プロローグ
「麻生、人事異動だ」
広報部長から手渡された書類に、紗世は「えーーーっ」と、思い切り声をあげた。
つい1時間前。
広報の出先、先方との商談をまとめ直帰願いのメールを送信した麻生紗世。
折り返し広報部部長「今田文雄」から、紗世に返信があった。
――麻生、悪いが帰社してくれ。伝えたいことがある
短いメールだった。
「何なのよ、今日は愛里と女子会だったのに……」
紗世はポツリ愚痴を溢して、平田愛里こと同期で総務部の愛里にメールする。
――愛理、ごめん。残業入っちゃった
近いうち、埋め合わせするから
ホント、ごめん
折り返し愛里が「わかった、残業なら仕方ないよ。連絡待ってるね」とメールをよこす。
紗世は急ぎ電車で帰社し、不機嫌そうな顔に笑顔を貼り付け「只今もどりました」とドアを開ける。
「おお、麻生すまんな」
「いえ、伝えたいことって何ですか?」
紗世は単刀直入に訊ねる。
「麻生、人事異動だ」
紗世は小今田部長から、手渡された書類をまじまじと見つめる。
「明日から編集部へ行ってくれ」
「えーーーっ」
紗世の雄叫びが、広報部中に響き渡る。
「何でですか? 私、何かやらかしました!? 私、今日は萬寿堂書店との商談もちゃんとOKもらってきたんですよ~」
人事異動通知を両手で握り、紗世は泣き出しそうな顔で訴える。
「まあまあ、麻生。お前さんの広報に関して不満はない。よくやってくれたし、感謝してる」
小今田部長は満面に笑みを浮かべて、紗世を労う。
「だったら、何で異動なんですか?」
紗世は目にいっぱいの涙を溜めて、小今田部長を見据える。
「麻生、実は……編集部からの引き抜きなんだ。お前の行動力を見込んでの抜擢だ」
紗世は溢れ出した涙を拭いもせず「嫌ですよ~」と、激しく泣き始める。
「麻生、お前なら大丈夫だ」
小今田部長が節くれだった手で、紗世の肩をポンポンと撫で「がんばれよ」と包み込むように、微笑んだ。
暖かな小今田部長の笑顔は、さらに紗世の涙を誘う。
「麻生、飯でも食いに行くか? 今日は何でも好きな物、食べていいぞ」
「部長……それなら、私。マダム林檎のケーキバイキングを食べたいです!」
「げんきんな奴だな、わかったわかった」
紗世はまとめてきた商談書類のファイルから、契約書を取り出し、小今田部長に手渡し大きな目をキラキラさせた。