9.ヒカルとプレ・パーティー
パーティーに出る前は、やることが山ほどあって大変。
ドレスのウエストが一センチ緩いだけでも台なしになるし、靴選びで迷宮入りしてしまうこともしばしば。
メイクだって細かい箇所ほど気を抜けない。チークをひと重ね多くつけてしまっただけで、「もう最悪」なんてことになりかねない。
髪に至っては、やればやるほど、どこかが気になってくるのよね。
まるで生け花だと思う。末端まで神経を張り巡らせ、引き算する潔さも大切。やりすぎてはだめなのだ。
鏡台前はまさに戦場。
今夜もこだわり抜いただけあって、満足できる仕上がりになったと思いますわ。
ちなみに「お姉様も一緒に出席しましょう」と誘ってみたけれど、案の定「私はいいわ」との答えが返ってきた。
ああ、もったいない……。
お姉様が着飾ったら、きっと誰もが振り返るのにな。
さあ、では――張り切って、ヒロインの偵察に参りましょう!
* * *
遅めに到着したので、パーティー会場はかなりにぎわっていた。
ドリンクを手に取り、会場の様子を観察していると、隣からの熱い視線をひしひしと感じた。
そうでした……彼にエスコートを頼んだから、今日はずっとこんな調子かも?
横に顔を向け、平坦に尋ねる。
「……ヒカル、もしかしてずっと私のことを見ていましたの?」
ヒカルは悪びれず、天使のような笑顔を浮かべて頷く。
「もちろん。だって特等席で眺めたくて、君を誘ったんだもの」
「会場にはほかに綺麗な方もいらっしゃいますわよ?」
「だけど僕は、君の顔が好きなんだよね。黄金比率だと思う。誇っていいよ」
美術評論家みたいな賞賛ですわね……。
「それはどうも」
「もう何度も褒めたけど、やっぱりもう一度言わせて。ドレス、とっても似合っている」
今日のドレスはラウンドネックのノースリーブに、スカート部分はふんわり広がるプリンセスラインだ。
丈は膝上のミニ。
色自体は深い紅と重めだが、透けるレース部分と生地のバランスが絶妙で、何より身につけた時のラインが綺麗なので、自分でも気に入っている。
綾乃は機嫌よく微笑んだ。
「普段なら、ジロジロ見られたら張り倒しているところですけど、今夜は我ながら良い出来だと感じていますの。だから存分に見てくださって結構よ」
「君のそういう豪胆なところ、僕は好きだな」
「あなたは何を言っても、いやらしく聞こえませんわね」
変なところに感心してしまう。
「美しいものを愛でるのは、芸術鑑賞と考えているから」
なるほどねぇ。
下心がないから、嫌な感じがしないのかしら。美意識が高くて、品がある。絶対に変なことはしないだろうという、妙な説得力が彼にはある。
なんだかんだ、ヒカルとは話も合うのですよね。
意外と良い友人になれるかもしれないわ……綾乃は初めてその可能性に気づいた。
そういえば。
「あなたに似合わないと思ってこの色を指定したのだけれど、驚いたわ」
ポケットチーフなどのワンポイントで臙脂色を入れてくるかと思ったら、まさかの真っ向勝負で、臙脂色のワイシャツと同系のタイを身に着けてきた。
難易度高めなのに、ダーク系のジャケットと合わせて色を浮かせることもなく、何より本人によく似合っている。
髪を上げて大人っぽくしているというのも大きいかもしれない。
正直に賛辞を述べると、ヒカルが悪戯に微笑んだ。それは少しだけ堕天使を思わせるような、艶のある笑みだった。
「僕も意外だったよ。この手の色って、自分でも似合わないと思っていたから。それで――着こなしてみて分かったんだけど、やっぱり美は正義だよね」
まあ確かに、ここまでやられたら、ぐうの音も出ませんわね……。
「かもしれないわね。私、あなたとはなんだか良いお友達になれそう」
綾乃は右手を差し出し、ヒカルに握手を求めた。
ヒカルはどこか呆れたような顔をしてそれに応じたのだけれど……あの顔は一体どういう意味かしら。
呆れ顔は、いつだってどんな状況だって、あなたがされるべき立場ですのに。
そんな話をしていると、バーカウンターの前にいるヒカルの兄を発見した。
――久我奏だ。
忘れもしない、階段から落下した姉を華麗にキャッチした彼。そして助けたあとに暴言を吐き、すべてを台なしにした男でもある。
この『プレ・パーティー』には保護者も出席するので、アルコール類も準備されている。けれどさすがに人の目があるので、彼も飲酒はすまい。
酒目当てというよりも、どうやらカウンターの奥にいる女性に用があるようで、何やら熱心に話しかけている。
その女性は働きやすさを重視してか、髪を無造作に後ろで束ねていた。結びっぱなしで、髪ゴムで束ねた先が竹箒のようにピョンと飛び出しているのを見るに、肩程度までしか長さはないらしい。
いかにも機転の利きそうな、不思議な魅力のある女性だと思った。
あの独特の、人を食ったような堂々とした笑み――一歩間違うと下品になってしまいそうだが、彼女の場合は面差しの繊細さも相まって、妙にチャーミングに見えた。
あれはもしかして……?
綾乃は思わずヒカルの腕を引いて尋ねていた。
「ねえ、あのふたりは知り合いですの?」
綾乃の視線を追って、ヒカルが彼らの姿を捉える。
「ああ、あれは住吉忍っていう女の子で、兄のクラスメイトだ」
やっぱり。
――彼女がヒロインだ。