56.花園秀行-2 『初対面での適切な距離感とは』
教育棟裏の北門付近という、絶妙に不便な場所に駆けつけると、仁王立ちの西大路桜子に出迎えられた。
「――遅い」
紺色の野球帽を目深にかぶっている彼女の顔は、逆光のせいもあり、よく見えない。
「すみません」
反射的にそう口にすると、
「すみません? それ、本当に悪いと思って言っている?」
なんだか面倒な絡まれ方をした。
「……いえ、別に申し訳ないとは思っていないです」
こちらに非はないしな……。
「じゃあなんで謝るわけ?」
「意味はあまりないです。『Hello』に近いニュアンスですかね」
正直に答えると、彼女が『ん?』というように顎を持ち上げた。すると野球帽のツバで隠れていた顔が見えた――驚いた、とんでもない美少女だ。
顔立ちのバランスはやはり姉妹でよく似ている。けれど瞳がまるで違う――綾乃のほうは貴族的な雰囲気があるが、桜子のほうは繊細な感じがした。
とはいえ喋り方は結構アレな感じだけれど……。
「なるほど『Hello』か」桜子が呟きを漏らした。「すごくよく理解できたわ」
「あの、西大路先輩……?」
彼女は野球帽をかぶり直しながら、ブツブツぼやき出す。
「ああ、まいった……メンタル崩壊……苛々して八つ当たりしちゃった。寝不足だし、考えがまとまらないし、私はだめ人間だな……だめ人間……でも君が私を助けてくれるかも。どうしようか発狂しそうになっていた時、君のことが思い浮かんだわけよ。あなたってこういう時に、ちょうどいい存在じゃん? 言ってること、分かる?」
……いや、全然分からない。
「あの、念のため確認ですが、僕ら初対面ですよね?」
すごくフランクにグイグイけど、もしかして前に会ったことありましたっけ?
西大路桜子は複雑な形に眉を顰め、混乱したように視線を彷徨わせてから、やっとこちらに向き直った。
「……そうだね、初対面だよね。私、何か間違ったみたい」
「ですよね。距離感が変だなと思って」
よかった、正気に戻ってくれて。
「それで、どうして僕のことをご存知なんですか?」
「そんなことより、すぐに本題に入りたいんだけど」
楽をしようとするので、『それはだめです』と首を横に振ってみせた。
「ちゃんと話してください。そこを省かれると、話を聞く気になりません」
「案外押しが強いわね……ただの従順爽やか少年じゃなかった」
なんなんだ、従順爽やか少年って。――何を要求されても従順に従う少年がいるとしたら、そいつの性根は本当に爽やかなのか?
彼女は腰に手を当て、深いため息を吐く。
「よし、分かった、説明するわ。ちょっと長くなりそうだから座りましょうか。あなたを気遣っているわけじゃなくて、私が疲れているの」
ふたりは木製のベンチに並んで腰を下ろした。背もたれのないタイプで、詰めれば四人くらいは座れそうな長椅子だ。
すぐ近くの芝生の上には彼女のものらしき鞄が放り捨ててあり、その上に眼鏡とヘアゴムが載っていた。
……普段は眼鏡をしているのだろうか? 眼鏡も似合いそうだけど。
「あの、どうでもいいんですが、どうしてキャップをかぶっているんですか?」
なんとなく気になって尋ねると、彼女は野球帽のツバをいじりながら答える。
「裏庭に来るときは、これをかぶることにしているの。ひとりの時はなるべく眼鏡を外して、髪も解きたいんだけど、通りかかった人にそれを見られたら嫌じゃない? これをかぶっていると、顔を隠せるからさぁ」
「普段は眼鏡をかけて、髪を結んでいるんですか?」
「そうよ。ちなみにね――この帽子は売店で手に入れた。どうして売店に野球部の帽子が売っているんだろう? 部員しかかぶらないんだから、部内だけで配ればいいじゃんね? でもそのやり口がちょっと面白いなと思って、ひとつ買ってみたのよね」
「はあ、さようで」
「……分かっている、私、喋りすぎだよね。これは寝てないせい。あと花園くんが喋りやすいせい」
寝てないのか……テンションも変だし、大丈夫かな? なんだか心配になってきた。
「あの、それで、西大路先輩はどうして僕のことをご存知なので?」
「君さ、元町悠生を知っているでしょ?」
「あ、はい。ゼミの在籍権を譲ってくれる約束でして」
それと引き換えに、元町悠生にこき使われている。
桜子が瞳をすがめ、なんともいえない顔でこちらを眺めた。一拍置き、口を開く。
「私は元町悠生と敵対しているんだ。だから敵の関係者ということで、君のことも調べた」
「……僕は別に、彼と仲良しってわけじゃありません」
そこは勘違いされたくなかった。
「知っているわ。正確に知っている――私はたぶん君自身より、君の運命を知っている」
台詞自体はどこかうさんくさかった。
それなのに彼女から言われると、不思議なほどに説得力があった。




