第10話:この恋を守るために
―選んだのは「離れること」じゃなく、「続けるための距離」だった。
朝の社内通達で、その名前が表示された瞬間――
御上千聖は、一瞬、呼吸を止めた。
「法務部 御上千聖 グループ企業 法務統括部門へ異動(7月1日付)」
異動先は、同じホールディングス内だが、別のオフィスビル。
今のように、毎日会える距離ではなくなる。
書類に目を通していた千賀真琴も、無言でモニターを見つめていた。
だが、その瞳には“驚き”ではなく、“納得”が宿っていた。
***
「……どうして、言ってくれなかったんですか?」
昼休み、屋上で千聖が問いかけた。
「言えば、君が止めると思ったから」
真琴は風に髪をなびかせながら言う。
「このまま社内で噂が広がって、誰かが君を傷つける前に……
俺たち自身で“守る決断”をした方がいいと思ったんだ」
「でも、私は――」
「寂しい?」
「……少しだけ」
真琴は、彼女の肩を引き寄せた。
「大丈夫。どんなに距離ができても、気持ちは変わらない。
毎朝メールする。週末は会う。……その代わり」
そう言って、千聖の左手薬指に手を添える。
「この指輪は、絶対に外さないで」
「……はい」
そして、真琴はその手に、そっとキスを落とした。
次いで、唇へ。
今までで一番長くて、切なくて、愛おしいキスだった。
千聖が目を閉じ、ゆっくりと言う。
「……異動しても、私たちは終わらない」
「終わらせない。守るって決めたから」
***
その夜、千聖はひとりで自宅に戻り、引き出しの奥から一通の手紙を取り出す。
そこには、まだ渡していなかった言葉が綴られていた。
たとえ、社内で会えなくなっても、
あなたを愛している私は変わらない。
そして、私はいつまでも――あなたの妻です。
読み返しながら、自然と微笑む。
***
翌朝、千聖が新しいオフィスに出勤したとき、スマートフォンに1通のメッセージが届いていた。
「おはよう。今日も、“好き”って思ってる」
彼女は画面にそっとキスを落とし、
胸元に仕舞った。
この恋は、まだ秘密のまま。
けれど、それは確かに――誰よりも強く、優しく、続いている。
〈エピローグ〉
―それから1年後。
会社の表彰式の夜。
別の拠点から久々に顔を合わせたふたりは、互いの存在を見つめ合い、言葉も交わさず、ただ目で語った。
そして夜。
静かな部屋で、もう一度唇を重ねた。
「今も変わらず、世界で一番好きだよ」
そのキスが、ふたりのすべてだった。