東京
数度の乗り換えを経て、三人と大荷物は東京の圏内へと辿り着く。マガリたちはボックス席に向かい合い、簡素な振動の音とアナウンスだけが垂れ流されるばかりの時を刻一刻と消費していた。
「よし、次で降りるぞ」
扉の上に備え付けられた液晶が、目的地の名を映し出す。席を立つ支度へと手を伸ばしたマガリに、一つの懸念が浮かんでいた。
「阿弥陀ちゃーん、もう着くよー」
三十分ほど前だろうか。夏の終わりに急かされた蝉の群れは、田舎も都会も変化なく鳴き続けていた。そんな日暮れが車内に陽を突き刺していた頃、黒柴阿弥陀は深い眠りへと誘われていった。心地よい振動が、一日の終わりと彼女に告げたのだろうか。
「あぁ、いいよ起こさなくて」
「えぇ、でも……」
「コイツ一回寝たら自分の意思でしか起きねえから、どうしようもねえの」
七崩県は気持ち良さげに寝息を立て夢を見る阿弥陀の姿を、背中に抱え込む。速度を落とし始めた車窓の外には、あまりにも広大な世界がぎらぎらと光っていた。
「じゃあ行くか」
小さな隙間を飛び越えて、ホームへと降りる。都会というに相応しく、あらゆる方向から下車した人の波が改札口へ向けて行進を始めていた。マガリにとってのそれは、稀に画面の中で見た光景と相違はなかった。
七崩県は、背中に背負った阿弥陀をホームに備え付けられたベンチへと乱雑に座らせ、スマートフォンを取り出して連絡先を探し始める。細々としたコールの音を遮るように、誰かと繋がった。
マガリと七崩県は駅員の助けを受け、深い眠りから起きることのない阿弥陀を背負って改札を抜ける。そこからの景色は、見渡す限りに人が溢れ、数メートル先ですらも道の有無が不明瞭なまでに急ぎ足が雑多する光景が絶えず映し出されるばかりだった。
しばらく駅構内を歩き続け、ガラス戸を潜った先で星の光を得る。しかし、ぎらぎらと照る街の灯りが眩しすぎて、宵闇に浮かぶ空の光は肉眼には映らないらしい。そこに存在していることの証明にすらならないような弱気な光が、人工のネオンに淘汰されている。
バスやタクシーが絶えず停車しては走り出す、忙しさの具現と化したロータリーから少し離れた地点。少しばかり人気の減った光景に、抹茶を彷彿とさせる色をしたミニバンがゆっくりと姿を見せる。荷物まみれのマガリと阿弥陀を背負った県を目印にしたかのように、ミニバンが二人の眼前へと停車した。
「悪いな、急に車出してもらって」
「気にせんといてください、慣れてるんで」
呆れたような表情が、運転席の窓から覗く。機械の音と共に開いたガラスを隔てて、七崩県とドライバーは簡素な会話を交わしていた。垂れ流されるラジオが、ここ最近でよく聞く流行りの楽曲を車内から放出している。
ふと、ドライバーは見覚えのないマガリの顔に疑念と首をひねるも、まあいいかといった表情で後部座席の扉をボタン一つで開いて、爆睡をかます阿弥陀と共に乗るようにと促した。助手席に七崩県を、後部座席にマガリと阿弥陀、そして大荷物を詰め込んで、アクセルが踏み込まれる。
「えっと、波ヶ咲ちゃんやっけ」
ハンドルを握ったまま、問いかける。二十代前半といったところか、随分と薄着に身を包んだ女性は赤信号にブレーキを踏み、少し後部座席を振り返る。
「はい、波ヶ咲マガリです」
「畏まらんでええよ、ひとまず長旅お疲れ様。ウチは南風原舞花や」
マガリが東京の土を踏んで最初に邂逅する人物の言語はどつやら関西の色に染められてているようで、頭の上をクェスチョンマークが無尽蔵に走り回る。しかし気さくな声と態度に、なんとも言えないような親しみ易さを感じさせる。
「コイツうちなんちゅなのに関西弁話すんだぜ、面白えよな」
七崩県のはしゃぐような声が、車内を反響する。交通状況を淡々と語っていたラジオの音をかき消すように、笑みをこぼした。この南風原舞花という人物は、沖縄で産まれ、関西で育ち東京へ来たということだろうか。
「んで、何が起きたんすか」
「まー色々とな。話すと長くてめんどくせぇ」
十分程度走り続けただろうか。四方八方から迫り来る自動車の群れが入り乱れる光景、その先の眩しく巨大な建物たち、そのどれもがマガリにとって初めて目にするものだった。南風原舞花と七崩県の事務的な会話など耳にも入れようとせず、ただ、マガリは車窓の外側を堪能していた。
「……舞花」
唐突に、七崩県の声が空間を制した。一言、そのカケラに含まれた意図を、南風原舞花は瞬時に理解したようだ。進行方向から左側へハンドルを切り、光の少ない方へとアクセルを踏んでいた。
「悪いな波ヶ咲ちゃん、ちょっとだけ寄り道してくで」
「え……っと、はい、分かりました」
少しずつ人気が薄くなっていくのが、なんとなく感じ取れた。しかし七崩県と南風原舞花の二人は、そういった事象に触れることもなく、淡々と細くなりつつある道を四輪駆動で辿り始める。