70.久我奏-1 『A Mad Tea-Party』
時は今から八カ月ほど遡る。
その月は、うちのホテルで『英国フェア』なるものが開催されていた。その英国フェアの中で特に力を入れていたイベントが、紅茶の試飲と販売だった。
その日は『狂ったお茶会』をテーマにしたパーティーが催されており、そこで久我奏は、面倒極まりない事件に巻き込まれることになる。
* * *
パーティー会場は、歪んで、雑多で、カラフルだった。
趣味が良いのか悪いのか分からない、凝った飾りつけ。ナンセンスなあの童話の世界が、上手く再現されている。
従業員は『三月ウサギ』のコスプレをして、各テーブルでお茶をサーブしていた。
といっても可愛らしい仮装ではなく、ものすごくリアルなウサギのマスクをかぶり、首から下は人間の格好――白いシャツに黒いチョッキ、黒いズボンといった格好である。
テーブルはいくつかに別れているが、奏がいる席は四人がけの円卓で、お得意先のご令嬢が三人、ずらりとテーブルを取り囲んでいた。
……これはまさに狂ったお茶会だ、と奏は思った。
同席している女子たちは、同じ学園の生徒ではない。最近この手の催しでよく群れている、おなじみの三名だ。
名前はどうでもいい。一応把握はしているが、本当にどうでもいい――だから便宜上、A嬢、B嬢、C嬢で識別している。
奏を起点にして、時計回りにA嬢(派手な女)→B嬢(勝気な女)→C嬢(呑気な女)という席順になっている。
問題は、ここで起きた事件だ。
この茶会の最中に、A嬢(派手な女)のブレスレットが紛失した。
A嬢(派手な女)は本件について、騒ぎになるのを嫌がっていた。
しかしB嬢(勝気な女)が紛失の事実を声高に叫び、「これは盗難事件よ!」と問題を大きくした。
それに対する各人の主張は以下のとおり。
* * *
・A嬢(派手な女)……『犯人はC嬢ではないと思う』と主張
・B嬢(勝気な女)……『犯人はC嬢である』と主張
・C嬢(呑気な女)……『身体検査をするなら、久我奏(俺)に立ち会ってほしい』と主張
* * *
三者三様にイカレた役割を忠実に演じている。……少し気が遠くなった。
げんなりしながら、『さて、どうしたものか』と考えを巡らせていると、かたわらで紅茶を給仕していた三月ウサギがぼそりと呟きを漏らした。
「……まったく正気じゃない」
他人に聞かせる意図はなかったのだろう。A嬢B嬢C嬢が大騒ぎしているので、その声は本来、誰の耳にも届くはずがなかった。
三月ウサギがワゴンを押して去って行くのを見送りながら、奏は不思議な衝動を覚えた――何かが気になる。
まるで論理的ではないのだが、数年に一度の割合で、この手の閃きが起こる。第六感、というやつだろうか。
この直観は、どういう訳かこれまで外れたことがない。
奏はこの感覚に従い、さっと席を立った。
三人の令嬢が驚いたように一斉にこちらを見たので、圧をかけながら早口に告げる。
まずA嬢に。
「茶会終了までにブレスレットが見つからなければ、主催者として同じものを弁償する」
次にB嬢に。
「犯人捜しは少し待つように。主催者として、俺が対応を決める」
最後にC嬢に。
「身体検査はしない。よって俺がそれに立ち会うことはない」
最後の宣言が、一番馬鹿馬鹿しい内容だったな。なんで俺がそんなものに立ち会わなければならないんだよ。
三人は一瞬ポカンとしたが、すぐに口を開いて何か言おうとしたので、
「――とりあえず三人とも、絶対にここから動くな」
と命じてから、すぐにそこを離脱した。
そしてあのイカレた三月ウサギのあとを追ったのである。
* * *
会場の隅で三月ウサギの腕を掴まえた奏は、
「――話がある」
と迫った。
しかしそいつは従業員のくせに、無礼極まりない態度を取る。
「うへぇ、なんですかぁ……」
女の声だ。――『大嫌いな相手に絡まれてしまった』――そんな心の声が、ウサギのマスク越しに伝わってくる。
……もっと雇用者一族に敬意を払えよ。
「お前、あの三人のやり取りを聞いていただろう。どう思った?」
「えー、なんで私に訊くんですか?」
「先ほどお前が『まったく正気じゃない』と呟いたのが聞こえた。だから何か考えがあるのかと思って」
「うわ、あのね――私もう気を遣わなくていいですよね? あなたが面倒な質問して、私を巻き込もうとするから、こっちも言うことは言わせてもらって、自分を守らないとね。これから結構失礼なこと言うけど、怒らないでくださいね」
「別に構わない。というかお前は初めからずっと無礼だから、『気を遣え』と言ってもどうせ無理だろ」
「おう……このくそったれ」
三月ウサギが毒づく。
……どんだけ口が悪いんだ、こいつ。よく面接通ったな、これで。
三月ウサギは周囲をキョロキョロ見回し、
「うーん、この辺は薄暗いし、あの令嬢たちのテーブルから直接見えないからまだいいけど……それにしても、あんた目立つわね。ちょっと座りなさい」
と言って、奏の肩をぐいぐい押す。
乱暴に壁際の椅子に座らされた奏は、
「ちょっと前を向いてて」
と言われ、次の瞬間、不意に視界が覆われたのでかなり驚いた。




