第2話:ふたりきりの出張
―社外という空間が、ふたりの距離を変えていく。
社内連携の強化と契約条件の見直しを目的に、法務部と戦略部から各1名ずつの出張が決まった。
その人選が社内通達された日、御上千聖は、資料を抱えたまま息をのんだ。
「……出張同行、私と千賀さん……」
偶然にしては、あまりに都合が良すぎる。
でも、心のどこかで願っていた。
一方の千賀真琴は、社長室で報告を受けた際、小さくうなずいただけだったが、内心では冷静を装うのに必死だった。
「2人で出張。……これは、試されてるな」
***
出張先は名古屋。
駅前のビジネスホテルにチェックインした後、商談を終えた2人は、夜、ホテルのラウンジで軽く打ち上げをすることになった。
「改めて、お疲れさまでした」
千聖がグラスを掲げると、真琴もそれに応えた。
ふたりきりの乾杯。
社内では味わえない空気が、そこにはあった。
「こうして話すの、ちゃんとは初めてかもですね」
千聖が言うと、真琴は静かに笑った。
「仕事以外では、な」
「……でも、前から気になってたんです。千賀さんって、意外と柔らかい人だって」
「そうか?」
「はい。目が笑ってる。最初はもっと、冷たい人かと思ってました」
真琴は少しだけ表情をゆるめた。
千聖の話し方は丁寧だが、どこか正直で、心地よい。
「俺は……」
言いかけて、グラスを置いた。
「俺は、君が時々見せる“隙”が、いいと思ってた」
「隙……?」
「完璧に見えて、でもほんの一瞬、誰にも見せたくない顔をしてる。
それを見て、守りたいって思った」
その瞬間、千聖は視線を落とし――ふと立ち上がった。
「……歩きませんか? 少しだけ」
ラウンジを出て、ロビー横のガラス張りの廊下。
夜景が見える端まで来たとき、千聖が足を止めた。
「さっきの話、嬉しかったです。でも……」
「でも?」
「今、少しだけ怖いんです。
もし、今この瞬間にキスしたら……もう戻れなくなる気がして」
真琴は答えなかった。
代わりに、千聖の手を取った。
そして、そのまま、彼女の唇に静かに口づけた。
最初はただ、そっと。
けれど次第に、その熱は確かなものに変わっていく。
唇が離れる瞬間、真琴が低く囁いた。
「……戻るつもりなんて、最初からない」
***
それは、社外という空間がくれた自由だった。
けれどふたりはすでに、会社という枠では測れないところへ踏み出していた。