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婚約者に愛されない悪役令嬢が予言の書を手に入れたら  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!
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89.姉と妹


 桜子が戻るのを待っていたのだろう。帰宅するとすぐに綾乃が部屋に入って来た。


「お姉様……どうしてですか。どうしてあんなことをしたのですか」


 予言の書の作者が桜子であることを、紫野夏樹から聞いたのだろう。


 窓を背にして立ち、綾乃と向き合う。


 悲しみを湛えた瞳がこちらに向けられているのを、桜子は心が麻痺した状態で受け止めた。


 言葉を探すが……綾乃にかけるべき言葉が見つからない。


「……なんて言えばいいのか分からない」


「ちゃんと話してください、お姉様」


 無力感が込み上げてきた。


「あなたは強い。子供の頃につらい目に遭っても、体を鍛えて、前に進んでいる」


 視界が滲む。


 桜子は悪戯を見咎められた小さな子供みたいに、自分のしでかしたことに、耐えられなくなっているのかもしれない。


 後悔しているわけじゃない。結果があらかじめ分かっていたとしても、過去に戻ることになったなら、きっと同じことをする。


 だけど。


 綾乃に軽蔑されるのはつらい。


 そのことが桜子をみっともなく泣かせた。声が震える。


「あなたは強い。でも私は違うの。毎日、眠るのが怖い。目が覚めるのが怖い。外を歩いていると、通りの角にあいつが立っていそうで怖い。あいつはまだ出所していないのに、それでも怖いの。毎日、毎日、いつだって怖い」


「お姉様のことは私が護ります、だから」


 何を言っているの? 


「あいつは、あなたを狙っているのよ!」


「それは違います」


 綾乃も泣いていた。目元を赤く染め、小さく首を横に振る。


「あの男はこう言ったんだもの――『私を忘れるな。さもなくば君の姉を殺す』と」


 初めて聞く話だった。……でも、だから何?


「それはあなたの心を縛るのが目的なのよ。あいつはあなたに執着しているの。ターゲットは私じゃない」


「――ですが結果、お姉様を縛っている」


 綾乃の絞り出すようなその言葉に、ハッと胸を衝かれた。


「お姉様――あの男のことばかり考えて、心を支配されている時点で、相手の思うつぼです。あの男の影に怯えて生きるのは、屈服したのと同じ――だから忘れてください、犯人のことは」


「そんなことできないわ! 忘れられないし、忘れちゃだめなの。警戒していないと、またあいつは綾乃を攫う、そうしたら――」


「その時には、私が戦います。――お姉様、見てください」


 綾乃が両手を広げてみせる。


 背筋を伸ばしたその姿は、凛として美しく――ああ、あの小さくて頼りなかった可愛い綾乃が――いつの間にかずいぶん立派になっていたのだと、桜子に気づかせた。


 目の前にいるのは、成長したひとりの女性だ。


 いつの間に? あなたはいつの間にそんな……。


「私はもう大人です。あの時の非力な子供じゃない。強くなりました。――どうして私が体を鍛えたか分かりますか?」


「どうして?」


「それはあの男から、お姉様を護るためです」


 ずっと眩しかった。


 あんな恐ろしい目に遭ったのに、敢然と前に進めるあなたが。どうしてそんなふうに気を強く持てるのか、不思議でもあった。


 桜子はあの事件を経験して、心が折れてしまった。


 その折れた心を必死に繋ぎ合わせて、あなたのためだけに立ち上がった。


 自分のために頑張るなんて、無理だった。


 だからあなたはすごい人だと、ずっと感心していたの。


 ……だけど、あなたも私と同じだったの? 私のために頑張ってくれたの?


 綾乃が真摯に桜子を見つめて続ける。


「あの男は、私が絶対に許容できないことを言ったのです――お姉様を殺すと。私が世界一愛するお姉様を、殺すと脅したのです。許せなかった。私はお姉様を護るために武術を学びました。必死だった。いつかあの男が出所して、ふたたび姿を現した時、今度は私がお姉様を護れるように」


「私、ずっとずっと怖かった。綾乃を失うのがずっと怖かった。あの時護ってあげられなくてごめんなさい。ごめんなさい。あの時、私が代わってあげたかった」


 泣きじゃくりながら詫びた。


 綾乃が駆けて来て、桜子を抱きしめる。


 いつの間にか綾乃は桜子より背が高くなっていて、妹の肩に額を埋めるようにして泣いた。


 綾乃も泣いていた。


「お姉様は護ってくれた! 護ってくれたじゃないですか。殴られても負けずに、あの男に手を伸ばして、私を渡すまいと必死で戦ってくれた。顔を骨折するほどのひどい怪我だったのに。あなたが身を挺して護ってくれた時、私は本当の愛を知ったのです。――私は愛されている! このことがどんなに私を勇気づけたか。お姉様に愛されている、そう実感できたことが、私にどんな影響を与えたか。――あなたが敢然と誘拐犯に立ち向かった姿は、今も私の心に残っています。私はあなたのようになろうと、心に誓った。あなたが惜しみなく愛を与えてくれたように、私も大切な人に、惜しみなく愛を与えられる人間になりたいと思ったの」


 綾乃の両手に包まれていると、長くつらい旅を終えて、やっと家に帰って来たような気持ちになった。


 ……もっと頼ってみてもいいのだろうか。


 だって自分はこんなにもちっぽけで、脆く、愚かだ。


 綾乃に頼って相談したら、この暗闇を抜ける方法を、一緒に見つけてくれるだろうか。


 あなたは言った――あの男の影に怯えて生きるのは、屈服したのと同じことだと。


 ならば私は怯えない。


 だって誰よりも強く、凛としたあなたが、私の背を押してくれるのだから。


 前を向こう。


 だってあんなに小さかった綾乃が、立派に成長し、共に戦ってくれると言うのだから。



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