63.ヒカルと桜子のデート
仮面舞踏会のあと、ヒカルとデートすることになった。
ヒカルが綾乃経由で誘ってきたのだけれど、なぜ妹を伝言役にしたのだろう? いつも直接やり取りしているのだから、こちらの連絡先は知っているでしょうに。
綾乃があいだに入ったことで、断りづらくなった。
綾乃は『ふたりはどういう関係なのだろう?』と疑問に思ったはずだ。こうなるともうデートを受けるしかない――『姉がOKしたということは、前から知り合いだったのね』となって、かえって詮索されないだろうから。
このところかなり忙しかったので、ヒカルから直接誘われていたら、「今は無理」と答えていたかも。
デートの具体的なプランは、ヒカルと直接やり取りした。ずっと綾乃をあいだに挟むわけにもいかない。
彼から、
「うちのVIP専用サンルームに入れてあげる」
と言われ、桜子は初めて乗り気になった。
……すごく嬉しい。まさか、あそこにまた入れるなんて。
デート、OKしてよかったな……胸がじんわり温かくなった。
* * *
久我家と西大路家は敵対関係にあるので、桜子は堂々と久我のホテルに立ち入ることができない。
そこで桜子は『永松氏の姪』ということにした。永松氏は財界の実力者として知られる大層な大金持ちで、六十過ぎの紳士である。
西大路家の車でホテルの手前まで来た桜子は、車を降りて、別の車に乗り換えた。
その車にはすでに永松氏とヒカルが乗っており、どういう訳か、部外者の永松氏が今回の件に一番乗り気なのだった。
彼からつば広の白い帽子を渡され、それをかぶるように指示される。
ちなみにこの帽子、役作りに必要だろうと、永松氏が先ほど購入したらしい。……楽しんでくれているようで、よかった。
ホテルに着いた桜子は『我儘な姪っ子』という役柄を演じた。久我家が誇るVIP専用のサンルームを見学したいと、伯父であるに永松氏におねだりして、連れて来てもらったという設定だ。
案内をすると申し出たホテルマネージャーを、ヒカルが制止する。
「彼女とはお友達だから、案内役は僕が引き受けるよ」
マネージャーは、永松氏の姪っ子とヒカルが、お友達同士だとは思ってもみなかったのだろう。かなり驚いた顔をしている。
……ていうか、ヒカル、こんな嘘をついて大丈夫なのかしら?
ヒカルのお祖父さんの直属の部下よね、この人。
あとで報告が上がり、これが元で政略結婚とかさせられないのかしら……。
永松氏の血縁関係を存じ上げないが、彼の本物の姪っ子とやらがどこかに存在するのかもしれず、案外こういう些細な出来事がきっかけで、当人同士が知らぬ間にトントン拍子に縁談が調ってしまうなんてことも、なくもないような気がするが。
桜子が心配していると、ヒカルがにっこり微笑んでマネージャーに圧をかける。
「分かっていると思うけれど、この件は他言無用で。それが永松さんの意向だからね」
「かしこまりました」
そう答えるマネージャーに、ヒカルがさらにだめ押しする。
「――祖父にも、だよ」
「ヒカル様?」
「今回は僕が案内役を頼まれた――これで察してね。彼女、とにかく煩わしいのが『嫌い』だから」
なるほど――永松氏側の意向ということにすれば、今後うるさく詮索されることもない。
桜子は我儘な令嬢らしく、はぁ、ため息を吐いてみせた。『面倒なのは嫌い』――そういう顔をしてみせれば、聡いマネージャーは察してくれたようだ。
「承知いたしました」
マネージャーが静かに後ろに下がる。
これで、この話は決着が着いた。
永松氏がにこやかに、
「すまないね、姪は少し繊細なもので」
と言い訳し、桜子に向かって「さあ行こうか」と声をかけた。
桜子はこくりと頷いてみせ、永松氏の腕を取る。
サンルームのある四階は通常、エレベーターが止まらないようになっている。
エレベーターに乗ったあとで、パネルのロックを解除して蓋を開くと、『四階』という隠しボタンが出てくる仕組みだ。
四階にあるスイートは特別な客しか押さえることができない。それにより、この階にあるサンルームは、特別な場所という付加価値がつく。
四階に到着すると、永松氏はひとりでスイートルームのほうへ向かう。
ヒカルは「ごゆっくり」と気さくに挨拶し、永松氏のほうも「また何かあったら言いなさい」と笑顔で答えて、部屋に入って行った。
「ずいぶん仲良しなのね」
孫子ほど年齢が離れているのにと桜子が小首を傾げると、ヒカルが悪戯な笑みを浮かべる。
「ちょこちょこ彼のお願いを聞いてあげているからね。――あ、でも、女の子と密会する手伝いとか、そういういかがわしいことはしてないよ? 彼、今日はね、誰にも居場所を知られず、ひとりになりたかったんだって。桁外れのお金持ちって、色々あって大変みたいだねー」
それを聞いた桜子は肩をすくめてみせた。
「そう? 私は『お金だけは、いくらあっても困らない』という考えだけど」
「奇遇だね。そこは僕も一緒」
ふたり顔を見合わせて、にっこり笑い合う。
どうでもいい部分で「気が合うね」と友情を深めたあと、いよいよサンルームへ向かう。
思い出の場所って、年月を経てふたたびその地に立つと、案外しょぼいなと感じることもあるけれど、今回に限ってはそんなことにはならかった。
むしろ子供の時には分からなかった、設計上の粋な計らいに気づき、感動すら覚えた。
サンルームという響きから、ガラス張りの温室を思い浮かべてしまうけれど、この建物では『光と影』がテーマになっている。
むしろどちらかというと『影』の部分の印象が強めにくるかもしれない。
壁面はコンクリート打ちっ放しの重い質感。そこに大小様々な開口部が、ランダムに配置されている。
開口部から斜めに差し込む光が、空間にくっきりした陰影を生み、それが穴倉の中にいるような、不思議な感覚を植えつける。
部屋自体は丸みを帯びた三角形で、船首部分のようなイメージだろうか。
天井部分は上階のない一角が、一部ガラス張りになっており、そこから降り注ぐ光が、この空間の断絶感を強めていた。
そんな中に、直植えやプランターが贅沢に配置され、ちょっとした庭園のようになっている。
ヤブツバキ、イヌビワ、ツバキ、ボタン、そして一番種類が多いのがバラだ。
それぞれの植物をのんびり鑑賞できるよう、大小様々なソファや椅子が、気ままに配置されていた。
* * *
ふたりがけのソファにいくつもクッションを置き、そこに腰かけた桜子は、対面に座るヒカルを眺めた。
彼はひとりがけのソファに座り、組んだ足の上にスケッチブックを器用に据えて、鉛筆を動かしている。
正直、私なんかをモデルにして何が面白いのだろうと思ったが、相手がヒカルだと見られても不快ではないので、文句を言わず大人しく座っていた。
作業中のヒカルはうるさくもないが、陰気に黙り込むわけでもなかった。
「桜子さん、ここって思い出の場所なんでしょう? 理由を訊いてもいいかな」
「私、六歳の時に、一度だけここに来たことがあるって話したわよね?」
「うん」
「その時に、ここで会った男の子に優しくしてもらったの。あれが私の初恋だった」
そう答えると、ヒカルがピタリと手を止めた。
一拍置き、瞬きしてから、慎重に視線を上げる。
ヒカルはなんともいえない複雑な表情を浮かべていた。
「え、ええと、その……それって、僕の知ってる人?」
「いいえ」
桜子は首を横に振った。
「だって彼、イギリス人だもの」




