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『風切』の試練②

 逆須磨明治の高校時代の後輩……という設定で唐突な出演を果たしたマガリと阿弥陀は、再び車内にて苦笑する。カーテンで車窓を遮り、完全に外界と遮断された狭い空間にて、二人はなにやら用意された異装へ袖を通した。

 水を通さない素材の作業用オーバーオールと長靴、バラエティ番組でよく見る格好に、マガリと阿弥陀は変身する。夏が終わって間もない時期にしては、蒸し暑さを感じさせる重装備だった。本日のこれからを過ごすには、適したものとは言い難い。

 戸のレバーを引き、自動でドアがスライドする。相変わらず鬱蒼と生い茂る世界に、ここは本当に東京かとマガリの疑念は加速した。

 当然どのような都会であれ、都道府県という括りの広さならば、発達した都市もあれば大自然と呼ぶに相応しい場所もあるだろう。その感情は明らかにも、一介の田舎出身であるマガリの偏見に由来している。

「よし、行くか」

 車から降り立った先に佇む逆須磨明治が、一人一本の虫網を手渡す。それも、近所の悪餓鬼が振り回すようなものではなく、少し値の張りそうなしっかりとした作りのものだった。逆須磨明治はしっかりと車に鍵をかけ、先頭となってスマートフォン片手に歩き始める。既に撮影は始まっているようだ。

 

「う……本当に入るの……?」

「あたりめーだろ」

 数分ほど歩いた先に、一本の川が流れていた。太腿辺りまでの深さしかないものの、水はドロドロと濁り、いかにもな水質汚染を思わせる色を漂わせていた。オーバーオールの装備で脚を覆っているといえど、やはり気分的に嫌なものだと阿弥陀は躊躇う。既に川の中を歩く逆須磨明治とマガリは、未だ陸に立つ阿弥陀を見つめ待ち耽っていた。

「阿弥陀ちゃん、そんなビビらなくても別に何ともないよ」

「ん、うぅん……」

 頼み込んで着いてきたのは本人だろうと、そう言われて仕舞えばただの我儘少女である。阿弥陀は数秒の逡巡の末、ゆっくりと足を浸けた。そのままおぼつかない足取りで、二人の側まで歩きはじめる。

「阿弥陀は水に入るのも一苦労……と」

「それ絶対カットしてくださいね」

「断る。女子高生がそれっぽい事してる場面が映るか映らないかだけでどんだけ再生数に差が出ると思ってんだ」

 逆須磨明治の職人魂が、阿弥陀の羞恥を映像に収めた。少しばかりの潔癖は、女子高生らしいという判定になるらしい。しかしまあ、ジャンルの視聴者層を考えるならそういう需要もあるのだろう。

「てゆーかマガリちゃん、何の躊躇も無く行ったね」

「結構こういうの慣れてるから……田舎暮らしなもんで」

 子供の遊び場が田畑や山に限定されてしまうような過去を過ごしていたマガリにとって、この濁り水が何かを思わせることは無かった。強いて言うならば、過去を懐かしむ程度だっただろう。

「おい、ちょっとお前ら‼︎頼む‼︎」

 唐突に、逆須磨明治の叫ぶ声が響いた。振り向いた先で網を構えた逆須磨明治は、マガリに向かって撮影用のスマートフォンを投げた。つまり、撮影しろということだろうか。マガリはよく分からないまま、カメラを向けた。

 液晶越しに見えた逆須磨明治は、水に浸した網の先を右往左往と動かして回る。淡々とタイミングを見計らい、その瞬間を見切ったように、水飛沫をぶち撒けて網を天に振り上げた。

「おー……」

 感嘆か疑念か、よくわからないマガリの声が漏れた。逆須磨明治の振り上げた網の中には、一匹の魚が身体を畝らせてもがいている。

「ボラだボラ、幸先良いな‼︎」

 ボラ。ボラ目ボラ科に属する魚類の一種であり、熱帯、温帯なら世界中のどこにでも生息する大衆的な存在である。何故逆須磨明治がこのポピュラーな一匹でここまで喜んでいるのかは全くもって不明だが、これもエンターテイナーの性というやつだろうか。

「……で、それどうするんです?」

「んー、まあ逃すしかねえわな」

 一般的に釣り人から外道と嫌われる種だが、珍味と名高いカラスミの原材料である。しかしクーラーボックスも持ち合わせていないマガリたちは、この一匹を持ち帰ったとて何かが出来るわけではない。

「アタシずっと思ってたんだけどさー、カラスミってボラの卵巣なわけだろ。なら、カラスミの中に命力入ってんのかなって」

 逆須磨明治はビチビチとのたうつボラの尾を掴み、マガリの構えたスマートフォンのカメラにしっかりと姿を残す。ゆっくりとしゃがみ込んで川に浸し、その魚影を放った。

「明治さん、撮影中に祓の話題って出していいやつなんですか?」

「あ、やべ」

 本日一匹目の取れ高は、元気に浅瀬を泳ぎ去る。どうやら一連の動画は、無慈悲にもボツとなってしまったらしい。形容し難い気まずさを孕む空気に、マガリは録画停止ボタンを押した。

「まぁ、しゃーねえか」

「開き直った……」

 適当に笑う逆須磨明治の能天気さに、阿弥陀の一言が突き刺さる。二人にとって逆須磨明治の語る再生数など知ったことではないのだが、こんな適当でいいのだろうかと。

「ねぇマガリちゃん、本当にこんなんで……」

 阿弥陀は振り向く。しかし何故か。

 先程までスマートフォンのカメラを構え立ち尽くし呆れていたマガリが忽然と姿を消した。阿弥陀が声を飛ばした先には、ただせせらぎだけが静けさに揺らいでいた。

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