75.久我奏-6 『少女とメイド』
計画を立てた。
――まず、特別な鍵を手に入れる必要がある。
サンルームは四階にあるのだけれど、エレベーターは四階に止まらない。四階に行くには、エレベーターに乗ったあと、パネルに鍵を挿して蓋を開く。そうすると『四階』のボタンが出てくる。
パネルを開く鍵はマネージャーが持っている。けれどマネージャーからそれを手に入れるのは無理そうだ。今日彼はシンポジウム関連でVIPの応対に追われているだろうし、隙がない。
――そこで奏が狙いをつけたのは、四階の掃除を担当しているメイドだ。
大切な鍵なので、メイド全員が持っているわけじゃない。選ばれたひとりだけが持っているんだ。
頼んでも絶対に貸してもらえないから、彼女に知られないようこっそり借りて、終わったらこっそり返す必要がある。
だけどそのメイドは強敵なんだ。彼女は奏の――というか、楓の天敵なのである。
彼女はお客さんに対しては感じが良いのだけれど、関係者にはなんでもはっきりとものを言う人だった。まぶたは重たげで、顔がとても細くて、怒りっぽい。鶏に少し感じが似ている。
奏と楓はすっかり目をつけられていて、あのメイドに近づくのはかなり難しそうだった。
……チャンスを窺わなくては。
奏と、勝手についてきた楓は、距離をじゅうぶんに取りながら、メイドのあとをつけ回すことになった。
* * *
今、奏たちは八階にいる。
この階にはカフェがあり、カフェの前はロビーみたいな休憩スペースになっていた。
衝立や柱、植物などがあちこちにあって、ちょうどいい目隠しになるので、奏と楓はメイドにかなり近づくことができた。
背もたれの高いソファに膝を乗り上げ、反対向きに座り、こっそりと背後を覗く。
あのメイドはどういう訳か、ガラス窓を磨いている。
客室のベッドとかを整えるのが仕事だと思っていたのだけれど、彼女は先ほどからあっちこっちを移動して、ゴミを拾ったり、手すりを拭いたりと忙しそうだ。
……全然、隙がないぞ。
汚れている場所がないかと、あちこちキョロキョロ確認するものだから、いつ振り向くか分からない。
あれじゃこっそり後ろから近づいて鍵を盗るなんて、絶対無理だ……暗い気持ちになってきた。
「おい、奏、見たことない女の子が近寄って行くぞ」
隣にいる楓がこちらの腕をグイと引く。
……なんだ、あの子?
若草色のワンピースを着た同い年くらいの女の子が、メイドのもとに歩み寄る。女の子はメイドのすぐ横に立ち、ガラスを拭く作業を眺めている。
こちらからは後姿しか見えないが、肩の下まで伸びた綺麗な髪や、ぴんと背筋の伸びた立ち姿は、とてもきれいだと思った。
ガラスを拭いていたメイドが、チラリと横目で女の子のほうを見た。
「なぁに、お嬢ちゃん――そうやって見ていて、面白いの?」
「ええ」
女の子が元気に答える。弾むような声音だけれど、うるさいほど甲高いわけでもない。
「私ね、あなたのこと、ずっとつけていたのよ。気づいていた?」
「あら、そう? おばちゃん、全然気がつかなかった」
メイドは作業を続けつつも、視線をサッと巡らせた。
奏たちはメイドに見られないよう、慌てて首を引っ込めた。そして数秒待ってから、こっそりとまた首を伸ばして、ソファの背からふたたび覗く。
女の子が無邪気に続けた。
「だってあなた、お掃除がとっても上手なんだもの。すごいなと思ったの。私ね、あなたほど上手にお掃除ができる人、見たことないわ。あなたみたいな一流の人を、プロっていうんでしょ?」
女の子が得意げに言う。
奏はメイドが怒り出すんじゃないかと心配した。だってあの人は、生意気な子供が嫌いなはずだから。
けれどメイドは横目で女の子を眺め、ニヤリと笑った。陰気くさいはずの顔が、なんだか不思議と格好良くみえた。
「あら、嬉しい! おばちゃん、そんなふうに褒めてもらったの、初めてかも。ありがとね」
目尻に皴を寄せて、白い歯を見せて笑っている。
あの人、あんな素敵な顔をするんだ……奏は驚いていた。
「ねえ、あなた、うちの会社で働かない?」
誘われたメイドが「はは」と笑ってから答える。
「おませさんねぇ。私のことを引き抜くつもり? でもねー、おばちゃん、このホテルが好きだから、やめられないのよ」
「そうなの……じゃあ仕方ないわね」
「でも嬉しいわ。どうもね」
「いいえ、お話できて楽しかった」
女の子がはにかんだように体を左右に揺らしたので、顔がやっと見えた。
もっと生意気そうな顔をしているのかと思ったけれど、素直そうな顔つきの子だ。
黙っていれば、引っ込み思案で大人しそうに見えるかもしれない。たとえば、絵を描くのとピアノが趣味、みたいな感じ。
優しい瞳の色をしていて、それが陽光を反射してキラキラと輝いている。
嫌味な癖がなくて、ずっと見ていたいたいと思うような顔だった。




