CHASE:1 はじまりの日 -beginning-
とある図書館の隅にある、古い本がぎっしり詰まった本棚…その向こうの隠し部屋に、読書とパズルが大好きな、少し変わった偏屈な学者が居を構えていた。ショートボブに切り揃えられたミント色の髪と金色の瞳を持ち、額の上に眼鏡を乗せている。
詰襟のシャツに黄緑色のネクタイを締め、長手袋と白衣を身に纏うその少女の名は、ルイス=ヴィクトワール。帝国学術院を最年少の首席で卒業した17歳の天才である。卒業後は帝国からの依頼を請け負い、遂行後は依頼に関する記憶を消されるという条件でアイテムにかけられた呪いの解除や魔法書の解読などを行っている。
今までにこなした依頼は数知れず、その功績として図書館に自室を無理やり作るまでに至った。彼女自身は人との関わりを良しとせず、殆ど引き篭っている状態だが…そんな彼女は現在、自室で依頼をこなしている最中だった。
「『月の書』…。なかなか面倒臭い代物だな」
分厚い本のページをめくり、そこに書かれた不可解な言語とにらめっこしている。
「どれ、ちょっといじってみるか」
ルイスは本の上に右手をかざし、呪文を詠唱した。
「解読!!」
彼女の呪文に呼応し、文字が宙に浮かんで並び方を変える。ところが、
「――!?」
その文字が集まって黒い影を成し、突如彼女に襲いかかった。
「くそっ……何の真似だ!」
正面に防御壁を展開するも、影の勢いは弱まらない。次の瞬間、
「がっ……!!」
影は防御壁を貫通し、彼女の胸の奥に侵入した。心臓を掴まれた瞬間、身体の奥底をまさぐられるような、何かが蠢く感覚に気持ちが悪くなった。最後の力を振り絞りなんとか影を握って抵抗するも、撃退には至らず……影は心臓を、貫いた。
そして、彼女の身体は地面に崩れ落ちた。
幾ばくか過ぎた後、彼女は目を覚ました…が、ふと違和感を覚えた。先程自分は本から飛び出した影に心臓を貫かれ、死んだはず…それなのに意識があるとは一体どういうことなのか。
胸元に手を当ててみる。外傷は無く、心臓もいつも通り鼓動していた。だがやはり、何かがおかしい。
その時、彼女は己の手を見やった。心なしか、一回り小さくなったような気がする。まさかと思い、身体を見渡す。ぶかぶかになったシャツや白衣、5歳くらいの子供サイズに縮んだ身体…。
そこでようやく、自らに起きた異変に気が付いた。
(しまった!――弱体化の呪いか…)
もう一度胸元に手を触れてみる。
(この呪い…心臓を貫いたくせに、私の心臓の代わりになってる…?)
弱体化の呪いは現在彼女の心臓を模しているらしく、彼女の魔力を取り込んで動いている。しかしその魔力も弱体化の影響を受け、ろくに力が出せない。この状況が長く続けば心臓が止まり、命に関わるかもしれない…。
そう踏んだルイスは立ち上がり、魔法で服を子供サイズに合わせた。この姿では誰にも自分自身とは認識されないだろう。そうなれば侵入者として捕まることはもちろん、尋問、処刑は時間の問題だ。もし本人だと判っても、月の書に関する記憶が消されていないので処罰されかねない。ならばいっそこのまま逃げ切る方が得策と言える。逃亡を決心したルイスは守衛に見つからないようにこっそりと部屋を出た。幸い誰も居ない。
こうして彼女は図書館の階段を駆け下りた。とにかく今は無事に逃げることが最優先だった。
「それは本気で言ってるのか?」
決して広いとは言えない会議室に、女…ジュディス=ガーランドの声はよく響いた。
「無論本気だ。私はつまらん冗談は嫌いでな」
片や男勝りな口調の女。片や礼服を身に纏う華奢な男。二人は大きなテーブルを挟み、睨み合っている。
「ガーランド少佐、君は軍人であろう?上官に口答えしても良いとは教えていないはずだが。それとも、それが帝国の教えかな?」
「確かに私は軍人だ。だがな、ハナから勝ち目の無い戦いに、無駄に戦力を使う訳にもいかない。あんたも将校なら、それぐらい解るだろ?」
睨み合いは続く。互いに意見を譲る気はないようだ。
――新世界暦108年。人類が新しい歴史を歩み始めて、1世紀の時が過ぎた。新たな技術、新たな暮らし、新たな世界。
未来の繁栄を希望し、期待に胸を膨らませ新たな歴号へと移り変わった時、幕を開けたのは暗黒の時代だった。
「君はこの戦の価値を解っていない。この勝利は、暗黒の時代の終わりを告げる始まりの鐘なのだ。長きに渡る『マジェストラ帝国』の圧政から人類を解放するための聖戦!!その始まりは、我々反帝国軍の勝利でなくてはならんのだ!!」
マジェストラ帝国。100年前の式典にその台頭を表し、『武力による完全支配』を唱えた。
民には絶対の支配を。逆らう者には絶対の死を。そんな帝国の支配は、新世界暦の幕開けと共に始まり、今に至る。
「その勝利に一体どれだけの犠牲を払う気だ?このど阿呆が」
「あ、アホだと!?」
そんな反帝国軍の理念を、阿呆の一言で片付けるジュディス。
「良いか?戦争ってのは結局数だ。いくら精鋭を集めても数で負けてちゃ話にならん。勝ちたいんならまずこの絶望的な戦力差から考えろ!!」
「き、貴様…。先程から聞いておれば無礼な!!」
華奢な上官はジュディスの言動に腹を立てている。反帝国軍の理念を真っ向から否定されたのもあるだろう。だが、何よりプライドが許さなかった。自分より下の立場の人間に指図されたのがよほど気に入らなかったからだ。
「決定は揺るがん!!貴様には旧市街地の帝国軍駐屯部隊の殲滅を命ずる!!部隊の編成が終わったならさっさと行け!!」
それだけ怒鳴ると、会議室から出ていった。
「…無能のど阿呆が!!」
階段を駆け下りながら、ルイスは重要な事に気が付いた。
(ち、身分証を忘れた…)
身分証はルイスの机の上に放置されていた。これで身の上を証明する物は一切持っていないことになり、いよいよ切羽詰まってきた。
(…まぁなんとかなるだろ!!)
迷いを振り切るように駆け出す。ところが、
「うわっ!?」
慌てすぎて階段の縁につまづき、その拍子に階段を転がってしまう。踏面が何度も背中に当たって痛かった。
「――っ、痛い…」
踊場で回転が止まると、当たった箇所をさすりながらゆっくり立ち上がる。辺りを見渡すと相変わらず人はおらず、廊下はしんと静まり返っている。いつもはここまで静かじゃないのに…その時、窓の外で爆発音が聞こえた。
自室に籠もっていたので全く気に止めなかったが、帝国軍と反帝国軍が戦闘しているという記事を以前新聞で見かけた事がある。特に今日は戦闘が激化しているせいか、図書館に足を運ぶ者は少ないのだろう。
ホールを抜け、出口へ駆け込むと自動ドアが開いた。――案の定、街のあちこちから爆撃音が聞こえる。
平地では陸軍が銃器を構え住宅に乗り込み、上空では空軍の戦闘機や飛空挺が機銃掃射し、住民が逃げ惑っている。
これでは反帝国、帝国問わずに人々が死んでしまうのではなかろうか…
しかし、この状況はルイスにとって好都合だった。誰にも気付かれずに逃げることが出来る上、万一の時は防御壁を張って逃げれば良いだけの話だからだ。
彼女は爆撃音をBGMにしながら、煙った灰色の空の下を一人逃げていくのだった。
――戦闘が激化する30分前。出陣を控えた反帝国軍の兵士。正規軍と違い、その殆どが志願した民間人か、雇われた傭兵。実戦は今回が初めての人間もザラだった。
ここにいる理由は様々だろう。帝国に恨みがある。平和が欲しい。金の為に。それぞれ違う思惑を抱きながらも、敵は同じだった。その兵士達の中に1人、一際目立つ青年がいる。
反帝国軍に支給される軍服を着用し、脇に立て掛けた剣は自身の身長と同じ大きさだろうか。赤でカラーリングされたその武器は、嫌でも目立った。
「やぁ、君も同じ隊だな。お互い頑張ろうじゃないか」
「………」
同じ部隊の仲間が話しかけてくる。しかし、青年は答えようとしない。それどころか、見向きもしない。その態度に、悪態をつく。
「なんなんだアイツ。気取りやがって」
「ああいうのは関わらない方が身のためだぜ?」
遠くでそういった声が聞こえた。だが青年には関係ない。ただの雑音としか考えてないのだろうか。
「お、みんな揃ってるみたいだな。お前ら、そろそろ出撃の時間だ」
そんなやり取りのすぐ後だった。一際陽気な声が、部屋の中に響く。
その声に反応し、部隊の兵士はその男の前に整列した。青年が配属された部隊は、彼を含めて5人。
「俺が隊長のマグナ=ウォールズだ。ま、適当に呼んでくれよ」
気さくな笑顔を浮かべ、自己紹介をする。そのマグナの表情からは、緊張感など感じられない。
「現在戦況はこっちのじり貧だ。しかも、戦火は旧市街地に留まらず民間人にも被害が及んでる。あちらさんは遠慮無しときた」
表情を引き締めたマグナのその言葉は、重みを帯びていた。
「俺たちマグナ隊は、旧市街地のスラムに取り残された民間人の保護を最優先に行う。今は敵との必要最低限の交戦は避けろ。いいな?」
「はいっ!!」
つい先日まで軍人でなかった者達が、慣れないながらも声を揃えて敬礼する。
「なら、軽く自己紹介してもらおうか。あ~…、じゃあそこの仏頂面のお前。名前は?」
マグナが指名した兵士。それは、先程の青年だった。
「――カイム。カイム=レオンハルト」