59.花園秀行-5 『夢と現実』
それからの数日間、放課後は同じ場所で彼女と過ごした。
ある時、桜子から、
「ねえ、どうして花園くんはあのゼミに入りたいの?」
と尋ねられたので、それに答える。
「講師の仁和晃太郎先生に教わりたいんです。仁和氏は有名な建築家なんですけど」
「建築家になりたいの?」
「いえ……どちらかというと都市計画のほうに興味があって。仁和氏は建築家として都市計画に携わった実績があるので、詳しい話を伺いたいなと思ったんです。あわよくば――僕は死ぬまでに、小都市を一から作り上げたいという野望があります」
この返答が意外だったようで、桜子はこちらに体重をかけるのをやめて、機敏に振り返った。
「え――そうなの? あなたのキャラからして、居心地の良い家を作りたいとか、そっち系のハートフルな夢だと思ってたわ」
「……呆れました?」
「良い意味でね。君、大物かも」
「そうですか……段々、恥ずかしくなってきました」
夢は夢だしと、これまで実現可能かどうかはあまり考えたことがなかった。
しかし彼女は笑ったりしなかった。
「恥ずかしがることなんてないよ。君にすごく興味出たし。――もうちょっと詳しく話してよ」
うーん……笑い飛ばされないというのも、それはそれでやはり恥ずかしいな……。
「話をするなら、体勢を変えませんか。背中合わせって、喋りづらいです」
「そうね、普通に座りましょうか」
そんな訳で、ベンチに並んで腰かけることにした。
背中合わせの時は、彼女が楽だからという理由で(座椅子感覚なのだろうか?)背を貸すことを強要されたが、並んで座る時は少し離れて座る。
「僕はおばあちゃん子なんですが、祖母の家はかなり田舎のほうにあるんです。それで、田舎って車がないと生活が成り立たないんですよ。店も市役所も病院も、全部遠い。僕はそういう暮らしって、すごく不便だと思うんです。田舎暮らしといっても、田舎なりに近場で――徒歩圏ですべて整ったほうがいい。それで、コンパクトシティ構想ってものに関心が出まして」
「なるほど。正直、私は田舎に住んだことがないから、そういう不便さを感じたことがなかったわ」
でしょうね。彼女は都会育ちのお嬢様だ。
けれどこう思う――彼女のように選ばれたお金持ちじゃなくても、田舎者の庶民だって、便利で合理的な生活を送れたほうがいいと思う。
桜子が小首を傾げた。
「あなたの夢は素敵だと思う……でも、どうして仁和晃太郎にこだわるの?」
「隣町に新駅ができたんです。五年位前なんですけど」
桜子はこちらの住所も把握しているらしく、少し考えて、具体的な場所に思い至ったようだ。
「ああ……うん、そうか、仁和晃太郎が主体で動いたプロジェクトよね。更地が多いエリアだったから、大きなマンションとか、ショッピングセンターとか、次々に作られた。あれに憧れて?」
……というわけでもない。
「いえ、単純な憧れっていうのではなくて。なんでここにこれが? みたいな配置上の疑問が多々あって。たぶん自分に縁のない場所だったら、そんなに感じなかったと思うんですけど、ちょくちょく行くところだから、すごく気になるんですよね。だから彼に訊いてみたいです――どこを失敗したのか、自己評価を」
「え――どこを失敗したか、訊くの? それって激怒されるんじゃないかしら」
「……そうですね、確かに」
言われてみれば、そのとおりだった。自分の迂闊さが、馬鹿馬鹿しく感じられる。
「仁和氏が自覚している失敗と、僕が利用者として感じた不便さを突き合わせて、検証して、将来――万が一、僕が大きな都市計画を担当することになったら、役立つかなと思って……」
言葉に出してみると、やはりひどく馬鹿げて聞こえる。
話を聞いた桜子が考え込んでしまった。そして真面目な顔でこちらを見た。
「あのね……仁和晃太郎って、かなり嫌なやつだよ。実際に会ったら、ものすごくがっかりすると思う」
「そうなんですか……」
別に彼のファンってわけでもないのだが、そんなに嫌なやつだったら、失礼な質問をしたら、大らかに受け流してはくれないだろうな。
ゼミに入れたとしても、逆鱗に触れて一発退場かも。
「あなたは優秀だし、将来性もあると思う……だからあえてきついことを言うけれど、出世したかったら、付く人間を間違えないことよ。勉強はできても、これまでのあなたは賢く動けていなかった。元町悠生を信じた時点で、詰んだの――分かる? 不誠実な相手に尽くしても、何も得られない。あなたはもっとずる賢さを学んだほうがいい」
「……僕がここしばらく没頭していたことは、全部無駄でしたか」
ズシンと落ち込む。
彼女に忠告された内容は、薄々自分でも気づいていたことだったから。
ただ一生懸命に雑用をこなして、きっと報われると、不安を誤魔化していた。
尽くして、尽くして、尽くして……しっかり誠意を見せたら、元町悠生がそれにほだされる? そんなこと、あるわけないのに。
でも、抜けるには、色々費やしすぎていて――これまで尽くしたぶんを取り返したいから、やめられなかった。
ギャンブル中毒に似ているかもしれない。ここまで犠牲を払ったんだから、もう少し、もう少しと――それがずっと続いて、ずっと苦しかった。
誰かに「無駄だ、もうやめろ」と言ってほしかったんだ。トドメを刺してほしかった。
なんだか泣きそうだ……女子の前だから、絶対泣かないけれど。
桜子がこちらの背中をさするようにして、眉尻を下げて慰めてくれた。
「あー……厳しいことを言ったのは、あなたが私の下僕だからよ。だから、ね? 鞍替えして、自主的に私に尽くしなさいよ――悪いようにはしないから」
「……ずっと面倒見てくれます?」
くすりと笑う。
それこそ現実味がない。この人が僕をずっと必要としてくれるなんて、ありえない。それがたとえ上司と部下というビジネス上の関係であったとしても、そんな夢物語、まるで信じられなかった。
「馬鹿ね、あなたは自分の価値を正しく知るべきよ。僕の能力が欲しいならと、高い報酬をふっかけなさい。私はそれに五割増しで応えてもいいくらい。まぁ、そうね――あなたの将来の展望や、就職先のお世話については置いておくとして、直近の話をしましょう。英語の予習をしてもらって、すごく助かったわ。だからそのお礼をする」
お礼って……元町悠生の雑用を引き受けてくれたから、それでチャラじゃないのか? そう思ったけれど、気になるから尋ねてみることにした。
「どんなお礼です?」
「紫野家が川の西側の開発をしているのは、知っているわね?」
「ええ」
「ビルの建築現場を見たくない? 父に頼めば、今ならまだ紫野家とは縁続きだから、そのコネで中を特別に見せてもらえると思う。設計者も呼ぶように手配してもらうから、好きに質問するといい。私もそのほうが助かる。あなたは建築が好きなようだから、私が思いつかないような質問をしてくれると思うし」
びっくりして目が覚めた。いや――眠くはなかったのだけれど、なんていうか、ここ数年でこの出来事は一番驚いた。
「ほ、本当に? 本当にいいんですか?」
テキストの和訳の礼にしては、破格だ。
「喜んでいるのに悪いんだけど、これは純粋にあなたへのお礼ってわけでもないの。私が個人的な理由で、あのビルに入りたいのよ。下見が必要で」
「下見……ですか」
「そう、だけど、詳しくは訊かないで。話せないことだから。とにかく、私は友達――つまりあなたにせがまれてビルに入る――そういうシナリオにしたいの」
……それでどうしたかって?
もちろん快諾したよ。
それでこの時、彼女の忠告は的を射ていると実感した――やはり付くべき相手を見誤ってはならない。
彼女が元町悠生の弱みを探っているというので、それを手伝うことにした。
といっても些細なアシストくらいしかできないけれど……表面上はこれまでどおり元町悠生の雑用を引き受け、何か情報を掴んだら、彼女に伝えるとか、そのくらい。
――僕は西大路桜子の下僕になれて、とても幸運だ。
人生で一、二度しか訪れないビッグチャンスを、この時掴んだのだと思う。
そして、先ほど……桜子が口にした「今ならまだ紫野家とは縁続きだから」という言葉が妙に印象に残った。
まるで近い将来、縁が切れるみたいな言い方だったから。
紫野家との縁とは、文脈からして、紫野夏樹と西大路綾乃の婚約について指しているものと思われるが……。
……ふたりは近々、婚約破棄の予定でもあるのだろうか? なんだかそれが引っかかってしまった。
 




