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婚約破棄ですか? ええ、では妹をどうぞ。私はもう、あなたの顔色をうかがいません。

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/10/15

さくさく読める作品です。


「エレノア! お前との婚約を破棄する!」


 王都の舞踏会場に、婚約者であるアレクシス伯爵令息の声が響いた。

 周囲の貴族たちが一斉にこちらを振り向く。


 彼の隣には、私の妹であるリリアがいた。

 リリアは潤んだ瞳で私を見つめ、アレクシスの腕にそっと身を寄せている。


「お姉様、ごめんなさい……。私、アレクシス様を愛してしまったの」


 その言葉に、私は思わず笑いそうになった。


 またか。


 妹は昔から、私の持っているものを欲しがった。

 私が気に入ったドレスを欲しがり、私が仲良くなった友人に近づき、私が楽しみにしていたお茶会には必ずついてきた。


 そして今度は婚約者らしい。

 私はため息を吐いた。


「エレノア、お前は堅苦しくて愛想がない。リリアのように可愛げのある女性こそ、私の妻にふさわしいのだ!」


 アレクシスは得意げに胸を張った。

 彼は、私が何を言っても反論できないと思っているのだろう。

 彼が言うことが私にとって絶対。

 そう思っているのだ。


 なにしろ、私の両親も妹の味方なのだから。


 これまで何度も、何かを言っては潰されて、を繰り返してきた。

 だから、最近はもう何も言わなくなっていた。

 そんな様子を彼らは満足そうに見つめていたっけ。


「……そうですか」


 私は静かに頷いた。


「では、婚約破棄をお受けいたします」

「なっ……」


 アレクシスが目を丸くした。

 リリアも、泣くのを忘れたように私を見つめている。

 何故か焦ったように彼らは言葉を重ねてくる。


「お姉様、本当にいいの? アレクシス様は、もともとお姉様の婚約者なのよ?」

「あなたが欲しいのでしょう? どうぞ差し上げます」

「そ、そんな言い方……!」

「では、何と言えばいいのかしら。おめでとう、とでも?」


 リリアの顔が引きつった。

 私は二人に向かって、優雅に一礼した。


「アレクシス様。これまでありがとうございました。どうぞ妹とお幸せに」


 そして、その場を立ち去ろうとした。


「待て、エレノア!」


 背後から怒鳴り声が飛んでくる。


「お前は悔しくないのか! 私を妹に奪われて!」


 それをよりにもよって貴方が言うのですね。

 思わず失笑が漏れる。

 その後、私は振り返った。


「いいえ。むしろ、感謝しております」

「感謝だと?」

「ええ。あなたと結婚する前に、もうこのままあなたが変わらない、ということが分かったのですから」


 会場のあちこちから、押し殺した笑い声が漏れた。

 アレクシスの顔が真っ赤になる。

 妹も所在なさげに立ち尽くす。


 私は今度こそ、会場を後にした。

 もう、妹に譲るために自分の気持ちを押し殺すのはやめよう。

 妹しか優先しない両親や婚約者――元婚約者の言葉ももう聞かない。


 そう決めたのだ。







 ◇


 それから一か月後。

 両親からの引き留めを無視して、私は昔からの女中を数名連れて家を出た。

 最初は両親が居ないことに戸惑うこともあったけれど。

 もう二人が居ないことに完全に慣れ、2度と実家に戻るもんか、と思うようになった。

 


 そんな頃。

 我が家に、アレクシスとリリアが訪ねてきた。

 突然のことだった。


「お姉様、お願いがあるの!」


 応接間に入るなり、リリアが声を上げた。


「アレクシス様との結婚式に着るドレスを貸してちょうだい!」


 私は紅茶を飲む手を止めた。


「嫌よ」

「どうして!?」

「私のドレスでしょう?」

「でも、もうアレクシス様とは婚約していないんだから、もう着ないでしょう!?」

「まあ、直近で着る予定は無くなったわね。

 だからといって、あなたにあげる理由にはならないわ」


 リリアは唇を尖らせた。

 隣のアレクシスが咳払いする。


「エレノア。妹に譲ってやるくらい、いいではないか。お前は姉なのだから」


 その言葉を聞いた瞬間、私は笑顔になった。


「では、アレクシス様。あなたの上着を私にくださいませんか?」

「は?」

「妹の夫になるのですもの。家族同然でしょう? 家族なら、服の一着くらい譲ってくださいますよね?」

「何を馬鹿なことを!」

「まあ。ご自分が言われると、お嫌なのですね」


 アレクシスは口をつぐんだ。

 私は侍女に目配せし、二人の前に立った。


「お帰りください。私には、あなた方に差し上げられるものは何もありません」

「エレノア! 後悔するぞ!」

「ええ、そうならないように祈っております」


 二人は顔を真っ赤にして帰っていった。

 私は閉まった扉を見つめ、長く息を吐いた。


 以前なら、きっとドレスを渡していた。

 妹が泣くから。両親に叱られるから。周囲に冷たい姉だと思われたくないから。

 けれど、もうそんな理由で自分を犠牲にする必要はない。







 ◇


 さらに二か月後。

 妹から、泣きながら手紙が届いた。


 アレクシスとの婚約が解消されたという。


 理由は、彼の母親だった。

 伯爵夫人は、リリアを一目見たときから気に入らなかったらしい。

 礼儀作法が身についていない。公の場で感情的になりすぎる。自分の欲しいものを我慢できない。


 そして何より、息子の婚約者という立場を利用して、周囲にわがままを押し通そうとする。

 伯爵夫人は、そんな嫁を迎えるつもりはないと宣言したそうだ。


 アレクシスは母親に逆らえなかった。

 私との婚約を破棄したときには、あれほど自信満々だったのに。


 結局、その母親にも諭され、彼はリリアを選んだことを後悔し、今さら私との復縁を望んでいるらしい。

 会えないか、という手紙も何通か来た。


 だが、もちろん私はその手紙を読まなかった。

 そして、彼を自分の家から出入り禁止にした。

 女中達にも言ってあるので、彼はもう2度と私の家に入らないだろう。


 そしてリリアは、実家で毎日のように泣いているという。

 両親は私に、妹を慰めてやれと手紙を寄越した。

 私は短い返事を書いた。


『妹には、自分で選んだ人生を歩むようお伝えください』


 それだけだ。







 ◇


 春になった。

 私は友人の紹介で知り合った、穏やかな青年と少しずつ親しくなっていた。


 彼は私が何を好きで、何を嫌いなのか、きちんと尋ねてくれる人だった。

 私のドレスを妹に譲れとも言わないし、姉だから我慢しろとも言わない。

 そんな当たり前のことが、こんなにも嬉しいとは知らなかった。


「エレノア嬢。来週、一緒に観劇へ行きませんか?」

「ええ、喜んで」


 私は微笑んだ。

 かつての婚約者がどうなったのか、妹が今どんな暮らしをしているのか。

 もう、私には関係のないことだ。


 他人の幸せを優先するために、自分の幸せを諦める必要なんてなかったのだから。

 私は春の風に吹かれながら、彼と並んで歩き出した。

 もう誰にも、私の人生を譲ったりしない。

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