16.攻略対象4・花園秀行
綾乃と花園秀行は現状面識がない。
予言の書によると、花園秀行は四人目の攻略対象者である。綾乃と同じ中等部二年。
以前は存在も認識していなかったのだが、彼が攻略対象者であると知り、しっかり顔は覚えた。予言の書に記述がある人物だから、どんな人かはデータ上よく知っている――ただそれだけのこと。
けれど、どういうわけかしら。
渡り廊下で花園秀行とすれ違ったのだけれど、彼――こちらを見て目を輝かせている。
え、なんですか?
「――ちょうどよかった!」
これは何か、未知のイベントが始まるのでしょうか……?
* * *
――予言の書に記されている、花園秀行のデータをおさらいしておく。
彼は平凡な中流家庭で育った庶民であるが、父が祖父の遺産を相続したことで、お金持ち学園への転入が叶った。
これは花園秀行本人の希望ではなく、彼の姉が元々この学園に憧れていて、その意向が強く反映されたらしい。
とはいえ彼自身もこの決定には前向きで、自分の力を試すチャンスだと考えていた。
しかし入学金と卒業までの学費で遺産は使い果たしてしまったので、上流階級に本当の意味で仲間入りしたわけではない。
彼のルートでは、この設定を生かした、お金持ちと庶民との格差エピソードが見所になっている。
花園秀行をひとことで表すならば、憎めない男、だろうか。
人懐こくて、陽気で楽しい。攻略対象者だけあって、見た目も爽やか――背がすらりと高くスタイルが良いので、人目を引く。頭の回転も速く、何気に高スペックだ。
彼は素晴らしい能力を持っていのに、『庶民である』という理由のみで、この学園では挫折を味わうことになる。
出自が原因で起きるほろ苦いエピソードの数々は、理不尽で不条理で、まさに人生の縮図ともいえるだろう。
花園秀行ルートで一番の目玉となるのは、彼が夢のために奔走するエピソードだ。
成藍学園には必須授業以外の課外活動として演習が存在する。
このゼミは参加者の決定方法がかなり特殊で、今の在籍者が翌年の在籍者を決めるという、完全指名制を取っていた。
自分の一席分の権利を、好きな相手、一名に譲る制度。
ゼミに参加できる期間は、中等部三年の四月から卒業までの一年間で、これに参加しているあいだに、在籍者は、二年生の中から一名を選定する。
これは権利でもあり、義務でもある。
中等部の二年生は、ここで名門のゼミに滑り込めれば、高等部に進んだ際にも、同系列のゼミに入る権利を得られるので、中等部二年というのは、将来を決める重要な一年間なのだ。
三年生の総数に比べ、ゼミの座席数はとても少ないので、多くの生徒はどこにも所属できずにあぶれてしまう。
ちなみに綾乃や夏樹のように、名門と呼ばれる家柄の出であれば、基本的にどのゼミにも入ることができる。
名家の子息子女に頼まれて、在籍権の譲渡を渋る者はいない。
むしろ力のある人間を後任に推せたということで、推薦者の地位も跳ね上がるから、喜んで協力するだろう。
ところがこの制度――花園秀行のように、優秀であるのに家柄が伴わない者に対しては、意地悪な試練でしかない。
誰も好き好んで、庶民に在籍権を譲ろうとは考えないからだ。
花園秀行の希望するゼミは、仁和晃太郎という有名な建築家が講師を務めている。仁和は花園秀行が憧れてやまない人物であり、彼はどうしてもこのゼミに入りたいと考えている。
定員は五名で、ただでさえ狭き門なのだが、在籍者の四名はすでに後任を指名し終えている。
今四月なので、初月で決めてしまったわけで、それってフライング気味じゃないの? という気もするが……。
とにかく、五名中四名が指名権を行使済なので、差し引きすると、残るはひと枠。
そのひと枠を握っているのが、なんと中等部三年の元町悠生――そう、あの元町悠生なのだ。
綾乃は先日彼と揉めている。真面目そうな女子生徒に無理矢理キスしていたので、力ずくでそれをやめさせたのだが、彼は大層ご立腹だったっけ。
それから元町悠生は深草楓ルートにも登場する。深草楓の父の会社を狙う実業家、嵯峨野重利と組んでいるからだ。
元町悠生は問題のある人物だが、ゼミの貴重なひと枠を握っているのは確か。そこで、そのひと枠をどうしても譲ってほしい花園秀行は、元町悠生にコンタクトを取り、必死でお願いするのだが……。
元町悠生は様々な雑用を花園秀行に言いつけ、こき使う。
押しつけられる雑務は多岐に亘り――荷物運びから、衣装の引き取り、レストランの予約、元町悠生の起したトラブルの後処理、等々。
しかしこの元町悠生、やはりどうしようもない悪党だった。
実はこの男、すでに自分の在籍権は売りに出していたのだ。一番の高値がつくのを待つあいだに、花園秀行をからかって楽しんでいたというわけで……。
尽くして、尽くして、ボロボロになりながらも尽くして、望んでいたものが手に入らないと分かった時の、花園秀行の絶望。
結局、財産と家柄なのか……彼は人生で初めての大きな挫折を味わうことになる。
ここに救いの神が降臨――ヒロインの住吉忍である。
住吉忍は今ではお嬢様の立場であるが、元は庶民。庶民仲間という親近感を抱いたことがきっかけで、住吉忍は彼を助けることになる。
彼女は元町悠生の弱みを、攻略対象三人目の深草楓と関わる過程で入手している。
このとっておきのカードを花園秀行のために使ってあげると、完全に彼のルートに乗った証になる。
花園秀行はこのおかげで念願のゼミに入ることができるのだが……。
しかし参加したゼミでも、庶民の彼には様々な難題が降りかかり……という波乱万丈なドラマが待っている。
――なんていう花園秀行の個人データを思い出しながら歩いていたら、渡り廊下で、ばったり本人と遭遇したのだ。
こちらが一方的に彼の人生を把握しているというのは、なんだか変な感じだ。
家族でもない。
友達でもない。
恋人でもない。
それなのに彼の深い部分まで知っている。過去・現在のデータだけではなく、未来のことまで。
色々知っていることで、親近感を覚える。綾乃にとって彼は、ドラマの主人公みたいなものだ。
ほかの攻略対象者たちの場合、彼らの動向によって自分が地獄に突き落とされる危険性があるので、素直に応援する気持ちにはなれない。
けれど花園秀行だけは別である。ヒロインが花園秀行のルートに乗っても、悪役令嬢・西大路綾乃には大きな危険がないからだ。悪役令嬢が唯一生き残ることができるのが、この花園秀行ルートなのである。
ヒロインが彼のルートに乗るかどうか――その分岐点はまだ先の話。
現時点で、綾乃が彼のために何かすることはない。
芸能人に遭遇したようなソワソワした感覚を味わいつつ、そっと傍らを通り過ぎ……ようとしたところで、なぜか。
彼がこちらを見て、瞳を輝かせたのだ。
あら……なんだか予想外の展開になってきましたよ。




