2章 3話 イケメンはオネェ様がお好き? ①
結城は残業をしない。
紗世は相田や黒田は連日、遅くまでデスクワークをしているように思う。
結城の仕事ぶりは、相田や黒田に比べ、かなり速いし要領がいい。
紗世がマニュアルで理解できなかったことを訊ねると、結城は丁寧に解りやすく諭すようにこたえる。
紗世がモタモタしていると「まだ終わらないのか」と言うが、効率的に片付ける方法を伝授する。
「結城さんって仕事が速いですよね」
紗世が黒田に何となく訊ねると、黒田は「当たり前でしょ」ツンとして言う。
「由樹はね、パソコン検定1級なの。それに、国際英検A級、電算機検定1級、珠算6段、MBA(経営管理学修士号)も持ってるのよ」
「すごいですね。ハーバード大学を飛び級で卒業してるって、本当なんですか?」
「飛び級したかどうかは知らないけれど、ハーバード大学卒業してるのは確かよ」
校正のマニュアルを学習しながらの雑談。
「ハーバードを飛び級卒業なんてするわけないだろ。誰だよ、そんなデマ流した奴……」
紗世の学習ぶりを覗き込み、結城が席につく。
「えっ、違うんですか?」
「それに、4年も質の高い有意義な知識を学べる機会、みすみす縮めるなんて勿体ないことするかよ。
飛び級したのはアメリカンスクール。日本で言う中学1年から高校2年に飛び級したんだ」
「アメリカンスクール?」
「親の仕事で、小学校の途中からずっとアメリカだったから」
「帰国子女なんですか?」
「まあな……アメリカンスクールではいい思い出がないけどな」
結城は寂しく悲しい顔をする。
捨てられて泣いている子猫のような。
「めちゃくちゃ苛められたんだ、体が弱いせいで……」
紙コップに注いだ青汁を飲み、ポツリ呟くように。
「すごいですね、資格。他にも?」
紗世は努めて明るく言ってみる。
「将棋7段、書道5段、秘書検定1級、華道茶道は免状持ちだ……他にも多数」
「由樹はギフテッドなのよ」
「ギフテッド?」
聞き慣れない単語に首を傾げる紗世。
「生まれつき潜在能力が平均よりも高い天才って意味」
「黒田さん、違いますよ」
「IQ170越えなのに何、否定してるのよ」
「だから、人を超人みたいに言わないでくださいよ。尾ひれがついて、仕事が増えて大変なんですから」
結城は情けない声を出し、紗世の開いたマニュアルのページを見る。
「そのページ終えたら添削してやる」
黒田に対する言葉と紗世に対する言葉は、まるで違う。
紗世は、結城の上司は先日のエロおやじ「ミステリー作家の『西村嘉行』」との会話から、黒田に違いないと踏んでいる。
結城の悲痛な顔が未だにちらつき、結城には確認できていないが……。
解き終えた校正マニュアルの問題は、結城の添削によりみるみる真っ赤に染まっていく。
「ヒャーーッ」
「全く理解してないな。ヒャーって、こっちが叫びたい」
「だって……」
「あのな~『句読点』は、大抵『てにをは』に付くんだよ。長い文は声に出して読んで、区切ってみて『ね』を付けておかしくないかどうか」
「てにをは……」
「小学校、中学校で原稿用紙の書き方を習ってるはずだが」
「そうですか~?」
紗世はぷくり頬を膨らませる。
「で……この文は倒置法なのに、なんか意味不明だろう? 漢詩みたいになってるだろ」
結城は1つ1つ、丁寧に指摘しながら色分けして書き込み説明する。
時々、喉をつまらせ痰を切るような、辛そうに喘ぐような咳をする。
「ここは同じ意味の言葉が2重になってるんだ……」
そして、また1つ咳。
「結城さん、風邪?」
「いや……」
結城は紙コップにミネラルウォーターを注いで、一口飲む。
編集長「渡部」の席、真後ろの壁に掛かった時計を見上げ、「18時だな」とポツリ。
机の上を片付け始める。
「結城さん!?」
「今日のスケジュールは終了したからな」
「えっ!? 川村楓先生のインタビューは?」
「はあ? それならさっき、編集長にデータ渡したぜ」
「梅川百冬先生の……」
「それも終わった」
「霜田奈利子先生の……」
「だ・か・ら……今日のスケジュールはオールクリアだって」
「えーーーっ!? いつの間に!」
「麻生が校正問題解いてる間に」
「ウソーお!!」
「机の上、整理整頓しろ。帰るぞ」
「あの、いいんですか?」
「何で?」
「だって……」
「俺、残業嫌いなんだ」
「嫌いとか好きとかではなくてですね……」
「何、残業したいのか?」
紗世はブンブンと首を振る。
「だったら問題ないだろ? アフター7とか、ちゃんと楽しめよ」
紗世が「あっ」と声を漏らす。
人事異動通知書をもらった日。
同期で総務部の愛里との女子会が流れたままだ。
結城について仕事を覚えるのに必死で、会社と家とを行き来するだけの日々が半月も続いている。
「息抜きも大事だ。同期の仲良しと夕飯食べたり、雑談したり、そういう時間は大切にしろよ」
「結城さんは?」
紗世は潤んだ瞳で結城を見上げる。
「……今日は家で早く休みたい」
気だるそうな疲れた声。
紗世は「顔色が悪いな」と思う。
「結城さん、ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう」
結城は、自棄に素直だ。
紗世は机の上を整理し、編集長に挨拶して、結城と編集部を出てエレベーターに向かう。
――満員のエレベーターには乗れない体質なんだ
初めて交わした結城の言葉から半月。
結城は決して、満員のエレベーターには乗らない。
エレベーターを降り、結城は「校正問題、復習しろよ。で、結城マニュアルはちゃんと読んで理解しろよ」と穏やかに言う。
ニコリ素直に「はい」と頷いた紗世。
結城は「いい返事だ」と軽く紗世の頭を撫で、1人玄関を出る。
紗世がスマホを取り出し、嬉しそうに、メールする姿を確認して……。
――紗世、残業ないの? えっと……「カメリア」で待ってて
紗世は、愛里のメールを確認して、半月分の出来事を思い浮かべる。
「麻生、元気でやってるか?」
書類の挟んだファイルを手にした小今田が、紗世の姿を確認し、人懐っこい笑顔を向ける。
「はい、部長」
「結城が上司だってな。結城は厳しいだろ? 大丈夫か?」
「厳しいですが、仕事が楽しいです」
「そうか、頑張れよ」
「はい部長、ありがとうございます」
初めは着いていけるのかと、紗世は不安だった。
が、今は楽しいと確かに言える。
紗世より、1つ年下なのに紗世よりも1年先輩の結城。
上から口調で偉そうで、グサリ刺すような言葉も容赦ない。
なのに、整った綺麗で優しい女の子みたいな顔で言われると、紗世はドキドキしてしまう。
体が弱いと言う結城。
目眩を起こしたり、鼻血を出したり、夕刻頃には熱を出したり、度々辛そうにしている。
紗世は結城が、机に突っ伏し寝ているのを見ると、胸がチクリと痛む。