婚約破棄ですか? ええ、では妹をどうぞ。私はもう、あなたの顔色をうかがいません。
さくさく読める作品です。
「エレノア! お前との婚約を破棄する!」
王都の舞踏会場に、婚約者であるアレクシス伯爵令息の声が響いた。
周囲の貴族たちが一斉にこちらを振り向く。
彼の隣には、私の妹であるリリアがいた。
リリアは潤んだ瞳で私を見つめ、アレクシスの腕にそっと身を寄せている。
「お姉様、ごめんなさい……。私、アレクシス様を愛してしまったの」
その言葉に、私は思わず笑いそうになった。
またか。
妹は昔から、私の持っているものを欲しがった。
私が気に入ったドレスを欲しがり、私が仲良くなった友人に近づき、私が楽しみにしていたお茶会には必ずついてきた。
そして今度は婚約者らしい。
私はため息を吐いた。
「エレノア、お前は堅苦しくて愛想がない。リリアのように可愛げのある女性こそ、私の妻にふさわしいのだ!」
アレクシスは得意げに胸を張った。
彼は、私が何を言っても反論できないと思っているのだろう。
彼が言うことが私にとって絶対。
そう思っているのだ。
なにしろ、私の両親も妹の味方なのだから。
これまで何度も、何かを言っては潰されて、を繰り返してきた。
だから、最近はもう何も言わなくなっていた。
そんな様子を彼らは満足そうに見つめていたっけ。
「……そうですか」
私は静かに頷いた。
「では、婚約破棄をお受けいたします」
「なっ……」
アレクシスが目を丸くした。
リリアも、泣くのを忘れたように私を見つめている。
何故か焦ったように彼らは言葉を重ねてくる。
「お姉様、本当にいいの? アレクシス様は、もともとお姉様の婚約者なのよ?」
「あなたが欲しいのでしょう? どうぞ差し上げます」
「そ、そんな言い方……!」
「では、何と言えばいいのかしら。おめでとう、とでも?」
リリアの顔が引きつった。
私は二人に向かって、優雅に一礼した。
「アレクシス様。これまでありがとうございました。どうぞ妹とお幸せに」
そして、その場を立ち去ろうとした。
「待て、エレノア!」
背後から怒鳴り声が飛んでくる。
「お前は悔しくないのか! 私を妹に奪われて!」
それをよりにもよって貴方が言うのですね。
思わず失笑が漏れる。
その後、私は振り返った。
「いいえ。むしろ、感謝しております」
「感謝だと?」
「ええ。あなたと結婚する前に、もうこのままあなたが変わらない、ということが分かったのですから」
会場のあちこちから、押し殺した笑い声が漏れた。
アレクシスの顔が真っ赤になる。
妹も所在なさげに立ち尽くす。
私は今度こそ、会場を後にした。
もう、妹に譲るために自分の気持ちを押し殺すのはやめよう。
妹しか優先しない両親や婚約者――元婚約者の言葉ももう聞かない。
そう決めたのだ。
◇
それから一か月後。
両親からの引き留めを無視して、私は昔からの女中を数名連れて家を出た。
最初は両親が居ないことに戸惑うこともあったけれど。
もう二人が居ないことに完全に慣れ、2度と実家に戻るもんか、と思うようになった。
そんな頃。
我が家に、アレクシスとリリアが訪ねてきた。
突然のことだった。
「お姉様、お願いがあるの!」
応接間に入るなり、リリアが声を上げた。
「アレクシス様との結婚式に着るドレスを貸してちょうだい!」
私は紅茶を飲む手を止めた。
「嫌よ」
「どうして!?」
「私のドレスでしょう?」
「でも、もうアレクシス様とは婚約していないんだから、もう着ないでしょう!?」
「まあ、直近で着る予定は無くなったわね。
だからといって、あなたにあげる理由にはならないわ」
リリアは唇を尖らせた。
隣のアレクシスが咳払いする。
「エレノア。妹に譲ってやるくらい、いいではないか。お前は姉なのだから」
その言葉を聞いた瞬間、私は笑顔になった。
「では、アレクシス様。あなたの上着を私にくださいませんか?」
「は?」
「妹の夫になるのですもの。家族同然でしょう? 家族なら、服の一着くらい譲ってくださいますよね?」
「何を馬鹿なことを!」
「まあ。ご自分が言われると、お嫌なのですね」
アレクシスは口をつぐんだ。
私は侍女に目配せし、二人の前に立った。
「お帰りください。私には、あなた方に差し上げられるものは何もありません」
「エレノア! 後悔するぞ!」
「ええ、そうならないように祈っております」
二人は顔を真っ赤にして帰っていった。
私は閉まった扉を見つめ、長く息を吐いた。
以前なら、きっとドレスを渡していた。
妹が泣くから。両親に叱られるから。周囲に冷たい姉だと思われたくないから。
けれど、もうそんな理由で自分を犠牲にする必要はない。
◇
さらに二か月後。
妹から、泣きながら手紙が届いた。
アレクシスとの婚約が解消されたという。
理由は、彼の母親だった。
伯爵夫人は、リリアを一目見たときから気に入らなかったらしい。
礼儀作法が身についていない。公の場で感情的になりすぎる。自分の欲しいものを我慢できない。
そして何より、息子の婚約者という立場を利用して、周囲にわがままを押し通そうとする。
伯爵夫人は、そんな嫁を迎えるつもりはないと宣言したそうだ。
アレクシスは母親に逆らえなかった。
私との婚約を破棄したときには、あれほど自信満々だったのに。
結局、その母親にも諭され、彼はリリアを選んだことを後悔し、今さら私との復縁を望んでいるらしい。
会えないか、という手紙も何通か来た。
だが、もちろん私はその手紙を読まなかった。
そして、彼を自分の家から出入り禁止にした。
女中達にも言ってあるので、彼はもう2度と私の家に入らないだろう。
そしてリリアは、実家で毎日のように泣いているという。
両親は私に、妹を慰めてやれと手紙を寄越した。
私は短い返事を書いた。
『妹には、自分で選んだ人生を歩むようお伝えください』
それだけだ。
◇
春になった。
私は友人の紹介で知り合った、穏やかな青年と少しずつ親しくなっていた。
彼は私が何を好きで、何を嫌いなのか、きちんと尋ねてくれる人だった。
私のドレスを妹に譲れとも言わないし、姉だから我慢しろとも言わない。
そんな当たり前のことが、こんなにも嬉しいとは知らなかった。
「エレノア嬢。来週、一緒に観劇へ行きませんか?」
「ええ、喜んで」
私は微笑んだ。
かつての婚約者がどうなったのか、妹が今どんな暮らしをしているのか。
もう、私には関係のないことだ。
他人の幸せを優先するために、自分の幸せを諦める必要なんてなかったのだから。
私は春の風に吹かれながら、彼と並んで歩き出した。
もう誰にも、私の人生を譲ったりしない。




