37.お披露目パーティー
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正直に言わせてもらうと、この展開ってあたしの望んでいたものとは違うんだよね。
乙女ゲーム本来のシナリオだと、ヒロインはもっとアクティブに恋を楽しんでいたし、悪役令嬢のあなたはもっと嫌な女だった。
……だからといって、だよ。
破滅を避けるためとはいえ、あたしはあなたに控えめな人間にはなってほしくなかった。
悪役が改心せず、欲望のままガツガツ突き進んで、完璧な勝利を手にする――あたしはそれが見たかったんだよね。
だって現実世界って結局そうじゃない? 心が美しくたって、勝ち組になれないじゃない?
欲しいものを欲しいと強く言える人間だけが、勝利を引き寄せられるわけ。
そりゃそうでしょ――ゴールが定まっていないのにさ、ゴールに着けるわけないじゃん?
どうでもいいと思って生きていたら、どうでもいい人生しか送れないんだよ。
それが世の常だっていうのにさ、信念を持っている強いあなたは、不思議とこの乙女ゲーム世界では負け犬ポジションなんだよね。
だからあたしはそれを引っくり返してやりたいと思ってたんだ。
美人で我儘な女の子――格好良いじゃん。それなのに、なんで悪役令嬢とか言われてるの? ありえない! もっと人生楽勝でいいはず。
それでだ……あなたの働きって、ちょっと期待外れだったから、こりゃ合格点はあげられないなーなんて思っていたんだけど……ふと冷静になって、よくよく考えてみたわけ。
そしたらさ、ヒロインが期待外れの動きしかしなかっただけで、あなたはそこまで悪くもないのかな? と思えてきたんだよね。
住吉忍が攻略対象者四名にもっとすり寄っていかないと、悪役令嬢は邪魔しようがないもんね?
ヒロインさ――花園秀行に至っては、まるで仲良くなってないしね。もっとやる気出せよと、声を大にして言いたい。
あ、でも、仮面舞踏会の時、あなたとヒロインのバチバチ――あれは結構よかったよ。
だけどその後がてんでだめ。あなた尻尾巻いて逃げ出したでしょ。あれはないわー。あれに関してはマジでがっかりしたわ。
あんまりみっともないことしないでよね。あたしとしては、あなたにはいつだって凛とした強い女でいてほしいんだからさ。
とまあ、厳しめに総括したのはね、終りが近づいているなと感じているからなのよ。
住吉忍がどうにも奥手なもんで、このまま誰とも結ばれないエンドもあるのかも? なんて最近考えたりするんだ。
そうなるともう、あなたはあなたの好きなように、思うままに進めばいい。
これから起こる出来事について、もちろんあたしには予備知識があるよ?
……でも言わないでおくね。
最後くらい、悪役令嬢の意地を見せてほしいし。
頑張って。心から応援してるよ。
どうかお願いだから、文句なしのハッピーエンドをあたしに見せてね。
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運命の金曜日がやって来た。
夏樹の父が主催する、新社屋のお披露目パーティーが開催される今夜、会場に到着した綾乃はひとりで車を降りた。
夏樹は会場のどこかにいて、後継者として挨拶回りをしているはずだ。
彼とは仮面舞踏会以来話をしていない。
正直なところ、もういっぱいいっぱいだった。
住吉忍のことを夏樹がどう思っているのか、それから今夜、夏樹の母の裏切りを止められるのか……怖いことがいっぱいある。
すべてが終わったら……綾乃は呪文のようにその言葉を繰り返す。
すべてが終わったら、彼に予言の書にまつわる秘密をすべて打ち明けよう。
もしも今夜、紫野家の問題を上手く解決することができたなら、勢いがついて、夏樹と元の関係に戻れるような気がしていた。
彼が家族の絆を取り戻すことができたら、そこから私たちも新しい関係を築いていける――ずっと寂しい思いをしていた夏樹の心が満たされたなら、私のことをちゃんと見てくれる。
それらの希望的観測は、不安にさいなまれる心をいくらか慰めてくれた。
いずれにせよ、もうあとには退けない。気合を入れ直し、会場をぐるりと見回す。
そういえば――今夜は珍しく姉も出席すると言っていたっけ。
当家は紫野家の傘下に当たるので、ビジネス上の重要な集まりである今夜は、さすがの桜子でも無視できなかったようだ。
一緒に会場に来たかったけれど、それは拒否されてしまった。
「あなたと一緒じゃ、目立って仕方ないわ」
そう言われて、少し寂しかったけれど……。
家を出た時、姉はまだ出発していなかった。ドレスをまだ見ていないので、それはあとの楽しみにとっておこう。今夜は大変なことばかりだもの、そのくらいの息抜きがあってもいいわよね。
関係者がどこにいるか確認するため視線を巡らせると、バーカウンターに寄りかかっている夏樹の母――紫野惠理香の姿を見つけた。
両肩が露出された、ストラップのない、ストレートビスチェタイプのドレス。体にピッタリ張りつくようなデザインだ。黒と白とオレンジのストライプ柄は、彼女の年齢を考えると、ポップすぎて浮いているように思えた。髪も下ろしっぱなしで無造作にかき混ぜてあるのだが、あれが計算した上でのことなのか、起き抜けにシャワーを浴びてそのままここに来ただけなのか、綾乃には判別がつかなかった。
「――エビのカクテルは食べた?」
突然後ろから声をかけられ、進み出て来た藤森七美が隣に並ぶ。
七美の今日のドレスは、柔らかなラウンドラインの襟元に、すっきりしたノースリーブ、丈長のスレンダーなシルエット――彼女にしては保守的なデザインのものを選んでいる。しかし黒地のシックなドレスに、右の腰から背中にかけて、大輪の赤い花が描かれた印象的なデザインは、パンチが効いていて素敵だと思った。
気が強く、派手で、それでいてキュートな七美に良く似合っている。
「まだ食べていないわ」
綾乃が答えると、
「それなら、すぐに食べるべきよ。あれを食べる以外の楽しみがあるなら、ぜひ教えて」
そう早口で告げながらも、視線は会場を舐めるように動いている。毎度のことながら、パーティー会場での狩人感がすごい。
彼女が仕留めにかかったら、どんな獲物でも逃げられないだろうと綾乃は思った。
「……ああ、ちょっと、嘘でしょう」
七美の視線が会場の一角でピタリと止まり、彼女の美しい弓形の眉がキュッと顰められる。
苦虫を噛み潰したような顔で、彼女が言葉を続けた。
「もう、誰か、私の頬を思い切りぶってよ。それ以外に、この悪夢から抜け出せる方法を思いつかないの」
「どうしたの?」
「見てよ、あれ――山ノ内小百合のドレス! 針子は目を瞑って、あのドレスを縫ったのかしら? 狂気の沙汰ね!」
シェイクスピアの『リア王』でも演じているのか――と錯覚してしまうくらいの、悶えるような狂気を漂わせる七美。
……まだ山ノ内小百合を敵対視しているのね。
そういえば、いじめっ子の山ノ内小百合と、バチバチにやり合っているんだっけ? 以前の仮面舞踏会では、彼女の鼻のお直しを、七美がからかいに行った記憶がある。
もういい加減、山ノ内小百合のことなんて放っておけばいいのに。
そこへタイミング良く(?)現れたのが、久我ヒカルだ。
「あら、紫野家とは商売敵なのに、ヒカルも来たんですか?」
よく招待状が手に入ったわねと呆れる綾乃に、ヒカルがにっこり笑って答える。
「敵だからこそ、相手の動向には目を光らせておかないとね」
ヒカルはグレーのスーツにサーモンピンクの蝶ネクタイ、同系色のシャツを合わせていた。彼の中性的な雰囲気に、その淡い色合いはとても良く似合っている。
普段敵対し合っている七美とヒカルであるが、ここぞという場面では、なぜか一致団結するのが常である。
「ねえ、ヒカル――山ノ内小百合のドレスを見た?」
と七美。……あなた、普段は絶対ヒカルに話しかけないくせに。
「もちろん」ヒカルが大真面目に頷いてみせる。「あれじゃ素っ裸のほうがまだマシだと思った」
「『まだマシ』じゃない、素っ裸のほうが『うんとマシ』よ――それでね、私、あれを放ってはおけないと考えていたところなの。あんなの公序良俗に反するでしょう?」
「じゃあ、一緒にからかいに行こうよ。僕、そういえばまだ、あの子の鼻の件も問い詰めてないんだ。普段あの子が他人に意地悪しているぶんを、今夜ぞんぶんに返してやろう」
最低なふたり組は、この件に関しては完全に意気投合し、可哀想な山ノ内小百合を血祭りにあげるべく立ち去って行った。
ほどほどにね……と心の中で呟くが、声に出していたとしても、たぶん無駄だろうから、綾乃は無言でふたりを見送る。
……と、その拍子にヒロインを見つけた。
住吉忍は茶系のクリップボードを小脇に抱え、黒のベスト、タイトスカート姿でウェイトレスの仕事をしている。方角からしてバーカウンターから出て来たところらしい。
綾乃と目が合うと、彼女はチャーミングに軽くウィンクをしてみせ、その後視線を三時の方角に動かして、こちらに合図を送ってきた。
促されるままそちらを見ると、我々の敵――実業家の嵯峨野重利が会場に入って来るところだった。
――役者がこれで揃った。




