27.仮面をつける
ついにこの日がやって来た――仮面舞踏会、当日。
嬉しいことに、今日は姉の桜子が衣装選びを手伝ってくれるそうで……。
ああでもない、こうでもないとドレスを次々手に取る桜子を眺め、綾乃は恒例の質問を口にした。
「お姉様も一緒に出席しませんか?」
白いワンピース姿の桜子が、首を横に振って答える。
「絶対に行かないわ」
顔も声もスイートなのに、答えが安定の塩対応……。
桜子の癖のない髪が、光を反射してキラキラ輝いていた。ここは室内なのに、美少女って自家発電で発光できるのかしら。
姉の美しさを眺めていると、綾乃はなんともいえない悲しみを覚える。
美しい宝石であっても、ずっと宝石箱にしまわれていては、その輝きを誰も見ることができない。こんなのって理不尽だわ。
これが本人の自由意志ならば、別に構わない。けれど幼少期の誘拐事件が尾を引いているとするなら、それは――……
「お姉様は、少しは楽しんだほうがよろしいかと思います」
綾乃が思い切ってそう訴えると、桜子は控えめに微笑んでみせた。
「私はいつだって楽しんでいるわ。ただ、あなたとはその方向性が違うだけ」
「そうですか……」
そう言われてしまうと、これ以上は踏み込めない。
「それで――今日はどんなふうに楽しむの?」
桜子が悪戯に微笑みを浮かべ、気分を変えるように綾乃の瞳を覗き込む。
綾乃はにっこり笑ってみせた。
「夏樹とは現地で落ち合う予定なのです」
「へぇ、現地で? どうして?」
「せっかくの仮面舞踏会ですから、どちらが先に相手を見つけられるか、ゲームをしようかと」
「勝てそう?」
「圧勝だと思います」
夏樹は目立つから、数秒で見つけてしまうかもしれない。
「……まぁ、そうかもしれないわね」
桜子は考えを巡らせてから、一着のドレスを手に取った。
「――これ、どうかしら」
桜子が選んだのは黒のドレスだった。ワンショルダーで、右肩が大胆に露出されるデザイン。スカート部分はフレアで、適度にボリュームがあってキュートだし、前側がミニなのに、後ろが膝下まで届く長さになっていて、遊び心がある。
今夜の趣向にぴったりだわ、と綾乃は思った。
「これにします」
「髪はどうするの?」
「それなんですけど……髪はアップにして印象を変えてもいいのですが、どうせなら今夜は別人のようになりたいと思っていますの」
綾乃の要望を聞き、桜子がキラキラした顔で頷く。
「じゃあ、ウィッグを使う?」
「いいですね」
「だとすると……普段しないような髪型がいいかな?」
「となると――ショートか、ボブか」綾乃は少し迷ってから決めた。「では、ミディアムボブにしようかしら」
「任せて」
桜子は足取りも軽く部屋を飛び出して行った。実は彼女、ウィッグをたくさん所有しているのだ。
桜子はウィッグを持って光速で戻って来ると、
「髪はドレスのあとね」
と言いながら、そわそわした様子で視線を素早く動かす。おそらく頭の中で支度の段取りを決めているのだろう。桜子は凝り性なので、綾乃の支度を手伝う時は、芸術家の目になる。
――綾乃が実際にドレスを着てみると、小悪魔的で溌剌として見えて、今夜の催しに良くマッチしていると思った。
そして桜子が見繕ってくれたミディアムボブのウィッグは、緩く癖がついていて、着用してみると意外なほど綾乃に良く似合った。
少し退廃的で、いかにも気まぐれで……いつもと違うのに、それでいて紛れもなく綾乃自身を現している。
桜子の手で綾乃の目元に濃いアイラインが引かれた。仮面で顔の大部分は隠れてしまうが、これは大事な儀式だ。
メイクをすることで、女の子はまったく別の自分になる。
いいえ――別の自分ではなく、もしかすると、隠れていた本当の自分が顔を出すのかも。
鏡の中の綾乃は、強く、激しく、挑発的で――それでいてひどく孤独で、何かを渇望しているように見えた。
桜子は真剣な眼差しでメイクの仕上げをして、やがて出来栄えに満足した様子で、綾乃の背後に回った。
――視界が一瞬遮られ、仮面が綾乃の目元を覆う。
白地に金と銀の繊細な文様飾りがついた仮面は、華美で気品があって耽美だった。
桜子は慎重な手つきで仮面を取りつけると、ウィッグに指を入れ、完璧な状態に整えてくれた。
――鏡に映る、あの子は誰? 綾乃は心の中で問いかける。
両肩に温かな感触――桜子の両手が綾乃の肩の上に置かれた。
鏡越しに微笑む桜子と目が合った瞬間――彼女の落ち着いた声が、ある一節を唱えた。
「素顔で語る時、人はもっとも本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語りだす」
――オスカー・ワイルドですね。
互いに視線を絡ませ、綾乃はしっかりと頷いてみせた。
「――お姉様、行ってまいります」




