77.久我奏-8 『鉄道王と暴走少女』
「このあいだ私、アメリカの『鉄道王』コーネリアス・ヴァンダービルトについて習ったの! だから彼と同じ名前だーと思って。当たりよね?」
彼女が嬉しそうに笑う。
え……ていうか、呆気に取られたこちらの顔を見て、『すごいや、なんで当てられちゃんたんだ』というリアクションだと思ったの?
いやいや、イントロクイズじゃないんだぜ。なんで名前の一部だけ伝えて、『あとは当ててね』方式だと思ったのさ?
それと、なんでコーネリアスに簡単に決めちゃったの? もうちょっと迷おうよ。
ものすごい思い込みっぷりだな。うっかりさんなのかな。
……というか、僕は日本人だと思われてないのね、やっぱり。
まあ無理もないか。髪は金髪で瞳も少し青みがかっているから。
奏にはイギリス人の血が四分の一入っている。
あの例の――無茶なミッションを与えて来るお祖母様の亡夫が、イギリス人だったらしい。
奏は今のところ、亡きお祖父様の特徴(金髪・青っぽい目)を受け継いでいるらしいのだけれど、血が混ざっていると、成長と共に髪や目の色が変わっていくことが多いと聞いたので、そのうちに変化するかもなと思っている。
むしろこの外見は浮くので、『できれば黒髪黒目になりたいです』とこっそり神様にお願いしているくらいだ。
この外見で得したことってほとんどなくて、嫌な思いをすることばっかりだ。
どこに行っても女の子があとをついて来るもんだから、それをやっかんだ男の子から、奏は陰で『ハーメルン』ってあだ名で呼ばれているらしい。
――そうあの、ハーメルンの笛吹き男だ。笛を吹いたら街中のネズミがついて来て、しまいには子供を根こそぎさらっちゃうという、恐ろしいあの話。
……ひどすぎる。
そんな変なあだ名が自分についているなんて、知りたくなかったよ。
奏は笛なんか吹いてない。女の子が勝手について来るだけ――とか言ったら、さらに悪口が増えそうだから、絶対に言わないけどさ。
なんてことを考えていると、楓がいつもと同じく、人を小馬鹿にした口調で割り込んで来た。
「僕はお前みたいな生意気女に、本名を教えてやらない! コーネリアスのほうはもう知られちゃったから、こいつの名前は好きに呼んでもいいけど」
横目でチラッと奏を見て、ふん、と鼻で笑う。
おーい……なんで僕はコーネリアスが本名ってことになっているんだよ。
訂正したかったけれど、これ以上楓の機嫌を損ねると、この子に何かして迷惑をかけるかもしれないからと思って、様子を見ることにした。
女の子は眉をしかめ、冷たい目で楓を見つめる。
「じゃあ、私も本名は教えないわ。……あなたって、いつもそんなふうに嫌なやつなの?」
「お前ほどじゃない。そうだな――俺のことは『シン』って呼べよ。あだ名だ」
あだ名って、誰もそんなふうに呼んでいないだろ。
……ああ、そうか。深草楓の「深」を音読みしたのかな。
女の子は不味いものを食べてしまったみたいに軽く舌を出し、しばらく黙ってから、渋々という様子で口を開いた。
「うわ、面倒くさい……このまま『バイバイ』したいけど、あの女性を追い回していた理由がまだ分かっていないから……仕方ないなー、もうちょい付き合うかぁ……ああ、でもやだなぁ……」
心の声を駄々洩れさせつつ、
「じゃあ……私のあだ名は『アヤ』で」
と楓のルールに従って、あだ名を口にする。
奏はこの成り行きに地味に苛ついていた。
まったく――楓の意地悪のせいで、アヤの本当の名前が聞けなかったじゃないか!
彼女はどう見てもいいとこのお嬢さんだから、きっとまたどこかで会えるだろう。けれどせっかく今日こうして出会えたのだから、ここでちゃんと本名を知りたかったのに。
でも、それをここではっきり指摘してしまうと、絶対、楓がキレる。間違いなく。
ストレスたまるなぁ、こういうの……。
だけどまあ、この苛立ちはアヤには関係ないことだ。いい子みたいだし、これ以上、嫌な思いはさせたくない。
だから奏は深呼吸して心を落ち着かせ、アヤにちゃんと説明することにした。
「あの人をつけ回していた理由を説明するよ――実は僕、四階のサンルームにどうしても行かなくちゃならないんだ。そこに行くには、特別な鍵が必要で、それをあのメイドが持っている。腰からさげている金の鍵なんだけど……だからその……どうにかしてこっそり借りられないかと思って、あとをつけ回していた」
アヤが小首を傾げ、訳が分からないという顔をする。
「だったらあの人に素直に頼めばいいんだわ。あなたたち、コソコソ隠れてズルをしようとしていたでしょう」
「サンルームには特別なお客様しか入れない。それはこのホテルの決まりだから、鍵を貸してくれるわけがない」
「でも……鍵をとったりしたら、あの人はクビになっちゃうかもしれないわ」
「誓っていうけど、サンルームで悪戯する気はないんだ。ただ……僕の祖母が、そこに咲いている花で、押し花を作ってほしいって言うもんで……」
なんだか最後のほう、もごもごしてしまった。
嘘を言ってるわけじゃないんだけど、お祖母様の目的が純粋なものじゃなく、孫を試すためっていう背景があるから、そういうことも含めてなんだか恥ずかしく思えたのだ。
アヤはそれを聞いて、喉をこくりと鳴らした。
「そ、そうなの……? きっとあれね、あなたのお祖母様は、ここのサンルームに特別な思い出があるのね。そしてあなたはお祖母様がとっても好きなのね。だから願いを叶えてあげたい、と。うわ、想像していたより、私好みの展開……」
なんてぶつぶつ呟いている。
奏はあいまいに微笑みながら、困ったことになったぞと内心考えていた。
彼女をだましているみたいで心が痛む。
ていうかこの子……先ほどから頭の中の暴走がひどいんですが。これもう、どこかに激突するまで、止まらないんじゃないか……?
ある意味、楓より恐ろしい存在かもしれないという気がしてきた。
そして、こういう時にじっと黙っていられない男――楓、改め、シンが口を挟んだ。
「俺はさっきから言ってるんだ。別にサンルームになんか入らなくたって、花屋で切り花買ってさ、お祖母様にはそれを渡せばいいじゃんて」
「うわ、分かってないー!」
アヤが絶望的な声を出す。
「違うんだな、シンよ。あなた全然、分かってないわー」
「なんでだよ!」
楓が顔を真っ赤にして怒りだす。
シンよ、女の子の言葉は余裕で受け流すくらいになったほうがいいぞ……奏はこっそりそう思った。
アヤがまくし立てる。
「あのね、気持ちの問題なのよ! 花屋でお手軽に手に入れた切り花を、お祖母様に渡す、ええ――バレなきゃそれでいいと、あなたはお思いでしょう。でも考えてごらんなさい、お祖母様はこれからずっとその切り花を眺めて、『可愛い孫があのホテルのサンルームから取って来てくれたのね』って思うのよ。それがコーネリアスは嫌だって言っているの。だってそれはお祖母様の気持ちをもてあそぶことになるから」
いやあの、当のお祖母様が、僕の気持ちをもてあそんでいるんですが……。
この子の想像力のたくましさ、すごいな。
そうこうしているうちに、戻って来るメイドの姿が視界の端に映った。
時間がない。奏はアヤの手を握り、早口で伝えた。
「手伝ってくれとは言わないよ、だけどお願いだ――僕が鍵をとる時、君が何か気づいても、見て見ぬフリをしてくれないか。あとで鍵はちゃんと返すから」
アヤもメイドが戻って来たのに気づいたらしい。そちらをサッと横目で確認してから、奏のほうに視線を戻した。
彼女の瞳が困ったように揺れている。
「……約束はできない。ちょっと考えさせて」
早口で告げて、駆けるように元の場所に戻って行った。
楓が苛立ったような顔つきでこちらを睨んできた。
「……どうするんだよ、あいつきっとチクるぜ。もっとあいつを脅して言うこときかせればよかったのに」
 




