのように分類しながらカインはあの日の事を思い出す。ご主人様・・・お嬢様が不在だと寂しがった僕を膝に乗せながら。
第二のご主人様は今日はお仕事がお忙しいようで、僕を構ってはくれない。流れるようにして次に僕が選んだのは、第三のご主人様のカインだ。
最近のカインは何だかただの器になったように、空っぽになっている気がする。っと、話はそれくらいにして、本題に戻そう。
僕を抱き、頭を撫でながら掛ける言葉は虚無を連想させて、心ここに在らずといった様子を見せる。時々洩らす吐息には深い意味がありそうな、そんな気がする。
私はあの人の事を思いだしながら、深い溜め息をつきました。思えば今日はずっと同じ事を考えています。
そう思いながらソファーでのんびりしていると、何やら慌ただしそうにケインが家を出ていくのが聞こえました。何事なのかと思い返せば理由は即座に浮かびます。ケインはケインなりに奮闘しているのでしょう。大好きなあの娘の事を考えて。
そうとなれば私もすぐに買い物に出掛けるとしましょうか。相手は違えどケインに先を取られるのは癪にさわりますし。
カインは、急に僕を膝から下ろしたと思うとすぐに何処かへ行く支度を始めた。こんなに忙しそうな主を見るのは久々だ。それにしても今日は何なんだ、次から次へと主が家を留守にしていく。このままじゃあ僕はお留守番じゃないか。
カインは身支度を終えるとすぐに部屋を後にした。僕の方を振り返らずにそのまま扉を開けて行ってしまった。僕は寂しくなり、一声ないた。
家を出てすぐに私の目的地はあります。それは地元のスーパーです。普段食材はお取り寄せなのであまりここへは来ないのですが、今日は個人の買い物なのでそこに向かうのが最善でしょう。いちいち取り寄せる時間もありませんし。
スーパーに入るや否や、すぐに目に入るホワイトデーの文字。気付くのが遅かったと後悔しながらも、何を作ろうかと考え始めました。私が作れるとすれば、レシピの載っているものと答えなくてはなりません。普段から料理はしませんし、そんな私が作り方を知っている訳がないからです。レシピさえあればそれ通りに作れるのですが。
私は懐からスマフォを取りだし、指で操作し始めました。まずは情報を集めなくてはと思ったのです。案の定、直ぐ様目的のレシピが見つかりました。政宗さんの好物は知りませんが、チョコレートケーキなら食べられる事でしょう。
画面に表示された情報を元に材料を集め出しながら思いました。材料を見つける事だけでもかなり時間が掛かるのだと。慣れない場所で物を探すのはかなり大変であるのだと。普段私はそれを人に押し付けているのだと痛感しました。皆さんは日常的にこのような場所を訪れ、自らの必要な物を籠に入れていくのですね。
籠を持ちながら店内を徘徊する姿はさぞ滑稽でしょう。浮いているのも分かります。何より周囲からの目が気付かせます。それと・・・隣を過ぎる家族達のなんと幸せそうな事でしょう。私達の家族からしたら、一緒に何処かへ出掛けるなど滅多にありません。
私は不思議な気持ちになりました。
今まで普通だと思っていたことが、こんなに違うなんて。
何とか大体の材料が揃うに従って、次第に店内の様子が分かるようになりました。後は最後に卵を入れるだけだと歩いていく私の目に映る一人の男性は、私のよく知っている人でした。私と同じように買い物に来たのだと知りつつも、敢えてそれを口にしました。
「おや、ケインじゃありませんか」
「・・・カイン?」
買い物カゴを片手に持ち、主婦のようにその場に居る私を見るケインの目は不思議そうに見開いていて、余程驚いたようでした。ケインは私が持つ買い物カゴの中に、幾つかの材料が入っているのを確認すると、やっぱりそうかというように、少し笑って見せました。
「お前、何でここに?」
「ホワイトデーの御返しの材料を揃えに」
「あぁ、やっぱ俺と同じか」
貴方もなのですかと私が問うとケインは頷いてみせました。私はこれ以上の話は無利益だと思い、すぐにその場を去りました。妙な勘繰りをされない為にも、これが最善なのです。それに材料をみられるのはあまりいい気がしません。
ケインと別れ卵を入手した私は会計へ急ぎ、レジを済ませて寮に向かいました。この調子で行くと、ケインは本宅へ戻るでしょう。同じ調理場でこれを作るのは嫌です。寮であれば、個人の空間なので一人で出来ると私は見込んだのでした。
久々に来た寮は綺麗に掃除されていました。きっと使用人の中の誰かが掃除をしてくれたのでしょう。誰だかは分かりませんが、感謝します。
早速キッチンへ急ぎ、レシピを眺めながら作業に入ります。案外手順は簡単なようでしたが慣れていない私は手際が悪く、時間が掛かってしまいました。それに、デコレーションも余り上手くいかず、中途半端なケーキが私の目の前に出現することになりました。
さて、これからが問題です。私は政宗さんにこれをどうやって渡せば良いのでしょう?
手渡しではケーキが崩れてしまいますし、食べている所を眺める事が出来ません。万が一ケーキが不味いとなれば、政宗さんに気を使わせてしまう事になってしまいます。どうしてもそれは避けなくてはなりません。
ではこのケーキをどうするか?残りの選択肢はただ一つ。ケーキを持っていけないのなら、政宗さんを寮に呼べばいい。政宗さんならきっと真希くんに呼ばれ、男子寮に近付いた事があるし、道は大丈夫でしょう。それにいざとなったら迎えに行けばいいだけの話です。
ですが、次に問題なのはどう呼び出すかです。「あの、バレンタインの礼がしたいので寮に来てください」なんてありきたりなものではいけません。折角のムードが台無しですから。こんなチャンスを逃す訳にはいきません。何と言っても好感度を上げられるかもしれないんですから、慎重にいかないと。
ならばこれはどうでしょう、率直に「貴女に会いたい」と告げるというのは。きっと純情可憐な政宗さんなら、少なくともドキッとはする筈です。よし、これでいきましょう。
「・・・もしもし、カインですが」
久々に掛ける電話に緊張しながらも、声が震えぬように気を配ります。
「もしもし・・・政宗です。カインさん、何かご用ですか?」
「今から男子寮に来て頂きたいのですが」
「え・・・」
率直・・・過ぎましたかね。でもこれくらいが丁度良いんです。ノーとは言えないようにしてしまえばこちらの勝ちというものですから。
「もう貴女が来る準備はしてありますので」
悪人と言われようが、構いません。あの人を占領出来るのであれば、少しの犠牲はスルーします。
「・・・私を、ですか?カインさんの部屋に・・・?」
「えぇ、そうです。どうしても貴女に会いたくなってしまって。可笑しいですよね、こんな急に」
こういう時は、緋威翔さんの才能を羨みます。貴方のような甘い言葉を掛けられるのなら、こんなに苦労はしません。たった今吐いた言葉ですら、私には限界なのです。
「行っても良いと仰るなら、お言葉に甘えて。いつ頃着けばいいですか?」
「いつでも。貴女が来たいと思った時間に来てください」
貴女を縛ったりはしません。私もそこまで欲張りではありませんから。それに――貴女の性格は掴んでいるも同然ですから。だって今貴女はいつ行くか迷っているでしょう?いつ頃行けばいいのかとはっきり提示してない以上、貴女は今すぐにここに来るしかないのです。
暫くして予想は的中しました。おずおずと押したらしいチャイムが弱々しく部屋に響きます。政宗さんが来たのだと気付いた私は、わざとゆっくりめに玄関に行きました。不安にさせた後の安心感程近寄りやすくなるものはないからです。
どうしようと思っている時に知っている人が側にいたら安心するでしょう?そして頼りたくなるでしょう?
頃合いを見てドアを開けると心配そうにしていた政宗さんの表情がパッと明るくなりました。・・・計算通り。
「出るのが遅くてすみません。さぁ、あがってください」
いつも制服姿しか見かけない政宗さんは今日は普段着で来たようで、白いワンピースに深緑の薄い上着、そして焦げ茶色のブーツを履いて現れました。普段はこういう服を着ているのかと思いつつ、リビングにあるソファーへと案内しました。
一段落ついた所で、私は政宗さんに話しかけます。
「急に呼んでしまって申し訳ありません。貴女を呼んだのは他でもなく、このケーキを食べて頂きたかったのです」
目の前にあるケーキを驚いたように目を開き、手を口にあてた政宗さんはこのケーキを喜んでくれたようでした。驚きの表情が薄れると共に、次第に笑みを見せてくれました。
「わざわざ・・・私の為に・・・」
政宗さんが紡いだ言葉は少し震えていました。過去に何かあったのでしょうか。悲しそうな声をしていたのが心配です。
「・・・お気に召しませんでしたか?」
「いえっ、あの・・・すみません。昔の事を思い出してしまって。」
「昔・・・ですか?」
「えぇ、昔の私から考えたらこんな事有り得ないなぁって・・・昔は皆に嫌われていたから・・・今は本当に、嬉しいです。カインさんからこんなケーキを貰えるなんて。私は幸せ者ですね」
「そこまで言われると・・・恐縮です」
昔に何があったのかは聞かない方がいいのだと自分に言い聞かせながら、台所にナイフを取りに行きました。そしてケーキの一部を切り取り皿に盛り付け政宗さんに差し出しました。
「どうぞ。食べてください」
「いただきます」
フォークで綺麗に切り取って口へと運ぶ政宗さん。その無防備さが小さい頃のあの人と重なって、胸が痛む。ふと香る薔薇の匂いがその想いを一層強くさせて、私の片目には涙が――。
「カイン・・・さん?」
「――っ、目に塵が入ってしまったようです」
慌てて誤魔化して目を擦り、再度政宗さんを見ました。ですが私の目の前にいる人はもうあの人にしか見えません――。どうやら私はあの人と政宗さんを重ねてしまったようでした。あぁ忌まわしいくらいに美しいあの記憶が脳裏を掛けてゆく――。
「―――!」
『貴女は本当に薔薇が好きなんですね』
「――さん!」
『薔薇はカインに似ているから好きなのです』
「――ンさん!!」
『私が居なくなったら、この庭を――』
「カインさんっ!!!」
「・・・っ、・・・政宗さん?」
意識が冴えてくると、広がる視界が捉えたのは白い天井と政宗さんの顔でした。覗き込むようにして屈んでいる政宗さんの体勢からして、私は床に突っ伏しているのでしょう。
「私は――?」
「急に、倒れたんです。でも良かった気が付いて・・・」
ゆっくりと起き上がり、心配掛けてすみませんと呟きながら政宗さんの頭を撫でました。私は政宗さんに対し、あの人を重ねていました。その人の記憶を思いだしたショックで倒れたのでしょう。あれは触れてはいけない過去なのですから。
「・・・政宗さん」
「・・・はい?」
今返したその返事は、あの人ではなく政宗さんだと分かっています。重ねてしまう程に似ていることも理解しています。それでも私はあなたが好きです。断言してみせましょう。
伝えたい気持ちは呑み込んで、何とか言葉として出たのは
「――ても良いですか?」
貴女は私を大胆にさせます。真っ白なその姿を見て私はいてもたっても居られなくなるのです――。
「・・・はい」
頬を赤らめる政宗さんを私はそっと抱きしめました。もう同じ過ちは繰り返しません。私は貴女を――守り抜いてみせます。
今回の語り手は本人の他にもう1人(?)います。
さて、カインを主と呼んだりしていた「~である」口調の主は誰でしょうか?
「ですます」口調→カイン
「である」口調→???