72.久我奏-3 『何か刺さる』
苛つく奏に構うことなく、元・三月ウサギが容赦なく責めてくる。
「で、あんたに訊きたいのはね、なんで女たちの手綱をしっかり締めないの? ってこと。取り巻き女に甘い顔して、馬鹿みたい」
そう言うけどな。
「女には何があっても優しくすべし――ってある人から言われたんだよ。俺は人生で色々しくじっている気がするが、あの言葉だけは、教訓として心に残っている」
「あのね――優しくするって、なんでも『はいはい』言うこと聞くって意味じゃないでしょ。ていうかそれ、誰に言われたの?」
「……初恋の女の子」
「ああ、分かったぁ――あんたさ、横柄な態度で、その子に嫌われたんでしょー。それで『女の子には優しくしなさいよ、馬鹿、嫌い』とかガチ切れされて、それがトラウマになり、その教えを後生大事に抱えて生きてきたわけね? うわー、痛たたたた……色々こじらせちゃってるねー」
この抉り方……こいつ鬼か?
「うるせー、放っとけ」
いちいち訂正する気も起きない。
というか、初めてあの教えを破ろうかなって気になっているぜ。この女、マジでどうしてくれようか。
「私だってね、あんたみたいなクソ野郎に忠告とかしたくないわ。でも『袖すり合うも他生の縁』って言うじゃない? 見て見ぬフリを決め込むのもなんだかなーと思うから、こっちも憎まれ役を渋々引き受けているんだよ」
そうか? 憎まれ役を渋々引き受けてるっていうより、喜々としてだめ出ししてるだけだろ?
元・三月ウサギのクソ憎たらしい説法は続く。
「優しくする女の子は選びなさいよ。女の子相手に怒鳴ったり殴ったりするのは論外だけど、馬鹿女をはべらせて自由にさせてるのって、最低最悪だわ。見苦しい。公害レベル。ほんとにあんたの取り巻き女って性質が悪いんだよ。皆が迷惑してるんだから、いい加減、対応を考えなさいよね」
「……分かった。お前の言い方はムカつくが、何か心に刺さるものがあった。よく考えてみる」
「よし」
何がよしだ。俺は犬か……いや今はウサギか。
しかしなんだ、俯瞰すると相当シュールな絵ヅラだろうな。ウサギのマスクをかぶった状態で、生意気な従業員に説教されているって、なんだよこれ。
ボロクソ言われすぎて、段々凹んできたし……。
「で? お前の意見を聞かせろよ」
そう促すと、元・三月ウサギが、落ち着いた声音で語り始めたのだが――……それは思ってもみない内容だったのである。
* * *
「全員信用してはならない――答えはこれよ。第一に、A嬢はブレスレットを盗まれていない」
「どういうことだ? 狂言なのか?」
「狂言とも違う。そもそも彼女、ブレスレットの件は大騒ぎにしたくなかったのよ。あれは盗まれたんでも、紛失したんでもなくて、ある人物に『あげた』の。だから今は手元にない」
よく分からない。『あげた』のなら、そう言えばいいじゃないか。『紛失でも、盗難でもない』のだと。
奏の戸惑いを見て、女がふふんと笑う。
「あなたに隠しているのは、あげた相手が、恋人だから。あんたに色目を使っておいて、『実はここに彼氏来てまーす』なんて言えないでしょ? ――男女関係のもつれで、彼女は口止め料として、男にブレスレットを渡した。ついさっき」
「なんでそんなこと、お前が知ってるんだ?」
「暗がりでコソコソ話している男女がいて、面白そうだったから、聞き耳を立ててた。上流階級の人間って、使用人をいないものとして扱うというか、背景みたいに捉えているのよね。相手は同じ人間なのだから、当然、一挙一動を見られているし、それが命取りになったりするのに、ほんとお馬鹿さん」
要はこいつ、覗き趣味があるわけだな。自慢できるような行動じゃないと思うが、真相を知れて助かったので、そこを糾弾するのはやめておく。
「じゃあ相手も茶会の出席者か」
会場を見回すが、薄暗いのと、現在地が奥まっているのと、マスクにより驚くほど視界が狭いのとで、確認した意味はあまりなかった。
大体、相手の風体も知らないし、さらにいえば知ったところで、だからなんだという話だけれど。
「ま、そうね。興味があれば、あとで名前教えてあげるわ。――ま、あんたはこれっぽっちの関心もないでしょうけれど」
見透かしたような口調。それがあまりに冷たく響いて、少しだけヒヤリとした。
「……A嬢のブレスレットが消えた件は分かった。じゃあB嬢はなぜ騒いだ?」
「B嬢とC嬢は、実はグルなの。イニシアチブを取っているのは、大人しそうに見えるC嬢のほうなのだけれどね。――彼女たち、初めはA嬢に恥をかかせようと思って、ブレスレットの件を持ち出したのよ。A嬢が離席した時、すぐあとを男が追って行ったのを、B嬢とC嬢はしっかり見ていた。戻ったA嬢の腕からブレスレットがなくなっていたから、それを当てこすっていたら、段々歯止めがきかなくなったのね。『盗難』と大袈裟に騒げば、もしかすると彼氏がそれを持っているのを、皆に知らしめることができて、面白いことになるかもって思ったのかな。――途中で作戦を変えて、C嬢が犯人みたいに話を誘導して、あなたの同情を買おうとした。身体検査されても、もちろんC嬢は潔白だから、安心だしね」
……それで俺を身体検査に立ち会わせようとしたのか。こんな馬鹿げた話に振り回されたのだと思うと頭痛がしてくる。
やり口が陰険で気持ちが悪かった。
この時点でもう落ちようがないくらい落ち込んでいたのだが、元・三月ウサギがトドメを刺してきた。
「ねえ、あんたさ――今回の件、真相を自分で見抜けなかったでしょ? それについて、どう考えているの?」
なんとなく首を回し、女の顔を見上げようとしたら、またウサミミをパシッと叩かれた。
「こっち向くなっつーの」と低い声で言われ、ため息を吐きつつ顔を前に戻した。
どう考えているか? 俺が間抜けってだけの話だろ。
「洞察力が足りなかった、反省している」
奏がこんなふうに素直に非を認めるのは、相当珍しいことなのだが。
「違う。根本的に違う」
ぐい、と肩に重みがかかる。やつがこちらの肩に肘をついたのが分かった。
元・三月ウサギが冷ややかな声で告げた。
「あんたはビジネス上の重要な案件では、クレバーな洞察力を発揮するはずよ。でも今回はそうじゃなかった。それはなぜか?」
「そりゃ、重要じゃないからだろう」
「そうね。でもなんで重要じゃないの?」
変なことを言うと思った。




