48.俺に考えがある
桜子は気を取り直し、ベッド上に放り出してあったハンドバッグを手に取った。
謎の女が置いていったものだ。中から財布を取り出し、手早く中をあらためる。
免許証かカード類があれば、正体が分かるだろう。
幸いすぐに免許証が見つかった。
「嵯峨野京子って……もしかして嵯峨野重利の奥さん?」
奏が隣にやって来て、免許証を覗き込む。
「ふーん、あいつやるな」
と訳の分からないことを呟いて、ニヤリと笑った。
小悪魔みたいな笑みだなと思う。
「どういう意味?」
眉根を寄せながら尋ねると、奏の瞳がこちらを覗き込んだ。
情感豊かな虹彩がきらりと輝いて、上等な宝石みたいだと思った。
「女が電話で『悠生』って呼びかけていただろう。つまり『元町悠生』はボスの妻を寝取ったわけだ」
衝撃を覚える。確かに……嵯峨野京子は「悠生」と呼びかけていた気がする。
では、これは千載一遇のチャンスではないか?
「ツーショットを押えたいわ」
「しかしこれから部屋に元町悠生が来たとして……ふたりを同じフレームに収めるのは難しいんじゃないか? 部屋を出る時だって、別々だろうしな」
奏は難しい顔になる。確かにそのとおりだった。
「そうね、部屋自体は嵯峨野京子の夫、嵯峨野重利名義で予約してあるし……案外賢いやり口だわ」
「妻が夫名義の部屋に泊まったって、なんの不思議もないからな。元町悠生がキーを受け取っているが、ボスの奥さんに鍵を渡して、挨拶しただけだと説明すれば、誰も疑わない」
偽名で泊まって中学生と密会するより、これならなんとでもごまかせる。
しかも今夜はプレ・パーティーが開催されているから、このホテルに元町悠生がいるのは、誰が見ても不自然ではない。
「だけど……これが表沙汰になれば嵯峨野京子は逮捕されるわ。馬鹿なのかしら?」
このやり口なら露呈するリスクが低いというだけの話で、絶対に安全なわけじゃない。いい年をした大人が中学生をつまみ食いして、どうなるか分からないのだろうか。
不倫がどうこういっているレベルの話ではない。淫行条例違反、金銭が絡んでいれば児童買春――欲望に負けてそんなことするなんて獣みたいだ。
「馬鹿なんだろうな」
奏はそう斬って捨てるが……どうも桜子ほどは衝撃を受けていなそうな感じだ。
なんとなくこの男も、大人な女性とそういう関係を持った過去がありそうだものね。
ああ嫌だ。こういう爛れた男女、全員死ねばいいのに。
内心毒づいていると、奏が嫌そうな顔でこちらを見てくる。
「……また何かろくでもないことを考えているだろ」
「別に。……ああ、あんまり近寄らないでくれる? 奔放な貞操観念がこっちに移ると嫌だから」
「お前な、その態度を改めないなら、今度本気で泣かすからな」
何その宣言。馬鹿じゃないの?
「ありえない。ていうか二度と関わりたくないから、学園で話しかけないでね」
「おい、さっきランチの約束をしただろ?」
「じゃあ食事だけして解散しましょう。会話はなし。ずっとなし。一生なし」
「つまりお前は、会話以外のことを俺としたいわけだな」
奏は瞳をすがめ、いたぶるような視線をこちらに注いでくる。なぜか背筋がぞくりとしたけれど、桜子は負けるもんですかと、ツンと顎をそらしてそれを無視してやった。
そのまま数秒が経過し、少し冷静さを取り戻した桜子は、チラリと奏のほうに視線を戻す。
「ねえ……私たちこんなことしてる場合じゃないでしょ。嵯峨野京子が浴室から出て来ちゃうわ」
「で、どうする気だ?」
あっさり空気を変えて淡々と問う奏が、ずいぶん余裕みたいで面白くないが……まあいい。
桜子は考えを巡らせながら答えた。
「廊下で張って、写真を撮るのは無理だと思うの。あなたが言ったとおり、ことが終わったら、ふたりは時間をずらして部屋を出るはずだもの。だとしたら……一か八か、この部屋に留まって、密会写真を撮るのはどうかと思って」
クローゼットに潜むとか、ソファの裏に隠れるとか……場所はこれから考える。
かなりハイリスクだが、この機会は絶対に逃せない。深草楓の父の会社は今にも乗っ取られそうだし、悠長に構えている時間などなかった。
しかし奏はその意見に反対する。
「絶対に相手に見つかる」
「だけど――」
「結局、何も掴めずに、お前の正体だけばれるのが関の山だ。元町悠生は危険だぞ」
「分かってる! でもほかに方法がないじゃない」
「俺に考えがある。――この直線上に、別のホテルがあるだろう」
言われて窓の外を眺めると、あいだになんの障害物もなく、別の高層建物が建っているのが見えた。
曲線と直線を上手く組み合わせた美しい建築物である。あのホテルは久我系列でもなく紫野系列でもなく、確か外資系だったと思う。
奏が続けた。
「ここと同じ階にスイートがあるから、そこからこの部屋を望遠で狙えないか」
「部屋は空いているの?」
「空いていなくても、空けさせる」
どうやって? と思ったけれど、この男はやるとなったら、なんでもやるだろう。
奏がいざという時ためらわない性格なのは分かっている。
そして彼がこうして具体的な案を口に出したのだから、急な場面でもスイートを押さえられる、特別なコネを有しているのだろう。
桜子は小さく頷いていた。
「じゃあ、部屋の手配はお願い」




