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対偶に位置するもの

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

地味にタイトル回収回です。

 前回は完全無欠なトロフィーハズバンドとしてのスパダリについて見ました。

 今回はタイトル回収に入りたいと思います。

 さて、そこで問題です。


 『スパダリの対偶』とはなんでしょうか?


 辞書的な意味で言うなら、『対偶』とは二つそろった対や夫婦を示すそうです。

 そこにちょっと論理学的な意味合いである、「ある命題に対して、その命題の仮定と結論をそれぞれその否定に置き換えた上で両者を入れ替えた命題のこと」という定義も混ぜてみましょう。


 なお、命題「AならばB」に対し、

 逆:「BならばA」

 裏:「AでないならばBでない」

 対偶:「BでないならばAでない」

 なのだそうなので、ここに当てはめてみると……。


 命題「スパダリならば有能な男性である」に対し、

 逆:「有能な男性ならばスパダリである」

 裏:「スパダリでないならば有能な男性ではない」

 対偶:「有能な男性でないのなら、スパダリではない」


 となります。

 

 一応命題は真であるとすると、対偶も真。

 では逆はというと。

 作品によっては、スパダリではないが、その乳兄弟や幼なじみなど、有能な男性が出てきて、サブヒロイン的な相手とくっついたりすることもあるので、真とはいえないでしょう。

 裏はというと、もともとスパダリというのは、その高い地位に慢心せずその能力も高い男性、ということが言えますが、逆のようにスパダリでなくても有能な男性というのはありうるので、これまた真ではないといえます。


 では、さらに対偶:「有能な男性でないのなら、スパダリではない」をひねってみましょう。

 これまで見てきた異世界恋愛もので多く扱われるキャラクターのテンプレと重ね合わせてみると……。

 

 「有能な男性ではない」という定義は、さらに細かくわけることができます。

 「男性であるが有能ではない」パターン。

 「男性ではないが有能である」パターン。

 「男性ではないが有能でもない」パターン。


 「男性であるが有能ではない」は、わかりやすいですね。

 バカ王太子と、そのバリアント(異種)と思われるヒドインの取り巻きに成り下がった側近予定者。

 「男性でないが有能である」も、わかりやすいですね。

 実務能力抜群の悪役令嬢という類型で。


 では、「男性ではないが有能でもない」=「無能な女性」とは、なんでしょうか?

 悪役令嬢が有能な女性なら、ヒロインが該当するのでしょうか?


 筆者は、単なるヒロインではないと考えます。

 なぜなら、ヒロインは無能ではないからです。


 ヒロインは確かに、悪役令嬢のような実務能力は低く、バカ王太子を含め、中心人物たちから見れば、あらゆる意味で格下にすぎません。

 だが、それは無能とイコールではない。

 ヒロインが悪役令嬢よりも能力的に高いという評価があるのは、対人面、そしてメンタルケアというか、バカ王太子を含めた攻略対象者のトラウマ解消をする力、あるいは愚痴や不満を聞き取る感情労働能力です。

 よくバカ王太子の決め台詞にも出てきますね。「わたしを癒やしてくれるのは彼女だけだ」とか。


 もう一つ、ヒロインが無能な女性ではないと筆者が考える理由は、物語の書き手としてキャラクターを動かした経験にあります。

 ヒロイン以外のキャラクター類型以外にも言えることなんですが、本当に何もできない、していない人間というのは、話のメインキャラクターに据えることはできません。

 なぜなら、メインキャラクターというのは、話を動かすだけの力を必要とするからです。


 メインキャラクターの周辺に「足手まとい」という役割を与えたキャラクターを置くことはあります。

 ですが「足手まとい」は、「自分から窮地に陥って、主人公たちに助けてもらう」という、「マイナスな働き」をきちんとしている以上、無力ではあっても「何もできない」わけではありません。

 「足手まとい」の変形として「ラッキースケベ要員」というのもありますね。

 あれは「男性主人公に接近し」「男性主人公を巻き込む形で転倒」「男性主人公が胸を揉む、下着を見る、服が破れる」など、「ラッキースケベ要員にとっては恥ずかしい状況に陥る」ことで、「男性主人公との関係変化(ちょっと意識)」「男性主人公の心境の変化(ええもん見た)」、などを発生させているわけです。

 「何もしていない」わけではないのです。


 メインキャラクターは、その動きによって状況に変化をもたらすだけの力が必要です。

 たとえ生まれたばかりの新生児でも、実は転生者でその前世の知識を生かして精霊とコンタクトして助けてもらえている、魔法が使えるんだから物理的な人手は最初からいらない、ぐらいの力がないと、そしてその力によって何もできない状況を変えていこうという意志がないと、どれだけ他のキャラクターがなんとか手助けしてあげようとしても、詰むんですね。

 物語の構成的にも、物語の中の人間関係的にも。


 このように、一般的にヒロインは「無能な女性」とは言いがたい。

 ですが、「無能な女性である」と評価されているキャラクター類型はあります。

 いわゆる「ドアマットヒロイン」、これこそがスパダリの対偶であると筆者は考えています。


 ドアマットヒロインについてはいろいろな定義がありますが、共通しているのは、さまざまな人に一方的に虐げられ、踏みつけにされるヒロインというところだと思います。

 一言で言うなら『被虐待児童』。

 家族に努力は認められず、外見は罵倒されるか嘲笑の的。性的対象としてはマイナスの評価しかない。そのせいか、あまり性暴力にさらされている描写はありません。時には虐待のせいで身体的成長が止まっていたりするせいもあってか、女性というよりも子どもの扱い。

 昔話でいうと、継子いじめの被害者のタイプですね。シンデレラとか。


 このドアマットヒロインの話というのも、異世界恋愛ジャンルでは多いようです。

 場合によっては悪役令嬢と複合して、「家庭内では虐待されてる側なのに学園内では義妹を虐めていることにされている」などの設定がついていたりもします。

 その場合、食べ物を与えられていないがゆえの痩身、虐待による痣。手入れの届かない髪や肌に世間体を保てないほどの古着といった受けているダメージが外面に現れている描写がされたりしますが、なぜかそれらは虐待を受けている証拠として扱われていなかったりします。


 では、単純な悪役令嬢では足らず、複合型まで出てくる理由は、読者が感情移入するほど同一視し、ざまあにカタルシスを感じる主人公に、ただ周囲から責められ貶められるドアマットヒロインをあてはめた物語が消費と再生産を繰り返される理由は、なんなのでしょうか。


 筆者は、その疑問を解くポイントが、スパダリにあると思います。


 ドアマットヒロイン系のテンプレシナリオをまとめてみましょう。 

 ・世間に知られ(skeleton)たくない(in the)内輪の恥的な存在(closet)として扱われるドアマットヒロインが、家庭内や友人関係でも貶められている。

 ・ドアマットヒロインは家庭内の恥であるにもかかわらず、なぜか他家へ嫁がされたり、あるいは家から放逐されるという形で、家を追い出される。

 ・家を出た/出されたドアマットヒロインの身柄を、スパダリが確保する。

 ・スパダリは、ドアマットヒロインの心身のダメージに気がつき、不審に思って真実を調べ始めると同時に、ドアマットヒロインへの態度を庇護に切り替える。

 やがてその同情が愛情に変わって……。


 このような話の構造からして、ドアマットヒロインの物語というのは、家の中で正しい評価も扱いもされず、家庭内奴隷のように酷使されていると自己定義する女性が、家の外へと助けと幸せを求める物語であると見ることができるでしょう。


 そこで注目したいのが、じつはハーレクインでも典型な、この「ヒロインをかわいそうに思うスパダリの庇護の方法」だったりします。

 ドアマットヒロインほど痛めつけられていなくても、困窮しているヒロインを懐に受け入れたスパダリが与えるのは、慰撫と保護。時にホットミルク――けっして気付けのための強いお酒とかは出てきません!――と暖かい膝掛けが差し出される。膝の上に乗せてのバックハグなどにも性愛の気配はありません


 そこには互いを魅力的と感じ、性愛を含む対等な男女の愛情の対象とする姿ではなく、むしろ父親のような保護者と、ひたすら慈しまれ守られる子どもという関係が理想像として強く描かれているのです。


 通常の悪役令嬢が、蔑まれ貶められても毅然として誇り高く、能力をよりよく発揮する舞台を与えてくれるスパダリとともに未来に歩んでいくというハッピーエンドを迎えるのに対し、ドアマットヒロインは蔑まれ貶められ、押さえつけられた自己肯定感をスパダリがなだめ、傷を癒やしてくれるというハッピーエンドになるようです。

 自力ざまあのできる通常の悪役令嬢に対し、ドアマットヒロインのざまあはドアマットヒロイン自身が自力でやることは少ないようです。どちらかというと愛重スパダリによるオートカウンター的に行われ、ドアマットヒロイン自身が虐げた者たちのその後を知らない、というエンドもあるようです。


 正直、個人的にはこの手の愛重スパダリというのは、実際には側にいて欲しくない人物ですがね。

 なにせ自分の「愛」や「正義感」のためなら多少(?)違法なことをしてでも愛する者のために復讐を代理でやっておこう、という遵法意識のない人物(しかもそれが許される身分だったりする)という、モンスターペアレント以上に始末の悪い存在ですから。

 まあそんな個人的感想はともかくとして。


 成長の機会を得るよりも、傷つけられないことを優先する。そのためには、悪意ある他者からの接触も、勝手な判断で断ち切ってもらってもかまわない。

 そういう意味では、ドアマットヒロインの物語というのは、スパダリによる絶対の庇護を受けられる子どもの状態への回帰を求める物語ということもできるのでしょう。

タイトルを回収したってことは、最終回だと思うじゃろ?

もーちょっとだけ、続くんじゃ。

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