第9話:“夫婦”であることの意味
―家でも会社でも、私はあなたの隣で生きていく。
復帰初日。
御上千聖は、緊張を隠せない表情でデスクに座っていた。
数か月ぶりのオフィス。
業務に追われる社内の空気。
すべてが、“母親になる前”と違って見える。
そんな彼女を千賀真琴はずっと気にかけていた。
昼休み。
ふたりの直属の上司が一言かけてきた。
「御上くん、復帰お疲れ様。無理せずに、少しずつ慣れていけばいい」
すると真琴がすぐに口を開く。
「部長……できれば、千聖だけでも早く帰らせていただけませんか?
私は子どもの分まで残業も何でも頑張りますので」
千聖が驚いて彼を見つめた。
だが、上司は少し目を伏せて、
小さな声でぽつりと答えた。
「……無理はするな。仕事の様子で、早めに帰らせるようにするからな」
そう言って、そっとその場を離れた。
千聖は何も言わなかった。
ただ、少しだけ唇を噛んで、俯いた。
***
その夜――
バスルーム。
湯気が静かに漂う中、ふたりは久しぶりに肩を並べて湯船につかっていた。
「今日は……ありがとう。あんなふうに言ってくれるとは思わなかった」
「俺の大事な妻と、娘の母親だ。
守らずに誰が守るって思っただけ」
千聖は照れたように笑って、
そっと真琴の胸元に寄りかかる。
「……相変わらず、筋肉きれい。腹直筋、ちゃんと割れてる」
「またそういうとこ見る」
「見るよ、だって好きだもん」
そう言って、彼の腹筋に――
そっと、キスを落とした。
真琴はその仕草に思わず目を細めた。
「……君も変わらないな。肌も白くて、背中のラインも綺麗で」
「ほんとに?」
「うん。こうして見るたび、惚れ直してる」
ふたりは向き合い、湯気の中で、自然と唇が近づく。
お湯の音さえも消えてしまうような静寂の中――
少し長めの、深いキスを交わす。
目を閉じて、ただ感覚を重ねる。
呼吸が重なり、鼓動が同じリズムを打つ。
そのキスのあと、千聖はぽつりと呟いた。
「……ねえ、あなたとなら、あともうひとりくらい……いけるかも」
真琴はにやりと笑いながら、
「それ、録音していい?」と抱き寄せた。
***
“夫婦”とは、日々のなかに重ねていくもの。
ふたりの裸の距離と、心の距離が、またひとつ深くなった夜だった。




