30.ヒカルとお姉様のデート
思い返してみると、だ――プレ・パーティーの際にほんの一瞬であるが、ヒカルは着飾った桜子を見ている。
プレ・パーティーに来るはずがなかった夏樹が会場に到着したので、彼と鉢合わせしたくない綾乃とヒカルは、バックヤードに逃げた。
結局夏樹が追って来てしまい、怒られそうになったところで、タイミング良く姉の桜子が登場。
ヒカルはどさくさに紛れて姿を消したけれど、バックヤードを去ったのは、桜子を見たあとだ。
……となると。
桜子の麗しい顔を見て、ヒカルが何も感じなかったはずがない。
絶対的に好きな種類の顔のはず――それは間違いないだろう。
だからデートに誘うのも頷ける。
そんなわけで、ヒカルがアプローチするのは特に不思議でもないのだけれど、意外だったのは、桜子がデートをあっさりOKしたことだった。
姉曰く、
「なんとなく久我ヒカルなら、一緒にいても嫌な気持ちにはならない気がする」
だそうで。
* * *
そして迎えた日曜日、綾乃は桜子の衣装選びを手伝うことにした。
先日の仮面舞踏会の時に手伝ってもらったので、お返しのつもりだった。けれどかえってこちらが楽しんでしまったかもしれない。
前見頃を首の後ろに回したリボンで結び留める、ホルターネックのワンピースをチョイス。両肩が剥き出しになるのでかなり大胆だが、桜子の雰囲気が上品なので、とても可憐に映った。
膝丈のスカートはフワリとしたフレアになっており、ウエスト部分をベルトでしっかり留めるデザインは、若々しく華やかだ。
生地は鮮やかな水色で、赤いベルトが差し色として映えている。
肌寒さを考慮して、ワンピースと同生地のストール――赤い大判花柄の刺繍がはいったもの――を肩から羽織ってもらった。本当はこれがないほうがスマートなのだけれど、お洒落は風邪をひいてまで無理するものじゃない。
ちなみに髪は下ろしっぱなしでいくとのことだ。
わぁ……なんて綺麗なのかしら……!
綾乃は着飾った姉を見て、感動を覚えた。あとで鑑賞するために姿を写真に残してから、気になっていたことを尋ねる。
「デートですが、何をして過ごしますの?」
桜子は真顔で小首を傾げ、あまり気のない様子で答えた。
「……サンルームでスケッチをするのですって」
「スケッチ? お姉様、絵をお描きになるのですか?」
「いえ、私は描かないわ。久我ヒカルが描くの」
ん? あの、ちょっと待ってください……?
「もしかしてお姉様、モデルをなさるのですか?」
「モデルっていうか……ただ椅子に座っていればいいと言われたわ。だからそんなに大変じゃないと思う」
「えーっ!」
はしたなくも大声を出してしまう。
それは……世間一般の認識でいうと、『デート』にカテゴライズされるものなの?
美大生がとびきりの美人モデルをスカウトした――という状況に近くないですか?
「で、でもお姉様――他人からじっくり姿を見られるのは、苦手なのでは?」
幼い頃誘拐されたので、桜子は他人の視線に敏感だ。
「うーん、でも、久我ヒカルなら平気な気がするの」
そ、そうなのですか? そもそもそれは、どうしてですか?
混乱する綾乃。
質問にちゃんと答えようと思ったのか、桜子は少し考えてから、とつとつと語り始めた。
「あのね、今日はヒカルがVIP専用のサンルームに入れてくれるのですって。私は幼い頃、久我のホテルにお邪魔したことがあって、サンルームに一度だけ入ったことがあるの。思い出の場所なのよ。あそこは普通の客は入れない場所で――特に今では当家と久我家は犬猿の仲だから、もう二度と足を踏み入れることはないと思っていたの。でもヒカルがこっそり私を潜入させてくれる――あの子は上手くやるはずだわ。とても優秀だもの」
その言い方だと、桜子は以前からヒカルと面識があったようだ。
でも、そうか……そうよね。まったく知らない相手からデートに誘われて、慎重な姉が出かけるわけもない。
「そのサンルームには何があるのですか?」
「植物が見事なの。……これは思い出補正というやつかもね。私はただ、懐かしい思い出に浸りたいだけなのかもしれない」
その感覚は、綾乃にもなんとなく理解できた。
心の中に大切にしまってあるキラキラした思い出を、もう一度――……宝箱の蓋をそっと開けて、眺めるだけでいい。
それで現状の何かが劇的に変わるわけではない。けれどたまには、そんな時間があってもいい。ほんの束の間、夢を見るだけの時間が。
「――楽しんでいらしてください」
綾乃は柔らかに微笑み、桜子を送り出した。
* * *
デートがどうだったのか、帰宅した桜子に、綾乃は尋ねなかった。
なんとなく、踏み込まないほうがいいような気がしたからだ。
 




