かわいいか、かわいげがないか。それが問題だ。
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
前回に引き続き、婚約破棄ものについて今回も取り上げたいと思います。
前回は男性が破棄を宣言し、女性がそれを受けるという男女の対比を見ましたが、今回は婚約破棄に関わる女性同士を対比させてみたいと思います。
まずは婚約破棄といったら破棄されるサイド!何もしてなくても、愛されないというだけでヴィラン扱いか、悪役令嬢!
そして婚約破棄の動機!婚約者がいようがいまいが色仕掛け!その手練手管はどこで覚えてきたんだ、ヒロイン!
なぜヒロインを元凶といわないかって?
婚約破棄を判断し、婚約者に突きつけるのは、あくまでも悪役令嬢の婚約者である男性だからです。
誤情報で誘導されようが、誤った判断を下した当人こそ元凶というべきでしょう。
なお、この二人の女主人公(『ヒロイン』とカタカナ表記をしてしまうと混同してしまうので、以後『主人公格の女性キャラクター』を『女主人公』と表記します)は、外見や立場からして対比が際立つように造形されています。
たとえば、だいたいざまあをする側の悪役令嬢はどんなキャラクターとして描かれるか。
筆者の独断と偏見によってまとめてみましょう。
・高位貴族。婚約破棄を宣言する男性キャラクター(長いので、以後『バカ王太子』と表記します)より基本的には下位だが、家門や財力などを考えると、バカ王太子としても単純に黙殺はできない存在。
有り体に言って、それだけでもバカ王太子、及びその家にとっては目の上の瘤的存在。
・基本的に絶世の美人。ただし、つり目などのきつい印象を与える迫力系な顔立ち。華やかであっても毒々しい、表情が出にくい酷薄系など、『悪役顔』という表現で類型化されることも多い。
『かわいい』という評価を受けにくい。有り体に言って男性受けするタイプではないことは確定。
・銀や黒、深紅など、原色に近い強い色の髪。アイスブルーや銀など冷たさを感じさせる色、もしくは髪同様黒や深紅など、強い色、もしくは物語世界において特殊な意味を持つ色の目。
髪の毛はドリルのような強い巻き毛で華やかか、ストレートの二極分化。
・ヒロインに対して長身であることが多い。
・お胸のサイズは基本的には描写されないことが多いが、描写される場合には、ヒロインとほぼ真逆。
真面目努力系や外見酷薄系なら、たいていつるぺた。
悪女系のきつさが強調される時には超豊満のダイナマイトボディ。
・だいたい有能。特に領地経営や政治、事務的な実務能力がバカ王太子とは比べものにならないくらい高い。
だがそのため逆に疎まれ、能力に見合った待遇を受けていない。
もしくは有能であることを隠されていたり、価値が認められてはいないことも。
・対人能力やや低め、あるいは地位に即したマナーの一環として、理性的に行動することを強制されており、感情制御が完璧にすぎて反応がない。『冷たい』『かわいげがない』と称されることも。
こんなところではないでしょうか。
それに対し、ヒドインを含むヒロインはどのような描写がされるか、こちらも独断と偏見でまとめてみると……。
・とにかくすべてにおいて下。
身分でいうなら、平民から低位貴族。バカ王太子などの男性キャラクターどころか悪役令嬢からも、通常であれば歯牙にかけられないような格下身分。
年齢的にも年下なことが多い。学園ものにおいては、バカ王太子と同級生設定と同じくらい低学年設定が多いように見受けられる。
・かわいい。
外見がどんなに整っていても、美しいというより、男性受けされやすいとみなされる『かわいさ』に重心を置いて評価される。
獣人ものだったりすると、小動物系など、さらに庇護欲をそそる存在として描写されやすい。
・ピンクブロンドなど、パステルカラーの髪や目の色。
もしくは金髪碧眼のように、日本語ネイティブであるだろう、なろうの読者及び作者の持つ地の色とはかけはなれていると思われる、明るめの色合い。
例外として異世界召喚と聖女がくっついてくると、黒髪黒目……日本人デフォルト風味になる。
髪の毛はゆるふわカール描写多め。ストレート、ないし描写されないことも多いが、ドリルのように一見加工度の高い状態ではない。
・悪役令嬢に比べて身長も低めの描写が多い。
・胸はそこそこ。バカ王太子などの男性キャラクターに押しつける系ヒドインの場合、豊満さを強調するような開きの深い胸元のドレス、パッドの数枚重ねなどが描写されることも。
・基本はおばか。あるいはドジっ子属性。
たとえ有能であっても、注意深くさしすせそで隠される。貴族の基本であるマナーは幼児レベルであることも。感情の発露も多いため、社会的には不適応。
領地経営や王政などの実務能力や知識はあまりない。
優秀なのは、演技能力と女性としての魅力の強調、人心操作。
・魅了能力、あるいは魔法を持つ。持たなくても対人能力の化け物(ただし男性限定)
・公的な場であろうとなかろうと制御不能と表裏一体に描写される、豊かな感情表現。
こんなところがテンプレとしては上げられるのではないでしょうか。
さて、ここでヒロインをよく見てみましょう。
未熟、かわいい、背が低い。格下か年下。
とくに『かわいい』がポイントです(タイトル回収)。
今でこそ『かわいい』という言葉は幅広い対象に使われていますが、『かわいそう』と同義であった語源を辿ると、まだ小さくて――物理的な小柄さとか、年齢の低さ、あるいは言動の幼さなども含みます――、自立することのできない、庇護すべき存在こそが『かわいい』ものなのです。
この語源のせいで、筆者は人間に『かわいい』って言葉を使うことに躊躇を感じるタイプです。
褒め言葉になるのは、せいぜいが十代前半までかなと。
もちろん、なぜ、そのような語源を持つ『かわいい』という言葉が変質し、『大人かわいい』など、全く逆の特質と結びついた派生語ができたか、ということにもある程度推測することはあったりします(このへんは後述します)。
ですが、どうしても、『かわいい』という言葉は、現在自立可能な人間には、基本的に似合わない気がしてしまうのですよね。
むしろ、『なんて哀れなこどおじ/こどおばなんだろう』的なニュアンスが入っちゃうんじゃないかレベル。あくまでも個人的見解にすぎませんが。
話を戻しますと、ヒロインには『かわいい』に代表されるように、『庇護対象』属性を見ることができます。
これは、以前取り上げたクソ妹テンプレにも含まれるものです。実際クソ妹は、悪役令嬢ものにおけるヒロインと一部複合していたりします。
その場合、悪役令嬢がドアマットヒロイン的な性格を持っていたりすることもありますね。
このように悪役令嬢を排斥しようとするのがバカ王太子だけじゃなく、悪役令嬢の親もだったという場合、国家全体へのざまあが行われたりもするようです。
ちなみに、なぜテンプレがクソ妹と称され、クソ姉と言われないかと言えば、未熟さや背の低さといった要素を裏打ちする『年下』要素が失われるからだと推測できます。
加えて、前々回で、クソ妹のテンプレが、年上のきょうだいとして年下のきょうだいに無条件で譲歩を示すことを求められてきた恨みによってできたのではないかということを書きましたが、ここでも同様のことが言えるものと思われます。
つまり、『庇護対象』を優遇するためには、不利益を被っても我慢しなさい、あなたは所属する人間関係の中において『庇護対象』じゃないんだからと言われる側の恨みが、このヒロインというキャラクターテンプレには込められているわけです。
年下の『庇護対象』なら、胸に代表される性的対象としての記号がなぜ強調されるのかという疑問もあるでしょう。
ですがこれには、男性側から向けられる女性としての評価には、特に『若さ』に重点が置かれていることに注目するとわかりやすいでしょう。
昭和の匂い漂うフレーズですが、『女性はクリスマスケーキ』という言葉が、日本では普通に使われていたのです。
今はあまり表だって使われることはなくなったようですが(袋叩きに遭うから)、それでもこのフレーズに同意するような心性は、残念ながらまだ残っているように見受けられるのです。
自分が高齢者カテゴリに入ろうとしていようが、己をかえりみることなく、10も20も年下であるはずの、40代50代の女性を「ばばあ」呼ばわりするような。
それに加え、『相談女』という存在をイメージしてもらうとわかりやすいかと思います。
略奪を企む程度には人間性も悪く、格下で能力的にも劣っていることが多い存在。
それにもかかわらず、いや、それだからこそ警戒を解き、懐に入れては見え透いた手口にだまされるちょろい男性、略してチョロイローへの恨みも含んでそうですね。
ここまでくると、婚約破棄物、あるいは悪役令嬢もので、一人称、つまり読者が同一視して読むことのできる立場が、婚約破棄される悪役令嬢に設定される意味はわかりやすいと思います。
悪役令嬢は、女性にとって、理想の女性像の一つなのです。
どんなに一方的に否定され、負の評価をされようと、その美しさだけは否定ができないこと。
どんなに負の評価にさらされようと、表情が変わりにくい――気に掛ける価値などない暴言程度に揺るがされることのない美しさであること。
どんなに負の評価を向けられても、有能であることはまちがいないこと。
男性に媚びず、超然と孤高の道を進むことも辞さない、凜とした強さ。
そんな主人公が華麗に勝利を収める物語こそ、悪役令嬢もののざまあな構造であり、読者は、書き手は、強く引き寄せられるのでしょう。
では、男性に評価されにくい悪役令嬢の美しさ――言い換えれば、評価者を性別で選ぶ美とはいったいなんなのでしょう。
現代社会においては、いろいろな基準が問い直されています。
工業製品の規格が男性向けに揃えられていたのが、女性向けにも合わせるようになってきていたりします。
例えば車の衝突実験に使われる、マネキンドライバー。
あれ、男性の体格に合わせたものしかなかったんで、女性ドライバーの重症化率がすさまじく高くなってたらしいですね。
では、美醜――特に、女性らしさや、女性の美しさという規格は、誰がどこから見て定められているのでしょう?
じつは女性の外見評価にも、男性の目が支配的に働いています。
具体的には、性的対象と見なせるかどうか=いかに男性と違う存在であり、なおかつ手が出しやすい相手であるか、という異性愛性向の男性視点からの判断が少なからず含まれます。
だから、男性らしさの対極として、女性らしさは設定されています。
男性並みに背が高かったり、筋肉があったり、厳つかったり、痩せていたり、時には髪が短かったりするだけでも女性としての評価は勝手に低くされてしまうのです。
同様に、男性以上に有能だったりすると、『できる人だけどかわいげがない』など表されたりします。
意図的にか無意識にかはわかりませんが、そこからの脱出口となったのが逆説的な『かわいい』という言葉であったように筆者は考えます。
子ども、つまり性的対象とは見なせないもの、セクシャルではないものへの肯定的評価を示す単語として、現在日本語では『かわいい』は、人間や動物だけでなく、無機物のデザインにまで使われる形容詞となっています。
その結果、現代日本語における『かわいい』という言葉に含まれる意味がかなり混沌としているのですが、それでもこの状態が長く続いているのは、この曖昧な褒め言葉としてのニュアンスを、あえて混沌としたままにしておき、『かわいがられる=幼児のような庇護対象と見なされ、庇護される』ことを快と感じ、隠れ蓑のように使いこなしている日本語ネイティブが多いからなのかもしれません。
悪役令嬢ものが再生産され続ける理由は他にもあります。
書き手や読み手のほとんどが生活していると思われる、現代日本社会にも。
日本国憲法成立により男女平等が明文化されるまで、法律上、日本女性にはフランス革命期の女性同様に人権はなかったってご存じでしょうか?
残念なことに事実です。
LGBTQ+の権利が主張され認識されようとする時代になっても、日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中116位と、驚きのぶっちぎり低位。〔2022年発表内容〕
男尊女卑バイアスによりいまだ女性の地位は低く、性役割を押しつけるおっさん的思考や偏見はそこら中に蔓延している。
いわく、結婚したら男の子を産んで当然。
いわく、育児に掃除や洗濯といった家事はやって当然。旦那の世話も。ポテトサラダを自作しないのは言語道断。
男性より気配りと謙虚さを要求され続けるとか、旧民法下の家長制度かな?
百年以上前の封建的社会からいっこも変わってないといったら言い過ぎでしょうか。
他者(夫や父や親、あるいはクソ妹など自分よりも価値があるとされる他者)に身を捧げろと、犠牲を強いるその状況にうんざりし、ぶち切れたくても切れられない女性が自己投影するのが、正当な契約にのっとって行動し、鮮やかにざまあを決める悪役令嬢であり、呪いの藁人形代わりに叩くのが、バカ王太子とヒドインの両方といったらうがち過ぎでしょうか。
正しく努力し、美しく有能でありながら、不遇な状況に置かれ、否定されるばかりで愛を与えられなかった女性が新天地へと旅立つ物語。
その結果、正当な評価を、能力にふさわしい良好な待遇を。愛することのなかったバカ王太子よりも、遙かに美しく有能で、より高位の地位とそれを揺らぐことなく支える実力の持ち主に、肯定と承認、溺れるほどの愛を与えられる物語。
悪役令嬢ものの人気が衰えない理由がわかると思います。
では、悪役令嬢ものにおけるヒロインとは、ただの悪役、かませ犬でしかないのでしょうか。
悪役令嬢の敵役として、作者の、そして読者のヘイトを向けられる対象でしかなく、ざまあのぶつけどころでしかないのでしょうか。
そうでもない、というのが筆者の判断です。
ぶっちゃけ、悪役令嬢もののヒロインとは『嫌な女』『女に嫌われる女性』でしょう。
ですが、それもまた、悪役令嬢同様、女性にとっての理想の女性像の一つではないでしょうか。
欲しい外見や能力を持つ、『かわいい』『モテる女』という意味で、ですが。
ヒロインの外見はかわいらしく、庇護欲を掻き立てるものです。つまり女性にも好まれやすい。
能力も現実にはありえないほど魅力的です。
万民受けするあざとかわいさ。
魅了レベルの対人能力。
異性に『モテたい』『愛されたい』という欲だけを満たすのなら、ヒロインを感情移入の対象にすることも悪くない選択肢です。
なぜなら、能力だけでなく、ヒロインにも、読み手や書き手が感情移入しやすいしかけがあるからです。
それは、外見とも関連するキャラクター付け。
無知で未熟、思慮分別不足は子どもっぽさに、暴走はエネルギッシュ、あるいは一生懸命さと読み替えることもできます。
つまり、ヒロインはまだ成長過程にある子ども。
成熟するまでを描く、いわゆる成長物語の主人公に据えられるだけの要素はあるのですよね。
異世界恋愛ものの中でも、乙ゲー転生系の作品が非常に多いのは、もともとこのようにヒロインなどのキャラクターのポテンシャルが高いということもあるのでしょう。
語源的な意味で『かわいい』ヒロインが、読み手や書き手が世間体とかプライドとか自負を気にして、実際の人間関係では剥き出しにすることができないひたむきさを見せる姿は、それだけで大きな魅力となるわけです。
仮に、『悪役令嬢が主役の物語世界のヒロインとして転生しました!でもヒドインにはなりません。わたしだって幸せになりたいんです!』系とでも定義しましょうか。
悪役令嬢ではなく、ヒロインが主人公一人称視点に設定される作品も散見されるのは、こういった理由があるからなのかもしれません。
加えて、ヒロインは周囲を固める悪役令嬢はバカ王太子、その他攻略対象と比べて階級的にも(ということは権力面でも)。財力でも、能力的にも圧倒的な格下。
そんな格下のキャラクターが奮闘の末、高位貴族を押しのけて社会的成功を掴む、いわゆる成り上がりストーリーとも相性がいいという点が、ヒロインをただのヘイト対象にはしておかないのでしょう。
逆に、というか、それだからこそ、というべきか。
自分の魅力である『かわいさ』=女性であることを、取るに足らない身分であることを、無知であることを利用しようという行動に出た途端、ヒロインはざまあされる対象、ヒドインに転落してしまうのです。
女性としての成熟度を売りにした色じかけを意図的にしかけたり、媚びを売ったりしてしまうと、倫理的アウト。
都合や相手の好みに合わせて子どもと女性を使い分ける段階で、一気にこの評価が逆転するわけです。
さらに女を使って落とした男を使って、悪役令嬢を貶める、いわゆるヒドインムーブを逆ハーへ持ち込もうとする、逆ハーを構築しようとするとなると、これは社会制度を混乱させるということで、一気に法律的にも正当性が失われることになりますが……。
そのような現実にはありえないヒドインムーブがなぜ毛嫌いされるか、特にわかりやすいのは転生者設定がついているものでしょう。
いわゆる、『乙女ゲームの世界に転生しちゃった!前世知識を使って悪役令嬢を蹴落とし、逆ハーしちゃうぞ』的お花畑思考のヒドイン。
これは悪役令嬢に自己投影すると思しき、『仕事で評価されればされるほど女性としては評価されなくなるダブルバインド』『共稼ぎなのに自分だけ仕事も家事も背負わされ、しかもそのどちらも評価されにくいのに、育休取っただけで評価される男性に叩かれる立場』に悩みながらも、日々努力する現代日本女性にとって、旧態依然とした『素敵な男性を捕まえて結婚するのが女性の幸せ』に『どんな手を使ってもライバルを蹴落とし』『一つの幸せじゃたりないから独り占め』方向にだけ努力するのが正しい、そのためのマニュアルを自分だけが持ってる、というようなものだからです。
そりゃあ、努力に喧嘩売られてるようなものですよね?
反動のざまあが厳しくなるわけです。